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2008年8月 9日 (土)

上海人文記 2

松崎啓次の「上海人文記」の「戴志華(タイ・チーホワ)の銃殺」の章より抜粋引用を続ける。

なお、戴志華は鄭蘋如(テンピンルー)の仮名であり、ここでは本名で表記する。

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1938年の暮れも押しせまるころ、松崎は再び上海へ行き支那に日支合弁の映画会社設立の準備をせよ、と命令された。

正月、松崎はまた飛行機で上海に来た。わずか二ヶ月の不在に過ぎなかったけれど、虹口(ホンキュウ 上海北部の日本人地区)方面の復興はものすごかった。

暗かった街には灯りがともり、閉じていた大戸は全て開かれ、商品があふれていた。松崎は思った。我々は今やハッキリと確信を持つ事ができた。・・・東亜新秩序は、虹口から細胞分裂のように発展していくことを。

恐らく支那という支那の重要都市、今や名人の囲碁のように、敵の死命をを制して、占領された重要都市は、虹口と等しく発展していく事であろう。

これらの都会に、映画を与えなければならない。これらの都会から、農村へ映画を浸透させてゆかなければならない。映画を通して、東亜の新秩序を教えなければならない。映画は東亜新秩序の進軍ラッパとならなければならない。

そして松崎達の忙しさは加速度的に加わっていった。東亜の新秩序に協力しうる支那映画が、毎月五本は必要である。いかにしてそれを獲得するか。製作するとすれば資金は?スタッフは?そして製作機構は?配給の組織は?常設館の復興は?映写機は?・・・問題はそれからそれへと発展していく。が、人手は足りなく、忙しさはさらに新しい忙しさを呼んだ。

が、ある日、松崎達は重大な結論に達した。虹口から渡った向こうには、新華、芸華、聯華(連華)等々の撮影所がある。そこでは抗日映画が作られている。・・・だが指導分子はすでに支那軍とともに奥地に遁走している。彼らを我々の影響下に引き入れ得るかいなか。いや、引き入れなければならない。

この結論は、松崎の親友、劉吶鴎を奮起せしめた。彼は遮二無二租界へ突撃していった。工作に工作の日が続いた。彼は租界のキャバレーにいた。彼はレストランにいた。ホテルにいた。撮影所にいた。劇場にいた。アヘン窟にいた。賭博場にいた。彼はどこにでもいた。そして、彼のいるところ、必ずめぼしい映画人がいたのだ。彼は彼らしいやり方で、次から次へ成功していった。だから松崎達は、ただじっと忍耐して、彼を待っていればよかった。

こうした日が続いて、彼ら疲れ果てていた。今夜は、素晴らしいご馳走でも食おうよ。・・・誰からともなく、声が挙がった。反対のあろうはずがない。

「好!(ハオ)」

「好!」

と彼らは立ち上がった。

ご馳走を食べるからには、と劉(リュウ 台湾出身の映画人)君はポケットから手帳を取り出した。電話をかけて、美しいお嬢さん達に同席してもらおうというのである。場所はアルカディア。時間は八時。フルドレスで現れようではないか、ということになった。

この帝政ロシアを思わせるキャバレーは、またロシア風の料理でも有名だ。キャビアもボルシチもウォッカも、すべて美味かった。劉君の呼び出した女たちは、上海語しか話せないので、どうにも松崎には間が持たなかったけれど、愛嬌のいい元気なお嬢さん達であった。

Paramount_shanghai 松崎たちは飲み、食べ、そして踊った。松崎はふと隣のテーブルを見た。そこに、女が二人、男が二人、お茶を飲みながら、ひそひそと話をしている。


「おやっ」


と、松崎は思わず声に出してしまった。ピンルーだ。テンピンルーではないか。彼女は、私たちの隣にいて、この我々の華やかなパーティに気づかないのだろうか?気づいたらどうして声をかけないのだろうか?不思議に思って、松崎は劉君を見た。


劉君は、もう松崎の気持ちを察していた。そして、彼の顔は、「今、何も言うな。後で説明する。ピンルーをあまり見てはいけない」と語っている。

松崎は、「分かった。分かった」という印にウォッカのコップを挙げて、「乾杯」と言った。みんなが乾杯した。そして松崎は彼女のことは忘れてしまった。

ここの音楽にしては珍しく、「You'll be Surprised 」をホットなジャズで演奏し始めた。それを機に、みんなが立ち上がって踊った。で、松崎達のテーブルも、松崎と劉君だけが残された。劉君はするすると松崎のそばにやって来てつぶやいた。


Paramount_view 「ピンルー、すこし変だろう。こないだ、僕たちは大勢でパラマウント(写真左))へ踊りに行ったんだ。ピンルーも一緒にだよ。階段を昇ろうとすると、ある男がピンルーを呼び止めるんだ。振り返ったピンルーの顔といったら、その前の瞬間まで陽気だったあの人とはまるっきり違うんだ。蒼白だ。そして僕の腕を取って「ここにいてちょうだい。どこにも行かないで」と言うんだ。仕方なく僕だけ残った。そして二人の会話を聞くはめになったのさ」

「その様子では・・・、ピンルーには特別親しいボーイフレンドがいたらしい。恋人かもしれない(注:許洪新氏によるとピンルーの恋人は中国空軍の王漢勲と思われる。彼が1939年春、香港で結婚しようと手紙を書いたところ、ピンルーは答えを迷い「戦争が終ったら・・・」と返信していたようだ)。

彼は蒋介石の国民党と一緒に重慶に逃げたんだろう。それが一ヶ月くらい前に帰ってきて、ピンルーにとても会いたがっているというのだ。「電話をかけたり、手紙を出したり、使いをやったりするのに、なぜあなたはあの人に会ってやらないのです!」とその男が言ってるんだ。様子では、ピンルーを呼び止めたその男は、彼と、彼女と特別親密な事をよく知っているらしい。

Photo_7 その男は声を低くして言うんだ。「あなたは最近、日本人とつき合っているって噂ですが、本当ですか?私のうちへ明日の午後来て下さい。明日ですよ」

と、男は待っている僕が新しい恋人だとでも思ったのか、私を振り返ると、突然話をやめて行ってしまったんだ。

ピンルーは、それからホールに入っても一言もしゃべらない。お酒も飲まない。ぼんやりしているんだ。僕は強いて彼女と踊った。二三度踊ったかな。と、彼女はやっと口を開いた。

「あたし、明日、殺されるかもしれないわ」

「ば、馬鹿な・・・」

と、口では言ったけど、僕も何か不吉なものを感じて、

「明日、あの男の所へは行かない方がいいみたいだね。僕、事情は知らないけど」

と言ったんだ。と、彼女は、

「ありがとう。私もそれを考えていたの。私、もうあの人(たぶんそれは恋人のことだったのだろう)にも一生逢わないわ」

そう言うと、彼女の頬は、突然上気したように紅くなった。そして沈んでいた彼女が今度は元気になり、飲んだり、踊ったり、大変な勢いなのだ。今彼女は、そのパラマウントで呼び止めた男と一緒だ。たぶんその隣にいる男が彼女の恋人だろう」

音楽が終わって人々は席へ戻ってきた。

これからショーが始まるのだ。ここのホールは、三回続けて踊ると、一回休憩、その休憩の間に軽いショーがある。踊り子がいないので男女同伴でなければ、照れくさくてとてもいられないところだ。

ショーは、ロシア人特有のコーカサスの踊り。もう松崎達は、何十編見たことだろう。松崎は退屈であった。松崎は見るともなくテンピンルーの方を見た。だが、そのテーブルは既に空っぽであった。

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引用終わり

さて、ここで興味を引くのが、パラマウントでピンルーを呼び止めた男の次のことば。

「あなたは最近、日本人とつき合っているって噂ですが、本当ですか?」

この日本人は、ひょっとしたら近衛文隆を指しているのではないだろうか。

パラマウントでの上記の出来事があったのは、上の文章からすると、松崎が1939年正月に上海に再びやってきて、来る日も来る日も忙しく映画工作をし続けて一息ついたころなので、1939年春頃だ。近衛文隆が上海に渡ったのが1939年2月、小野寺機関の摘発のからみで日本に戻されたのが1939年5月だ。ちょうど期間が重なる。

上海憲兵隊特高課長の林秀澄は、「林秀澄談話速記録Ⅲ」で、1939年春頃の二人の様子につき、「そのころ文隆君はピンルーと熱くなってしまいまして・・・」と口述している。近衛文隆はだいぶ派手にピンルーとつき合っていたらしく、日本軍の憲兵隊は情報漏れを警戒して監視していたのだ。

あるいは、後の漢奸裁判で丁黙邨をして、「テンピンルーと密友(親友の意味)の仲」、と答弁せしめた、特務部思想班所属の反戦派、花野吉平の事を指しているのだろうか。しかしテンピンルーの妹、天如さんの言葉からは、花野の片思いに近いだろう。

残念ながら、パラマウントでの出来事について松崎の記述はここまでで終わっている。

上海人文記 3へ続く






























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