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2008年8月 9日 (土)

上海人文記 5

松崎啓次の「上海人文記」の「戴志華の銃殺」の章より、抜粋引用を続ける。

戴小姐は鄭蘋如(テンピンルー)の仮名でありここでは本名で表記する。また丁黙邨は原作では馮という姓になっている。

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劉吶鴎(りゅうとつおう)は、真っ暗なジェスフィールド公園のベンチに座って、静かにしゃべり続ける。

「丁黙邨が撃たれたその日、ピンルーは丁黙邨と二人で、静安寺路の時計屋へ行ったそうだ。丁黙邨は彼女の誕生日に時計を贈り物にしようと言うのだ。時計はあったが、少し鎖を修繕してほしいので、ピンルーだけ残って、丁黙邨が外へ出た。その時テロの人たちが丁黙邨を目がけて撃ったのだ。丁黙邨はとっさの間に傷つきながら逃れ去った。工部局や維新政府側では、ピンルーを参考人として連行しようとする。彼女はうるささに、無我夢中で逃げ出したのだ。家へは帰らずに、あっちの友人、こっちの知人と、廻ったらしい。そのうちにもう政府側でも、工部局でも、彼女が重慶側の手先として、丁黙邨を撃ったことに決めてしまったらしい。彼女はやぶれかぶれになった。

そして昔の恋人の所へ飛び込んだのだ。が、政府側の追求の手は激しく、今やその恋人と二人で、隠れ家に窮して大澤さんのところへ救いを求めに来た、というのだ。僕は彼女の言葉を必ずしも全部信用することは出来ない。が、全部嘘だとも思わない。なぜならば、国旗を胸の底に持っていない悲しい人の気持ちを、僕は知っているからだ。僕は台湾人だ。しかし、台湾や日本で育った幼少の頃をのぞいて、ずっとこの上海に住んでいる。僕は日本人に会って、話の中で、台湾で生まれたと言うと、必ずある種の軽蔑を感じる。

もちろん、中国人たちも僕のような日本人くさい中国人を特殊な目で見ていることを知っている。こうした者が、はっきりと国旗を背負った人たちの間に立った場合、どんな風に混乱し、どんな風に二つの反対の側から猜疑心を持って見られるかがはっきり僕はわかる。ピンルーの場合も、最初はきっといい意図と、正しい考えを持っていたのだろう。しかもかわいそうに、維新政府側から、テロ犯人として狙われる運命になった。

Srp_cover_2 大澤さんは、彼女と彼女の恋人を、維新政府の人に手渡さざるを得ないことを説明してやってくれと言う。もちろん、大澤さんは、あの人の出来る限りの力を尽くして、彼女のために助命運動をして下さるだろうが、一旦政府の手に渡れば、彼女の運命はもう決定的だ。なぜ僕がその宣告をしなければならないのだ。僕は大澤さんの家を逃げ出してきた。が、考えてみると彼女に説明してやって決心させるのが、あるいは一番よかったのかもしれない」

松崎は、黙って聞いていた。背筋を冷たいものが通りすぎる思いであった。とうとう彼の見た夢が正夢になる日が来たのだ。劉吶鴎がピンルーに逢う。それは何かの不吉の前兆ではないか。劉君をできるだけ早く彼女から切り離さなければならない。松崎は立ち上がると同時に、夜更けの街を、大澤君の住むフランスタウンへと急いだ。

Srp_instrumentals_3 1940年の初夏、松崎は日本にいた。上海で妻を失って、松崎は放心したようになって、日本へ帰ってきた。その夜の出来事を、松崎は忘れることはできなかった。妻は次第にかすかになっていく呼吸の中で、低く松崎の名を呼んだ。松崎は彼女のベッドの脇に座った。彼女は眠り続けている。酸素吸入と、数本のカンフルを続ける間にだが、彼女の息は絶えた。その夜中を、松崎はまんじりともせず彼女を見守っていた。奇跡を信じて。彼女の呼吸がもう一度戻ってくる奇跡を信じて。

夜が明けた。彼女は死んでいる。霊柩車に載せた彼女の身体の上に、白い花を置いた。車は動き出した。松崎はなんと言うことなく空を見上げた。青い空に、大きな、大きな日本の国旗と、青天白日旗が揺れている。そうだ、今日は4月26日。南京では汪精衛氏を首班とする、新中央政府が樹立される日だ。そして中華映画のスタッフが、その新しい中国の誕生を記録すべく、活躍する日だ。フユノは、その前日に死んだのだ。

松崎は日本に帰った。幾年振りで新緑の故郷、京都を眺めたことだろう。緑の淀川堤、加茂の河原、葵の咲く祭りの日などを、うつつの様に松崎は過ごした。

6月のはじめであったろうか、松崎は都ホテルから電話で呼び出された。

「ハロー ミスター マツザキ?」

「イエス スピーキング」

「ミスター マツザキ ハウドゥユードゥ?」

忘れていた支那の声だ。誰だろう。思い出した。穆時英(ぼくじえい)だ。どうして京都に来たのだろうか。松崎は都ホテルに駆けつけた。彼は、陳公博(ちんこうはく)、褚民誼(ちょみんぎ)、林柏生(りんはくせい)らの答礼使節団の一行に加わって、東京に来た帰途を松崎に会うため、一旦京都に残ったのだという。

穆時英は、松崎達と仕事を共にするため、四ヶ月ばかり前に香港からやって来た。穆時英、妻フユノらは、一つの文学グループを作るはずであった。フユノは、穆時英の絢爛たる文章を特別好んでいたし、穆時英もまた、松崎達の所へやってきては、日本文学の最近の傾向等を、フユノに尋ねるなどしていた。

松崎は穆時英を連れて、ケーブルカーに乗り叡山を越えた。彼は言った。

「ここは支那の農村に似た村だね」

二人は坂本の田舎道を歩き、蒸気船に乗って琵琶湖を渡った。船の上からの湖は、彼らに杭州の西湖を思わせた。夕暮れ、二人は琵琶湖ホテルのロビーにいた。ホテルのガラス越しに琵琶湖が見えた。湖の向こうに大津の灯りがまぶしく、空には星が一面に。風が時々音をたてて窓を打った。


穆時英も松崎も支那を考えていた。二人は期せずして、お互いに知人であるあの人、この人の噂を次々と繰り返した。穆時英はふと思いついたように話題を転じて語り出した。

Srp_instrumentals_4 「僕は最近、南京のある友達から素晴らしい話を聞いたんだ。いつか暇ができたらこれをテーマに小説を書こうかと思う」 

「ある晴れた日の朝、中山路から続いたポプラの並木道を、一台の自動車が走っていく。自動車の中に、女を真ん中にして男が二人、女は素晴らしい美人である。二人の男は彼女を銃殺するために連れて行くのだ。もう南京の街はずっと後ろに消えてしまった。刑場も近いだろう。その時、女は初めて男たちに口を開いた。「ね、ご覧なさい、私の顔を。綺麗でしょう。私はこの顔のためにとても苦労したのです。でも私は私の顔を、私の心と同じ程に誇っています。私が撃たれる時、どうか兵卒たちに、この顔を狙わないように命令してください」その女が、それは重慶側のスパイだったようだが、そう言って殺されたんだよ。ね、いい話だろう」

Shanghai_reinterpretations 「その人の名前を知っているかい?」

松崎は何気なく尋ねた。

「ううん、知らない」

「そう・・・」

その女はピンルーだったのだろうか? 


「まさか」


松崎は迷いつつ星空を仰いだ。松崎は、又大きな青天白日旗が風に揺られているのを見た。

「テンピンルー、この美しい少女ももうこの世にはいないのではあるまいか・・・」


終わり

注:原文を元に一部省略、わかりやすい表現に変更した部分があります。引用する場合は必ず原文を参照ください。国会図書館で閲覧、複写できます。

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テンピンルー」カテゴリの記事

コメント

Cosmopolitanさん。
そうですね。史料としては、やはり、これも「行間」を真剣に読みとらなくてはなりません。結局なぞがいっぱい残りました。映画人らしく、映画のシナリオ的記述が多くて、今まで読んだ史料の中ではいちばん臨場感がありました。それとピンルーに対して愛情を持って記述しているところも個性的でした。ただ、彼の限界は、当時の一般的な日本人と同様、中国人の中には親日的な人も多いのだ、という思いこみですね。川喜多長政はその辺はクールで、親日をしかたなく装っている中国人、という理解の仕方をしていましたよね。

それにしても同じ劉吶鴎氏の友人、テンピンルーと李香蘭。ピンルーの死と、その後中華電影から華々しくスターダムにのし上がった李香蘭の二人を知るにつけ、光と影のコントラストの大きさを感じざるを得ません。

投稿: bikoran | 2008年8月10日 (日) 17時57分

R16さん。福原愛ちゃんは、中国でのインタビューの受け答えは中国人的になるんですよね。空港で混乱に巻き込まれると「警備員さんが守ってくれるので安心していました」長野の混乱の時もそうだったかな。彼女は、中国人の茶の間のテレビの向こうの中国人の顔が見えてると思います。だから胡錦濤が来たときも安心して一緒に卓球できるし。彼女は立派な外交官だと思います。

投稿: bikoran | 2008年8月10日 (日) 17時40分

「上海人文記」の紹介、有り難うございました。丁黙邨狙撃事件の生々しい記憶が残っている頃に書かれた貴重な資料。松崎は、おそらく関係者に配慮したのか、意図的に韜晦している箇所もあるようなので、史実の特定は依然として困難ですが、それでも、劉吶鴎が、事件後潜伏していたテンピンルーについて述べている箇所にはリアリティを感じました。

 「ピンルーや僕のような者が、はっきりと国旗を背負った人たちの間に立った場合、どんな風に混乱し、どんな風に二つの側から猜疑心を持って見られるかがはっきり僕はわかる」

彼自身が抗日派の特務機関に暗殺されたことを考えると、この言葉は、読むものの肺腑をえぐるものがありました。

投稿: Cosmopolitan | 2008年8月10日 (日) 13時21分

折しも北京オリンピックが開幕しました。
卓球の福原愛選手。
中国で修業し、流暢な北京語を身に着け、中国人の感性を持っている。
日本はもちろん、中国での人気も相当なもののようです。
戦前と戦後。
生まれた時代により、日本と中国、二つの感性を持つ人間の人生は大きく違う。
現代人はテンピンルーから学ぶことが多そうです。

投稿: R16 | 2008年8月10日 (日) 07時04分

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