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2007年7月14日 (土)

李香蘭の足跡

今日は李香蘭の足跡ということで、ゆかりの場所をひとつ。ゆかりというのはちょっと変かもしれませんが、終戦直後を川喜多さんや服部さんとすごした収容所です。

上海市街地北部、現在の魯迅公園(下の地図の緑色のところ)の南にあたるところで、当時は日本人街のあったところ。「興業坊」という路地に面した長屋です。(地図をクリックすると大きくなります。戻るボタンで戻ってください) 真ん中に山陰路(英文名:Scott Road)という南北に走る通りがあり、そこから右に入る路地で「興行坊」があると思いますがそこです。○で囲ってあります。

吉行エイスケ宅(1930年ごろ)と書いてありますが、その辺かもしれません。彼はNHK朝の連続テレビ小説「あぐり」で野村萬斎が演じた小説家で吉行淳之介の父。妻あぐりを日本に残して一時期この通りに住んでいたようです。デカダンスな上海を満喫していたことでしょう。(地図:大修館書店 上海歴史ガイドマップより)

Photo_33

で、この地図はいったい当時の上海のどの辺に位置するかというと、下に載せました上海租界全体図の一番上の方、虹口越界路(ホンコウエッカイロ。当時はホンキュウと発音していた)地区という日本人の集中していたところです(地図はクリックすると大きくなります)。ちょうど「虹」という字のあたりが興業坊の位置です。(地図:都市出版 東京人2006.11月号より)

Photo_34

ちなみに上戸彩「李香蘭」で、山家と二人で橋の上で話す場面や、川喜多さんに洋服を質に入れるよう頼むシーンで出てきた鉄橋はPhoto_24 ガーデンブリッジと言いますが(ドラマの撮影場所は上海影視楽園)、この地図のちょうど「共同租界イギリス・アメリカ・日本ほか」と赤い字で書いてあるの「メ」の字の下あたりにかかっていた橋です。小さい○を付けました。この橋を南に渡るといわゆる華やかなオールド上海のバンド地区です。下の絵をクリックすると大きくなります(ブラウザーによってさらズームアップするとビル名が読めます)。Photo_36 上戸彩「李香蘭」で上戸彩の登場する最後のシーン、船上の回想シーンで映るのがこのバンド地区のビル群です。

租界地図の真ん中辺に競馬場と書いてありますが、「上海国際競馬場」で昭和20年8月9日に夜来香ラプソディのアンコールコンサートを開いたところです。現在は人民広場となっています。また最初にコンサートで夜来香を歌ったグランドシアターは、最もにぎやかな南京西路(当時は静安寺路)をはさんで向かい側にあります。下の1930年代の競馬場の絵の左端にぎりぎりに見えます。絵の真ん中の塔のあるビルはカジノなどがあるちょっと怪しい総合娯楽ビル「新世界」、左の茶色いビルは「パークホテル(国際大飯店)」といい、22階建ての高さは日本の霞ヶ関ビルができるまでアジアで一番高い建物だったそうです。Photo_35 実際のコンサートシーンの撮影は「雲峰劇院」という、いくつかある上海雑技団のうちの一つが拠点としている劇場で、静安寺の北、北京路にあります。地図だと黄色い共同疎開の一番左端です。今年の冬上海に行ったときにたまたまここの2階席で雑技団を見ました。赤いイスが印象的な古い劇場でした。

地図の右下あたり、円形の道路に囲まれた部分は中国人だけが住む当時は上海城とか城内と「呼ばれていた地区ですが、○で囲ったあたりは豫園(ヨエン)Photo_32 という古い中国の建物が残る観光スポットです。上戸彩さんもラジオで紹介してましたが小龍包のおいしい店があり、長い行列がいつもあります。

さて、李香蘭たちが収容された長屋ですが、現在も残っているようです。月刊誌「東京人」2006年11月号に写真が載っていました。Photo_23

見づらいですが3階建ての長屋のようです。日本人街の中なのでもともと日本人の住居だったと思われます。先ほどの吉行エイスケもここに住んでいたということです。終戦で日本人の住む住居は中国政府に全て管理され、それを収容所として日本人に再配分し、日本人の帰国後中国人が住み現在に至る・・・・・・という感じでしょうか。

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