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2008年10月 9日 (木)

ピンルーの妹、鄭天如さんの記者会見記事

ピンルーの妹、鄭天如(鄭静知 テン ジンチー)さんのロスアンジェルスでの記者会見の英文記事を見つけので転載しました。2007年9月、映画ラストコーション(Lust, Caution)の公開される直前の記者会見の記事です。

彼女は5人兄弟の末っ子のピンルーの妹。生まれたとき親にもらった名前は「天如」でしたが、今は通名として「静知」という名前を使っているようです。

「静けさを知る」、この名前にこめられた思いはそのまま彼女の一家が経験した荒れ狂う歴史を物語っているように感じます。

Zheng Pingruが鄭蘋如(テンピンルー)、
Zheng Jingzhiが妹、鄭静知(テンジンチー)さん、
Zheng Yueが父親、鄭鉞(テンユエ ていえつ)です。

英文の後に日本語訳を載せました。

引用開始

Some journalists have described Zheng Pingru as a coquettish lady and a hetaera. They alleged that many young men were attracted to her beauty and wanted to elope with her when she was caught and imprisoned by the enemy.

These reports irritated Zheng Jingzhi. She said that she could understand how art exaggerates and distorts real life according to the artist's imagination, but she couldn't accept the fact that film viewers would relate to her sister as a heroine who indulged in lustful acts. She stated that such a portrayal was disrespectful to a person who had sacrificed her life for her country.

She also said that Zheng Pingru was secretly murdered by a spy organization run by the Japanese Puppet Regime in 1940 because of a failed assassination plot. At that time Zheng Pingru was only 23 years old and had only enjoyed one short-term boyfriend before she died.

Zheng Jingzhi mentioned that their mother, Hanako Kimura, was Japanese. During the Anti-Japanese War she remained in Shanghai with her husband, Zheng Yue, rather than return to her mother country.

After the assassination plot failed, the Japanese Puppet Regime agreed that if Zheng Yue would work for them, they would set Zheng Pingru free. Although he clearly loved his daughter, Zheng Yue refused their request. Moreover, Hanako Kimura supported her husband. Eventually, Zheng Pingru was secretly murdered in prison.

Zheng Jingzhi added that their eldest brother, a Chinese pilot, also sacrificed his life for his country.

Zheng Jingzhi said that although she was only twelve or thirteen years old at that time, she still can clearly remember everything.

Ang Lee wins the Golden Lion at the Venice Film Festival on September 8

(China.org.cn by Chen Lin, September 14, 2007)

魅惑的でさらには高級売春婦としてテンピンルーを記述したジャーナリストもいました。 彼らは、当時多くの男性が彼女の美しさに引き付けられ、彼女が敵によって捕らえられて投獄されたときは、彼女と駆け落ちしたがっていたほどだ、と書き立てました。

これらの報道は鄭静知(テンジンチー)をいらだたせました。 彼女は芸術家の想像によって、現実が誇張され歪めるのは理解できると言いましたが、映画を見た人が貪欲な行為に満足したヒロインとして彼女の姉を見なすのではないか、ということを認めることができませんでした。 人生を国に捧げた人に対し、そのような描写は失礼であると述べました。

また、彼女は、ピンルーは1940年に暗殺工作に失敗したため、日本の傀儡(かいらい)政府が運営するスパイ組織によって秘かに殺害されたと言いました。当時 ピンルーはわずか23歳※で、亡くなる前に短い期間おつきあいしたボーイフレンドが一人いただけでした。
(※妹の鄭静知さんは姉ピンルーが23歳の時亡くなったとかたくなに主張している。史料からすると、おそらくピンルーが満25歳の時である)

鄭静知は、母親木村はなが日本人であると言及しました。 抗日戦争の間、木村はなは母国に戻るのではなく、彼女の夫、テンエツと共に上海に留まりました。

暗殺工作が失敗した後、日本の傀儡政府は、自分らのために(主席検察官である)テンエツが働いてくれるなら、ピンルーを釈放すると伝えてきました。 テンエツは娘を強く愛していましたが、この提案を拒否しました。 さらには母親木村はなも夫を支持しました。 ついにピンルーは獄中で秘かに殺害されてしまいました。

鄭静知は、また、彼らの一番年上の兄(中国軍パイロット)も彼の人生を国に捧げたと付け足しました。

鄭静知は、この事件の時、ほんの12歳か13歳※でしたが、彼女はまだ全てをはっきり覚えていると語りました。(※史料からは13歳か14歳と思われる)

アン・リー監督は9月8日にベネチア映画祭で金獅子賞を獲得しました。

(2007年9月14日 チェン・リン)

以上引用部分終わり

さて、ピンルーの故事について多少なりとも知った私としては、妹、天如さんがこのような主張をするのは当然であり、またすべきだったと思います。同時に、映画ラストコーションの制作者側も、このような反応が出ることは当然と受け止めるべきであり、それに過剰反応する必要は無いでしょう。実際に制作者側はなんら反論していません。

天如さんは、「事実は事実で、映画は芸術作品であり、それぞれは別物」、と言いたいだけでしょう。そして今まで明らかになっていなかった新たな事実を、2007年になって少し披露してくれたのです。ピンルーの直接の記憶を持つ人はもはや彼女だけです。素直に耳を傾けたいと思います。こちらにテンピンルーの記事を最新の情報を参考に加筆訂正してありますので、ご覧下さい。

私の感想は、「親日」=「漢奸」の恐怖は想像以上に強いものがあったのでは?というものです。天如さんも、鄭一家が抗日中国人の一家だったということを、兄の空軍入隊のこと、日本人の母が戦争勃発後も日本に帰らなかったこと、父が娘の命を犠牲にしてまで親日にすりよらなかったことを挙げて、強調しています。

さて、当時日本側に同調し、正規軍同士の軍事衝突を避けたという意味に限って言えば、つかのまの平和を上海にもたらした中国人漢奸たち。彼ら彼女らについての考察は、いずれ当ブログで必要になるかなと思っています。

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