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2008年8月21日 (木)

梅機関「丁黙邨側工作報告」

影佐機関、通称梅機関を中心として、国民党ナンバー2の汪精衛(汪兆銘)をトップに据えた政権づくりの工作が1939年から翌1940年に渡って上海で進行していた。親日和平派の政権である。それに対して国民党ナンバー1の蒋介石は、蘭衣社とCC団を中心に、親日派の暗殺をもって対抗していた。

その暗殺部隊に対抗するのが梅機関から資金援助を得たジェスフィールド76号である。1939年2月10日付けで参謀総長から梅機関にジェスフィールド76号設立の命令書が出ている。その頭目はあえて競争させるかのように二人おかれた。怜悧な頭脳派の丁黙邨(ていもくそん ティンモートン)と人情派で社交家の李士群(りしぐん)である。李士群は、丁黙邨を上手にたてて、丁黙邨が実質のナンバー1となり組織は安定してスタートしていた。

梅機関は参謀本部、陸軍省、中支那派遣日本陸軍にこのジェスフィールド76号の活動報告書を毎月1回送付していた。それが、「丁黙邨側工作報告」である。

鄭蘋如(テンピンルー)が関与したと言われる丁黙邨暗殺未遂事件は1939年12月に起こった。その月の25日、第12次報告書が提出されている。またピンルーが処刑された2月、やはり25日に第14次報告書が提出されている。これらは「日中戦争 対中国情報戦資料」第6巻で複写を見ることができる。

その報告書には、ジェスフィールド76号が、蒋介石国民党側謀略組織の構成員の逮捕、処刑、釈放、そして寝返りに成功させた者などが、氏名と性別、容疑内容とともに簡潔にリスト化されている。かなり毒々しい報告書である。特に女性の名前を見つけると悲しい気持ちになる。私は、鄭蘋如の文字がもしかして載っているのでは、とおそるおそる1939年12月から1940年2月までの複写を見てみた。結局全く触れられていなかった。ピンルーが載っていないどころか、事件そのものが報告されていない。

「丁黙邨側工作報告」で、そのタイトルの本人である丁黙邨が狙撃された事件について全く触れられていない。これはどう考えても隠蔽ではないか。公式的には事件はなかったことになっているようだ。林秀澄がピンルーを拘束したとき、処置をジェスフィールドに投げた。しかも、ジェスフィールドには「死刑が適当」だと示唆しながら。これも後の責任を問われないようにする一手だったのだろう。ピンルーとピンルーを取り巻く一連の事件、情報漏洩に日本側は関与してません、というポーズをとり続けたのだろう。

そして、戦後、ジェスフィールド76号設立の立役者であり監督者でもあった晴氣慶胤(はるけよしたね)による「謀略の上海」(1951年)を皮切りとする様々な小説、文献でのピンルーへの誹謗を含む表現。これらは、将来、事件が明るみに出たときに、日本側が死刑を示唆したことを正当化させる思いがこもっているようにも見える。

ここで、松崎啓次の「上海人文記」の中で、丁黙邨暗殺未遂事件を想記させる事件が、なぜ1939年6月に起こったというように半年時期をずらしているのか という疑問が、私なりに解消した。

松崎は、梅機関つまり、日本軍に遠慮した、あるいはもっと言うと、検閲に近い圧力を受けていた、ということではないか。梅機関にしてみたら、ピンルーはいなかった、事件もなかった、ということにしたかったのではないか。ピンルーを通じた情報漏れの責任を問われかねない憲兵隊にしても、やはり、ピンルーはいなかった、ということにしたかったのかもしれない。となると、「上海人文記」ではこの事件を題材にしつつも、日本側にはこの事件は無関係だと装うことが松崎にとって必要となったと思われる。「丁黙邨側工作報告」という公式報告書に載らない事件をそのまま事実を記述して出版することは難しかったのではないか。

事件の時期のズレだけではない。ピンルーは「上海人文記」の「戴志華の銃殺」という章の中では最初から最後まで戴小姐(タイ シャオチェ)という仮名になっている。丁黙邨にも馮(ヒョウ)という仮名を当てている。他の登場人物は日本軍人を除いて全て本名である。そして、暗殺未遂の場所は毛皮店ではなく、時計店である。おもしろいことに、やはり事件直後に、李香蘭をヒロインとして描かれた中華電影の映画「支那の夜」(1940年)でも、場所は毛皮店ではなく、宝石店になっている。

松崎は、「上海人文記」の前書きの中で、「映画「上海の月」のヒロイン袁露糸(エン ローシ)と許梨那(シュ リナ)は、この本の中のであり、徐である」、と書いている。徐はこの本の後半の「徐小姐のロケット」という章に出てくるヒロインである。しかしという名前は本文中には出て来ない。この前書きはおかしなことになっている。戴と書くべきところを鄭と書いた。当初は本文の中でも鄭蘋如の本名を使っていたのかもしれない。検閲逃れのため、やはり仮名とすることが必要となったのではないか。

ならば全ての「鄭」という名前を「戴」に変えるべきだったろう。しかし、前書きに一カ所だけ「鄭」という文字を、まるで誤字であるかのごとく残した。彼はこの一文字によって「袁露糸、そして戴小姐は鄭蘋如のことなのですよ」と、将来の読者に伝えようとしたのではないだろうか。そう私は想像している。

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