« 梅機関「丁黙邨側工作報告」 | トップページ | 第二の李香蘭狙い? 汪洋 »

2008年8月24日 (日)

映画「上海の月」・・・ピンルーがモデルの映画

松崎啓次の「上海人文記」を原作とする映画「上海の月」。松崎啓次と劉吶鴎らを中心として設立にこぎつけた日中合作の中華電影と、東宝が共同で制作した映画だ。封切りは1941年7月。監督は成瀬巳喜男。(注:2010年1月2日追記  映画「上海の月」の原作は、「上海人文記」の中でも、「徐小姐のロケット」という章からそのほとんどを取っていることがわかりました)

「徐小姐のロケット」へのリンクはこちら ←クリック

当時の「映画旬報」や「映画之友」に広告(下の二つの写真)や批評、紹介記事などがあった。下記にあらすじを引用した。袁露糸(エン ローシ)が鄭蘋如(テンピンルー)をモデルとした役である。

以下引用

昭和12年(1937年)8月、北支の戦火はついに国際都市上海に飛んだ。灯火管制で真っ暗な日本人街、虹口(ホンキュウ )の一角に、江木大介の宿舎がある。精巧な聴取機の前に、今も吉野と小島は抗日放送に唇を噛んで聞き入っている。これを攪乱するにはその種の機械を入手しなければならない。

江木が帰ってきた。機械も近く届き、北京語アナウンサーとして、蔡という人まで決定したことを告げた。吉野は陽美英と面談することができた。江木の新放送局設立のために、陽もまたこの計画に参加することを誓った。(注:この映画を見た方のブログによると、幼稚園跡に放送機を設置したとなっているが、実際も、日本側管理地区の楊樹甫の幼稚園跡を使っている)

江木はホテルで親ドイツの要人、シュミット博士と面談した。そしてここで初めて陸氏と出会い、この三人の間に堅い締結ができあがったのである。

Photo

ホテルの1階にエレベーターが止まった。誰も乗っていないはずのエレベーターの中から、陸氏が胸を真っ赤に染め遺体となって転がり出た。江木はある支那人青年のために陸氏殺害の犯人だとさえされていた。このとき、この支那人青年を鋭く制する可憐な女の声・・・。まだ日本を知らぬ女性ではあるが、袁露糸(エン ローシ)は、故陸氏の姪、上海特区法院判事の娘。

外国租界では抗日ラジオが相も変わらず絶叫している。陽は妨害電波を送り、この抗日放送の邪魔をする。

避難する人達の中に、うら若き失業婦人、許梨娜(シュ リナ)が混ざっていた。やがて間借りの部屋に戻ると、ある商会の女事務員募集の広告を見つけた。その商会には多数の受験者が集まっていた。受験者に質問しているのは陽である。やがて梨娜の順番が回ってきた。そしてこの商会に梨娜は雇われることになった。彼女は新放送所のアナウンサーとして・・・。梨娜の加入で、これまで以上に抗日放送を妨害することができるようになった。

ある日、陽の乗っていたタクシーの後方から、無茶なスピードで一台のタクシーが機関銃を浴びせかけて来た。陽は無惨にも、第二の犠牲者となった。そして蔡も・・・。

袁露糸はレストランで、学友である許梨娜の仕事に自分も加入できないかと話しかけた。梨娜の紹介で、江木と露糸は再会した。露糸もまた、ここの放送局で働く婦人となった。その後、江木と露糸は日ごと伴って外出することが多くなった。

江木と露糸は公園で語らっていた。露糸は、梨娜が蘭衣社と縁の深い公安局にいたことを江木に語ってしまった。(注:別の映画雑誌に露糸と梨那は江木をめぐる三角関係、と書いてあったので、恋がたきの不利になる秘密を暴露したものと思われる。また、この映画を見た方のブログによると江木は密かに二人の素行調査をしていたようである)

Photo_2

露糸がアナウンスをし、梨娜があとで歌う放送がしばらく続いた。梨娜も抗日テロ団に襲われ、危ういところを江木に救われる。梨娜は男らしき江木の姿が、しっかり自分の胸の奥深く食い込んでいるのを知った。

クリスマスイブには、江木、露糸、梨娜の3人がキャバレーに姿を見せた。梨娜が首から下げているロケットの中に秘密のあることを露糸は見破った。そのとき、シャンデリアが一斉に消えた。あやうく抗日テロから難を逃れる江木。この事件は裏で露糸の手引きがあった。

乱闘の場から姿が見えなくなり、行方不明になっていたはずの露糸が、放送局になにげなく現れた。この放送局にも抗日テロ団によって時限爆破装置が工作されていた。午前10時半爆発の瞬前である。梨娜は露糸の計画を知っていた。露糸こそ、一皮むけば恐るべき抗日テロ団の手先だということも・・・。

露糸の部屋に不思議な電話がかかってきた。どうしても本当のところを吐かせようとする梨娜は、露糸からピストルの筒先を向けられた。身を翻す梨娜に、露糸のピストルが火を噴いた。

意識の戻った梨娜は、鍵の無い扉に全てを悟り、よろめく身体で出て行く。9時過ぎに放送局に駆け込んできた梨娜の報告に騒然となる。事務所に急ぎやってきた吉野達の目についた物は・・・・。ただ封書が一通だった。露糸の手紙と、梨娜のロケットを見て江木は愕然とする(注:露糸は気絶した梨娜から、前から気になっていたロケットを奪い、中を見たのだろう。そこには江木達に対する思いがこめられた何かがあったのだろう。それを見て露糸は感動し手紙をしたためたようだ)。露糸は、江木達に対する梨娜の真心を知り、はじめて自分の非を悟った。そして露糸は抗日テロ団を裏切り、命をかけて放送局の安泰を計るのだった。

今は全てを知った江木からロケットを返された梨娜は、彼の足許にひざまづき、「わたしを日本に連れて行ってください」と激情を打ち明ける。

江木は低く優しい声で、「まだ日支間の不幸な溝は大きい。溝を除くためにお互いは働くのだ。どこに離れようともどこまでも結んで・・・・」と励ます。新しい力を与えられた梨娜はどんなに疲れていても今夜もマイクに立った。

大上海の月は美しい。その月の下の路地で、流れくる梨娜の歌声を聞きつつ、露糸は抗日テロ団による制裁の手に倒れた。強い愛情と新しい望みに輝く梨娜を残して、江木が前線へ発つ。(注:この映画を見た方の評を見ると、エンディング近くでは「日支の繁栄を妨害するのはテロであり、テロは万国共通の敵だ!」という意味のテロップ文字が何度も入るらしい)

以上が、「日本劇場ニュース」(259号)に記載された映画紹介の引用である。抗日テロは敗れ、抗日の女性もやがては親日に変わる。李香蘭の「支那の夜」もそうであったがこの当時の映画のある種典型的なエンディングである。そしてこれは多分に検閲を通すことを意識していると思われる。検閲と映画についてはこちらのサイト「李香蘭と支那の夜」に詳しい←クリック

江木と二人の中国人女性の単なるメロドラマとなりそうなところへ、抗日スパイが親日に変わることで対中政策の正当性を訴えるとともに、防諜意識を高める映画とする。そして検閲を通すわけである。

 

この映画のあらすじを読んだ当初は、ピンルーをモデルにした袁露糸がラジオ局のアナウンサーであることに違和感があったのだが、「上海人文記」の「戴小姐の銃殺」を読んで、ピンルーが日本軍特務の作ったラジオ局のアナウンサーをしていたことがわかったので、その違和感は解消した。

2010年1月6日追記:また、袁露糸以外にも、抗日スパイと疑われる中国人女性アナウンサー、許梨那がいるのが当初は映画としての演出と思っていたが、「上海人文記」の「徐小姐のロケット」を読み、実際に二名の中国人女性アナウンサーがいたことがわかった。

さてプロデューサーの瀧村和男が映画旬報(1941年 第18号)に主題を書いている。

総力戦下における文化戦。特にその重要な一翼たるラジオ放送による宣伝啓蒙戦の重要性を広く紹介しようとするもの。事変直後の上海に舞台を取り、抗日デマ放送を粉砕すべく抗日テロの魔手と戦いながら新東亜における日華両民族の共存共栄を目指して、放送局建設の苦闘を続けた文化戦士達の活躍を主題に、日本人、中華人の協力と友情の姿、南京陥落後の上海における抗日運動の敗北、租界内の敵情等を描こうとするものである。

軍部の方針に従わざるを得ない作品であることがよくわかる文章である。また、原作である松崎啓次の「上海人文記」の「戴志華(タイシホワ)の銃殺」の章にはあった、ヒロインが持つ日中ハーフの血による精神の分断状況というものは、この映画では描かれなかった。

ハーフではないものの「李香蘭」の人生そのものに、日中間で引き裂かれたアイデンティティの相克をうまく表現しているのかもしれないと感じる。

2013年7月7日追記:李香蘭の研究家であるCosmopolitanさんのブログに1940年2月9日付けの「都新聞」の記事の紹介がある。そこに、なんと、「上海の月」のヒロインに李香蘭が予定されていたように取れる記事があった。

Cosmopolitanさんのブログへのリンク

以下、記事の引用


本格的に歌の勉強

  李香蘭・三浦環入門 -初対面は師の病床で

 

○・・・「満映 の」といふより今はもう「日本の」スターになった李香蘭、これ迄のやうな単に珍しさや美しさだけでは、永い生命は保てない事を痛感し、本格的に歌ふ修行をする事になった。

 

○・・・幸ひ今は東京 住ゐ、これ迄いろいろと紛擾のもとになったマネージャーとも絶縁、今後は満映東京支社で万事アレンヂして貰ふ事になった。先月の台湾巡演も満映宣伝部の手で行ひ、忙しい中で台湾の民謡を勉強してきた。

 

○・・・帰京後、先生に迷ってゐたが、茂木支社長の斡旋で、三浦環に師事する事となり一昨日初対面した。環女子は目下盲腸炎に引き続き腹膜炎で九段 の某病院に入院中である。 そこで、その初対面は病院にお見舞いという形式で行われた譯である。

 

○・・・李香蘭はこれを機会に舞台、映画の生活にも一新を画する覚悟で、今日、陸海軍省を訪問一千円宛二千円の献金 を行ひ、又来月の東宝 劇場のエノケン 、白井鐵造初コンビのレヴィュウ「浦島太郎」にも乙姫の役で出演の交渉を断り、東宝の「上海の月」にも、脚本にダメを出している。

 

○・・・満映でも亦、この意気を買って声楽 家李香蘭の為にレサイタルを開くプランもあり、かくて今年は新しい李香蘭が生まれ出るであろう。(写真は病床の三浦環を見舞う李香蘭)

引用終わり

やはり、李香蘭はテンピンルーを知っていた。そう確信する記事だ。

|

« 梅機関「丁黙邨側工作報告」 | トップページ | 第二の李香蘭狙い? 汪洋 »

テンピンルー」カテゴリの記事

コメント

kazami様

コメントありがとうございます。
フィルムの半分が失われたのは本当に残念ですね。しかも残った半分も見る機会がほとんど与えられていません。一生に一度見ることができるのかどうか・・・。データ化して公開を望むところです。


当ブログ内にあります原作の「上海人文記」と「徐小姐のロケット」を読むと、この映画の理解がさらに深まると思います。ぜひご覧になってください。

投稿: bikoran | 2011年3月 7日 (月) 09時08分

失われたフィルムはこの形でまだ生きているような。
有り難うございます!

投稿: kazami | 2011年3月 7日 (月) 02時51分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 梅機関「丁黙邨側工作報告」 | トップページ | 第二の李香蘭狙い? 汪洋 »