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2007年9月の4件の記事

2007年9月22日 (土)

「色 戒」 Lust Caution(ラスト、コーション) 

李香蘭と終戦直前の上海で対談を行い、自身の恋愛観にもとづく小説を書くことになるだろうと答えていた張愛玲(チャン アイリーン)。戦後いくつかの恋愛小説が書かれたようですが、ごくごく最近、世界的に有名になった彼女の短編小説のタイトルが「色、戒」です。ちなみに読み方は、中国語のピンイン変換というサイトに入力すると出るのですが、「色」はスー、「戒」はジエですので、「スー、ジエ」とでも読むと中国っぽい雰囲気出るかと思います。ちなみに日本での映画のタイトルは英語で「Lust, Caution」(ラスト コーション)となるようです。

(この記事を書いた後、原作者が小説のモチーフとした女性、テンピンルーについて記事を書きましたのでリンクを置いておきます。 「日中戦のはざまで テンピンルーの悲劇」←クリック)

Photo小説「色 戒」のあらすじ

日本軍の中国への圧力が高まっている1930年代後半、香港の数人の学生が愛国心から抗日グループを結成した。親日政権のリーダーになる汪精衛(別名汪兆銘)の一行が香港を訪れるという情報を得た彼らは、グループ内の美人学生、王佳芝(ワン チアーチー)にハニートラップ(色仕掛け)を命じ、汪兆銘の側近「易」(イー)を誘惑し暗殺する計画を立てた。

Photo_2 王佳芝はグループ内のある男性への恋心から、しぶしぶこの計画を承諾する。しかし汪精衛らは上海にすぐ帰ってしまった。学生らは上海の大学に転校し、蒋介石国民党政権のプロの地下工作員に接触、行動を再開した。王佳芝は汪精衛政権の高官に昇進していた易を今度は誘惑することに成功し、男女の関係になる。

Photo_3 ある日、彼女は易に宝石をねだり、繁華街の宝石店に誘い出した。学生らは武器を持って店の外で待ち伏せしていた。二人は仲良く宝石店に入る。学生らの暗殺は成功するかに見えた。その場でダイヤモンドを王圭芝にプレゼントする易。小さな頃から他人の愛情を素直に受け取ることのできなかった王佳芝はふと、「この人こそ本当に私を愛してくれているのかもしれない」と感じる。心に動揺が走る王佳芝。果たして彼女は易に対し逃げるように目配せした。危険を察知した易はぎりぎりのところで逃げ出すことに成功した。彼はすぐさま周辺の道路封鎖を命じ、学生らは王佳芝も含め全員が捕らえられる・・・

こんな感じです(注:小説のあらすじであり、映画の脚本はまた別になるはずです)。28ページほどの短編小説らしいです。なぜにこの小説が世界的に有名になったかと言うと、2007年9月のベネチア映画祭で金獅子賞(最優秀作品賞)を取った映画が「色 戒」なのです。上の写真がそのシーン。この映画の監督はアン リーという米国在住の台湾人で、主人公を演じるのはトニーレオン、ヒロインの王佳芝役は新人女優、湯唯(タンウェイ)。台湾では今月中に公開されるようです。男女間の「愛情表現」?に刺激的なシーンが多いらしく米国では成人指定になったようです。日本での公開時には多少の編集が入ることでしょう。ちなみにこの映画の上海ロケは2006年11月中旬から上海影視楽園で行なわれました。上戸彩「李香蘭」が2006年の11月上旬まで同じ撮影所だったようなので、ちょうどバトンタッチされた感じですね。「色 戒」のほうでは南京西路の建物を追加で建築したようです。

李香蘭との対談では、李香蘭の気持ちを代弁し、「彼女はもはや平凡でお決まりの愛ではなく、「激情」の愛を演じたいはずだ」、と語った張愛玲。これは両親の離婚、親日派で後に漢奸容疑をかけられる夫をもつ身、その夫の浮気など複雑な環境におかれていた彼女自身の気持ちの吐露でもあったはずです。そして「未来の東洋の映画にはきっと希望があります。なぜなら視覚芸術は東洋人にとって、とりわけ気質的に親しみやすいからです」と語った予言めいた言葉。62年後のベネチアで自身の小説が原作の映画によって、確かに実証される形となりました。

※注意:「色 戒」のヒロインには、作者張愛玲の恋愛観が強く投影されており、小説のモチーフとなった鄭蘋茹(テンピンルー)とは切り離して考えたほうがいいようです。テンピンルーについてはこちらをご覧ください。l ピンルーに関しての文献は一次資料も含め幾つも当たりましたが、記述内容はばらばらでした。戦後台湾に渡りロサンゼルスに移住したピンルーの妹、鄭静芝(別名鄭天)氏は9月11日、ロサンゼルスで記者会見を開き、「映画は娯楽作品であり多くの想像の産物です。映画での女性主人公のイメージは姉の実像とイコールではありません」と発言しているようです。

参考:論文「引き裂かれた身体 張愛玲「色 戒」論」/東京大学非常勤講師 邵迎建

論文「張愛玲における時代と文学」/共栄女子短大教授 池上貞子

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2007年9月17日 (月)

座談会での李香蘭 in 上海 (2)

座談会 in 上海 (2)では李香蘭の対談相手の張愛玲(チャン アイリーン)にスポットを当てました。彼女は李香蘭と同じ年の9月に上海に生まれ、10歳のときに両親が離婚、12歳のときにはすでに最初の短編小説を書いています。1943年、彼女の書いた小説がきっかけで、日本軍の傀儡政権である汪精衛政権の幹部、胡蘭成に見初められ結婚。しかし、彼の愛人問題にすったもんだのあげく4年ほどで離婚。戦後は売国奴の妻を糾弾する共産党政権から逃れてアメリカに渡り執筆活動を続けました。

以下、座談会での張愛玲による、李香蘭評の部分です。引用元は、「李香蘭と東アジア」(四方田犬彦/東京大学出版会)です。

(前略)

記者:脚本の話が出たところで、張さんにお聞きしましょう。張さんがもしご自身のこの一年半の多くの体験をもとに映画の脚本を書くとして、李さんが主演なさるとしたら、主人公はどのような人物になることでしょうか?

(中略)

張愛玲:そんな脚本を書いても、たぶん李さんの個性とはあまり合わないでしょう。私は彼女の歌う歌を聞くといつも、彼女は人間ではなくてみたいな気がするのです。たとえば渡辺はま子が歌う「支那の夜」は彼女のとはまったく違って、血の通った声であり、聞けば普通の女性であり、確かにそこに存在して、触れることのできるものであるという感じがします。李さんが歌う「支那の夜」は、まさに歌のなかの東方の小鳥のようで、人間の多くの複雑な問題や面倒などがいっさいありえないかのようです。

私は「萬世流芳」にはきわめて不満だったのですが、でもそのなかの李さんの演技が、共演の中国人俳優たちの大袈裟な演技とは全く正反対の系統のもので、まるで相容れないものだとわかりました。あれを見ている時は、初めから終りまで彼女の困難に同情し、憤 慨していました。中国の観客にとってみれば、あまりに自然な演技は受け入れがたいものなのでしょうが、彼女の個性と歌声が実に愛すべきものであったので、熱烈に受け入れているのです。彼女と王引との一連の長いやりとりがあった後、彼女が歌い始めるのですが、その時私は、ほかの俳優、監督、物語などは全て余計で、掃いて捨ててしまってもいいなと思いました。

Photo_4

写真は「萬世流芳」で劇中歌「売糖歌」を歌うシーンで中国人の監督から指導を受ける李香蘭。「キネマと砲声 日中映画前史」(佐藤忠男/リブロポート社)より

もし、李さんのために脚本を書くのであれば、もっと芸術的であるべきだと思います。もともとミュージカル映画というものは、リアリズムで書けるものではありません。大体どこに、話をしていたかと思うと突然歌いだしたりする人がいるでしょう?でも映画の芸術化というのは、ハリウッドでさえもまだ実験の最中でして、今この場ではそこまで語ることはできないと思います。中国映画のレベルは言うまでもありませんが、日本映画もおそらく戦争が始まって以来、退歩したことでしょう。まずは戦前の日本映画の水準に戻らねばなりません。未来の東洋の映画にはきっと希望があります。なぜなら視覚芸術は東洋人にとって、とりわけ気質的に親しみやすいからです。李さんのために考えてみますと、今しばらくはやはりリサイタルをなさった方がいいでしょう。

(中略)

記者:私はもともとあまり小説を読まなくて、雑誌の目次をパラパラするくらいなのですが、友達と話していると、よく張さんの名前が出ますし、また小新聞でもしばしば張さんの恋愛に関するウワサを目にします。そこで張さんの恋愛観をお尋ねしたいですね。

張愛玲:(淡々とまじめに) 私がどのような考えを持っていようが、そんなに簡単にお教えすることはできませんでしょう?私は職業文人ですし、これまで筆で食べてきているのですから、簡単にお話してしまったら損じゃございません?

全員:ははは・・・・・

記者:では将来そのような文章を書くおつもりがあるといういことは?

張愛玲将来もっと経験と考えを積んだら、その時にはきっと書くでしょうね。

以上引用終り。実際の対談記事もこの言葉をもって終わっています。

さて、内容を振り返って見ますと、張愛玲が当時の李香蘭とは違ったタイプの女性であることが伺い知れます。彼女の小説は「美しくて繊細で残酷な文体」と言われています。この短い対談のなかでもそれを感じ取ることができるでしょう。幼くしての両親の離婚と、つらい結婚生活の渦中でもがいていた張愛玲。それまでの複雑な環境が、人間とは綺麗ごとだけでは済まない、という思想に連なっているようです。そして天女のような李香蘭に対して脚本を書いても自分のスタイルに合わないだろうと言っています。ただし、李香蘭の内面が単にナイーブで純粋な天女だったかどうかは当然疑問符が付きます。10代半ばからずっと中国人だと国籍を偽って大衆に接し続けることのアイデンティティ クライシス。これは本人にしかわからない負担だったはずですから。

また、李香蘭に対して、今しばらくは演技ではなく、歌のリサイタルに集中したほうがいいのではないか、とまで言っています。これは日本軍の検閲の入る映画では限界があることを言っているのかと思います。日本の映画の退歩についてや、中国人俳優と李香蘭の演技の比較を言っていますので、彼女はおそらく李香蘭が日本人だと知っていたのでしょう。当時の中国映画界では、李香蘭を中国人のまま、そっとしておいてあげよう、という空気のようなものがあったのかもしれません。となると、李香蘭が中国人と偽り続けていたその複雑な環境に対して、張愛玲がこの座談会で言及することは不可能だったのでしょう。結局表面に現れ出る李香蘭のみをあらわして天女のよう、ということになってしまうのでしょう。そしてその足かせを負ってしまっている李香蘭には、張愛玲のリアリズムをベースとした脚本を演じるのは無理だということになるのでしょう。

最後に彼女は東洋人のつくる映画の将来性には明るい希望を抱いていると閉めています。そして、自分の恋愛観をからめた小説を書く可能性を、将来の予想として述べています。これについては、次回の記事「色 戒 Lust, Caution(ラスト コーション) 」lで触れたいと思います。

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座談会での李香蘭 in 上海 (1)

終戦直前の1945年7月21日夕刻、李香蘭と張愛玲(チャンアイリーン)との対談が上海で行われました。張愛玲は日本占領下の上海において新進気鋭の作家と呼ばれていた24歳の女性です。主催は中国語の文芸総合誌、月刊「雑誌」社です。出席者には二人のほかに、李香蘭の後見人であり、日中合弁の映画会社中華電影を主宰する川喜多長政氏、張愛玲の友人と数人のジャーナリストなどがいました。

Photo 場所はフランス租界にあるフランスクラブ近く(咸陽路二号:カンヨウロ2ゴウ、現、陝西南路:センセイナンロ)で、広いバルコニーのある庭園で納涼お茶会のような形で行われたようです。この座談会は山口淑子の自伝にも載っておらず、当時の彼女の考えや時代背景を垣間見ることのできる貴重な声だと思います。もともとの記事は「雑誌」復刊37号(1945年8月号)に中国語で掲載されました。2001年出版の「李香蘭と東アジア」(四方田犬彦/東京大学出版会)には日本語に翻訳されて掲載されています。李香蘭に関係する一部を抜粋してお伝えしたいと思います。

以下引用(抜粋)

納涼会見記

ある夕暮れ方、青々とした天幕に幾つもの白雲が浮かび、草地の陽光が消えた頃、テーブルの横には椅子が置かれ、客人たちがコーヒーを啜りながら談笑している。(中略)李嬢といえば、歌を何曲か練習したあとに駆けつけ、この日は黄色の旗包(チーパオ)を優美に着こなして象牙の珠の首飾りを掛け、ヘアースタイルはというと・・・額の辺を高く盛り上げ、後ろはアップにしている(中略)

Photo

記者:もし李(注:李香蘭)さんがある映画に出演なさりたいと思い、張(注:張愛玲)さんに脚本の執筆をお願いするとしましたら、李さんはどのような役をおやりになりたいですか?

李香蘭:ミュージカル映画を例にとりましょうか。私は自分のリサイタルで新旧の「夜来香」を歌い、その時は皆様に大変喜ばれました。そうしましたらある方が、こんなシナリオを書こうとされたのです。ある老音楽家が古いほうの「夜来香」を作ったのですが、大変傲慢で当時の社会と相容れなくなり、出奔してしまいます。そして何年かが過ぎ、彼の息子もまた新しい「夜来香」を作ります。私はこの老音楽家の息子の恋人を演じることになっており、最後に私が新しい「夜来香」を歌うと、流浪していた老音楽家が物陰からそれを聞いている、というものでした。

(ここまで話した彼女はにっこりと笑い、ちょっと間を置き、また笑いながら続けて話す)

私はこの脚本を読んで、どうも何か足りないような気がいたしまして・・・・。

(彼女は恥ずかしげに、向かいに座っている川喜多氏にひそひそと内緒話をする)

川喜多:私が李さんに代わってお話しましょう。彼女は映画の中でこれまでずっと、日本の美男子を愛する中国女性というパターンの役柄に扮してきました。しかし本人はそうしたことを望んではおりません。彼女が想い描いている恋愛物語とはありきたりでは駄目で波浪のごときものであり、浅薄ではなく深刻なものなのです。

李嬢は川喜多氏が自分の心のうちを一部言葉にしてくれたものの、話し尽くしてないとでもいったふうであり、女性特有のはにかみをもって精巧な白檀の扇子を開き、隣に座っている張愛玲の顔をさえぎり、しゃべり、笑っている。この扇子はあたかも謎かけのようでもあり、あるいは女の人というものは誰か別の女の人がいてこそ胸の秘密を打ち明けることができる、という感じである)

全員:(皆興味深げに声を揃えて言う)では張さんに、李さんに代わってご意見をご発表願いましょう。一体彼女はなんとおっしゃっているのでしょうか。皆さんにお聞かせください。

張愛玲:彼女が言うのは、二十歳の女性と二十六歳(注:数え年)の女性とでは主演したいと思う映画が異なるということです。それは心境の変化によるものだからです。あまりに平凡でお決まりの愛ではなく、激情」の愛を求めているのです。

(中略)

記者:李さんは今回上海にいらして新しく感じたことですとか、新しい状況、新しくできた友達などはおありでしょうか?(中略)

李香蘭:新しい発見がなかったかとのお尋ねですが、・・・・えー、私は・・・・

(うつむいて、ひとしきり考えて、また顔を上げ、長いまつげの下の瞳を大きく見開き、続く言葉にアクセントを置いて言う)

私は人としてどのように生きるかということを発見したいのです!理想としましては、健康な人間でなくてはなりません。健康な体、健康な生活、健康な恋愛を持つ人間です。人として生きる上で健康な生活がなければ、人間らしく生きている気がしません・・・・。どのようにして、人としてどのように生きるのでしょうか?

(一旦止まり、また続けて話す)

私は毎日歌を歌い、毎日先生から英語やロシア語を教えていただき、音楽の勉強をしておりますが、これは学習であり、訓練であって、人として生きるための基本道理ではありません・・・・。どうすれば人として生きることができるのかが、私にはわかりませんわ・・・・。

(このように話す時、彼女は人海の中をあてもなく航海しつつも、心の中は空虚、苦悶、孤独でいっぱいなのだという感じがする)

一人の女性の幸福というのは有名だとか、お金があるということではなくて・・・・女性の幸福はどこにあるのでしょうか?・・・・私にはわかりませんわ・・・・大光明劇場でのリサイタルから帰ってきて、一人で泣きましたの。なぜ泣いたのかわかりませんが、寂しかったのです!・・・・

記者:彼女は人並みの楽しみさえない生活を送っているのですか。

川喜多他人のための生活を送っているのですよ。

記者:話が深刻ですね。

記者:張さんは小説の中に自分の考えや情感を表現できますが、李さんは映画のなかではそのような慰めは得られないのですね。

李香蘭:私の人生観と映画のなかで表現するものとは別のものです。

記者二重人格をもっているのですね。

李香蘭:時々、私はいことをしたくなるのです・・・・皆さんはいけないことだとお思いですか?・・・・このような考えを持つのは危険だとわかっているのですが。

記者:あなたの言う悪いことこそが、ひょっとして人として生きる道かもしれませんね。

李香蘭:私は女です。芸術家であるためにはもちろん経験豊富であることが必要です。しかし女であることはまた別の一つの道です。私は今その岐路に立っているのです。

(後略)

以上、「座談会 in 上海 (1)」への引用終り

こうやって見てみると李香蘭の苦悩が痛いほどに伝わってきますね。自分の考えは置いておいて、演じろと言われたままに演じる。出演しろと言われたままに出演する。しかも中国人と偽って。彼女のうちに秘めた本当の自分を出したいという欲求は爆発寸前だったのではないでしょうか。「悪いことをしたい」、この言葉は痛切ですね。

健康な生活についての言及もありました。これはアヘンに侵された上海の乱れた部分のことを憂いているのだと思います。映画界入りのきっかけとなった日本陸軍宣撫担当の山家氏がアヘン中毒になって酒池肉林の宴をあげつつ、日本に送還され獄に繋がれるさまを見ていることや、栄華を誇った川島芳子の落ちぶれた現状を見ていることなどが影響していると思います。

また、歌の練習のあとにこの座談会に駆けつけたり、英語やロシア語を学んだりという話からは、彼女の日常生活が女優そして歌手としてのトレーニングの毎日だったことがうかがえます。

そして「女であることはまた別の道です。私は今その岐路に立っているのです」という言葉からは、彼女にひょっとしたら意中の男性がいて、幸せな結婚を経て映画界から逃げ出すことを考えていたのでは?、とも思えます。結局この座談会から一ヶ月もしないうちに終戦を迎え、それまでの人生は全てリセットされ日本に渡ることになります。人生の岐路において、いやおうなく舵が切られた李香蘭は、戦後は山口淑子として、キャスターや政治家なども経験し、存分に自分らしい人生を歩まれてこられたのかなと思います。

「座談会 in 上海 (2)」へ続く

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2007年9月 4日 (火)

上戸彩の蘇州夜曲

2007年7月21日の記事、「夜来香と蘇州夜曲(試聴)」に上戸彩さんの歌う日本語の蘇州夜曲をミックスで挿入しました。この曲は前からすごく気に入っていた歌だし、Photo_10 もともとは日本語の歌だったので、日本語バージョンを入れたかったのですが、拍手の音と声援の効果音が入っていて、どうしても使えない音源でした。新たに入手したソフトでだいぶ消すことができたので、使ってみました。

左のバックナンバー2007年7月から、7月21日の記事「夜来香と蘇州夜曲(試聴)」へどうぞ。「夜来香と蘇州夜曲(試聴)」

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