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2008年8月25日 (月)

上海のトップダンサー マヌエラ

さて、前々回の記事で映画「上海の月」の広告を掲載したが、出演者の一覧に目をやると、特別出演として「ジョウ・ファーレンス・ショウ」と記載されているのにお気づきだろうか。また、1941年7月発行の「日本劇場ニュース」(第259号)にも、下のような紹介記事があり、同じように、特別出演「ジョウ・ファーレンス・ショウ」と記載されている。

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ジョウ・ファーレンス・ショウと聞くと、以前に読んだ本に出てきた一人の女性ダンサーを思い浮かべざるを得ない。当時の上海のトップダンサー、マヌエラだ。マヌエラをプロデュースしていたのは、新聞記者であり、実態は上海ショービジネス界の影のボス、アメリカ人のハロルド ミルズだった。マヌエラがまだオキ マヤという芸名で、日本人街虹口(ホンキュウ)の「ブルーバード」、そして、上海最大のナイトクラブ「シロス」で踊っていた頃、彼女を見いだした。彼女の本名は山田妙子である。

ミルズは、日本人ダンサー、オキ マヤとマネージャー契約をし、一枚の紙を渡した。そこには次のように書かれていた。

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芸名 ミス マヌエラ
履歴 1915年1月20日、ハワイホノルルで生まれる。10才の時、現地で初舞台を踏む。その後、両親とともにタイのバンコクへ移住。ここでオリエンタルダンサーとして世界的名声を博しているボンベイのランボヤ教授に見いだされ、彼に師事してインド、タイ、ジャワなどのエキゾチックダンスを徹底的に仕込まれた。その後さらに名手ジャスタス パスコラの指導でスパニッシュダンスも修得し、現代のキャラクターダンスに必要とされる技能を完全に身につけた。

最後の文章以外、全てミルズの宣伝用コピーライティングである。山田妙子はこのように日本人でありながら、国籍不明のエキゾチックなダンサーとして売り出されることになった。

1939年12月、上海のジェスフィールド公園近くの歓楽街、愚園路に軒を並べるナイトクラブの一つ、「アリゾナ」で踊っていたマヌエラは、1月いっぱいまでそこで踊る契約をしていた。クリスマスイブの夜(ちょうどピンルーの丁黙邨暗殺未遂事件の3日後)のこと、マヌエラが最後のショーを終えて休んでいると、ある客がテーブルに呼んでいると、一人のボーイが言う。疲れていたマヌエラは断った。しかしいつもなら上手に断ってくれるボーイが、「行った方がいいと思いますよ」と言う。

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彼女はボーイに客の名前を聞いて驚いた。上海でもっとも一流の客を集めるナイトクラブ、「ファーレンス」の社長、ジョウ・ファーレンだったのだ。彼はドイツ系のユダヤ人で、日本の憲兵隊とも友好関係にあった。テーブルに着き、ひとしきり会話をした後、ファーレンが、「一曲だけ踊ってくれないか」と言う。これは一種のオーディションだった。彼女はあれほど疲れていたのに、十八番の「ペルシャン・マーケット」と「タブー」を踊った。ファーレンは、翌月からの契約をその場で申し入れた。こうしてマヌエラは上海のトップダンサーとしての階段を上がっていったのだった。

ここまでの参考:「ルーズベルトの刺客」 西木正明

さて、話は脱線するが、一番上の写真の、「特別出演 ジョウ・ファーレンス・ショウ」のところの最後に、「指揮並びに歌 マイケル・コーガン」と書いてある。ファーレン自身がユダヤ人であることから、このジョウ・ファーレンス・ショウのメンバーもユダヤ系の可能性が高い。当時の中国、日本ででユダヤ系のマイケル・コーガンというとこの人の名前がでてくる。ドイツ語読みでミハエル・コーガンと呼ばれる人物だ。

1920年1月、ユダヤ系ロシア人として生まれたミハエル・コーガンは、ユダヤ人迫害を逃れて満州のハルピンにやってきた。そこで極東のユダヤ人保護に奮戦する特務機関長、安江大佐と出会う。安江大佐に感銘を受けたミハエル・コーガンは親日家となり、1939年、日本に渡る。早稲田経済学院でで貿易実学を学び、ロシア文学者、米川正夫の家に下宿、5年間滞在した。1944年に中国天津に渡り貿易業を始めた。1950年に日本に戻り、1953年に株式会社太東貿易を設立。これがゲームで有名な会社、現タイトーである。ゲームセンターでUFOキャッチャーをやったことがある人も多いのでは。それはたぶんタイトー製です。

ミハエル・コーガン=マイケル・コーガンなのだろうか。アルファベットで書くと両方ともMichael Kogan。映画「上海の月」が撮られたのは1941年のことである。ミハエル・コーガンが日本滞在2年目のことだ。特別出演の可能性は大いにあるのではないだろうか。私の想像は、「ユダヤ人経営の上海トップのナイトクラブ「ファーレンス」でロケを行うに当たり、日本在住の親日家ユダヤ人、ミハエル・コーガンに根回しを頼んだ。そして特別出演という形で、ファーレンスでの一場面で指揮者の演技と歌を披露してもらった。」 さてどうだろうか。



2010年12月10日追記

中丸薫 ラビ・マーヴィン・トケイヤー著「日本とユダヤ 魂の隠された絆」によると、ミハエル・コーガンはマイケル・コーガンとカタカナで表記されていました。ミハエル・コーガンとマイケル・コーガンは同一人物であり、Michael Koganのドイツ語読みと英語読みであることがわかりました。ただし、ジョウファーレンスショウに歌と指揮で特別出演したマイケル・コーガンが、そのマイケル・コーガンであることを証明する史料はいまだございません。 

マヌエラ一口メモ:松竹楽劇団時代に水の江たき子という芸名が気に入らず同僚と名前を交換している。その同僚はその後ターキー、こと水の江滝子として活躍した。またマヌエラの姪で女優内藤洋子の娘が喜多嶋舞とのこと。

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