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2008年11月20日 (木)

漢奸裁判史 川島芳子 1

丁黙邨の次に、李香蘭とも交流のあった川島芳子(中国名、金璧輝)を取りあげる。なんの因果か、益井康一氏の著書「漢奸裁判史」(1977年、絶版)でも、丁黙邨の次の章が川島芳子である。彼女の漢奸裁判について、引き続き本書より一部抜粋する。なお、判決理由書は、山口淑子氏による「李香蘭を生きて 私の履歴書」(日本経済新聞社)の方がむしろ詳しく掲載されている。(引用文は太字で示し、抜粋要約)


1945年8月15日の終戦日から約二ヶ月後の10月10日、北京紫禁城で、北支地区の日本軍が降伏文書に調印した。その日、川島芳子が北京で逮捕された。彼女を捕らえたのは、2年間も彼女の隠れ家にボーイとして雇われていた男であった。その男の正体は蘭衣社の地下工作員であった。彼女の消息はそこからぷっつりと切れる。

約1年後の1946年7月3日、北京の新聞が「金璧輝は、7月2日河北高等法院に移送され、近く公判に付される」と報道した。

(中略)

そこからさらに1年以上後の秋、彼女の消息がようやく明るみにされた。彼女の第一回公判は1947年10月8日、河北高等法院でやっと開廷の運びとなったが、この有名な女性の姿を一目見ようと殺到した群衆は3千人を突破したという。それが我先を争い、狭い法廷に押し寄せ、喧嘩が起こる、殴り合いが始まる、そして法廷の扉や窓ガラスをたたき割るやら、イスを踏みつぶすやら、大混乱に陥ってしまった。このため裁判は一時延期され、公園の広場を臨時法廷として、公開裁判が行われた。

だが大詰めは意外に早くきた。10月22日の公判で彼女は死刑判決を受けた。彼女はこれを不服として、南京の最高法院に上訴し、再審請求した。1948年3月3日の報道によると、最高法院は原判決支持の判決を下した。これで死刑が確定した。

判決理由は次の通りである。

請求人、金璧輝は、清国の粛親王の娘で、日本人川島浪速の養女となり、川島芳子と名乗った。幼時より養父の訓育を受け武士道を注入され、中国語、日本語、英語、フランス語と、文学に通じ、男装を喜び、講演をよくし、ダンス、水泳、射撃、乗馬に長じ、自動車、飛行機操縦の技能を収めた。

養父川島浪速は、頭山満、近衛文麿、多田駿、松岡洋右、小磯国昭、東条英機、土肥原賢二、岡村寧次、和知鷹二らと連絡があり、請求人もこれらと接触して武士道精神を養成し、軍事、政治についての関心を深めた。父、粛親王は清国再興を図ったが成らず、請求人は外力を借りて父の遺志を遂げようとした。日本政府はそれを利用し、満州事変後、中国に対する秘密工作に従事させた。

請求人は1931年上海に至り、ダンサーとなり我が国の政治、軍事情報を探り、日本を助けて翌年、第一次上海事変を発生させた。また兄、金璧東と溥儀の妻を護送して、長春(新京)に赴き、満州国政府を組織し、皇宮の女官長となった。

支那事変発生後、日本の駐天津軍司令部の多田駿、特務機関長の和知鷹二らと共謀し、汪兆銘を利用し、偽国民政府の樹立に努力し、我が政府を転覆させようとした。その後、偽河北人民自衛軍総司令、北京満州同郷会総裁、中華採金公司董事長、留日学生総裁等に任じ、終始一貫して日本に通じ、国に反逆した。

我が国勝利後、1945年11月、軍事委員会北京行営督察所が逮捕したが、請求人の罪状は軍事委員会調査統計局での自白書を見ても明白である。また日本人、村松梢風著「男装の麗人」および、李香蘭主演映画「黎明の暁」(このタイトルは誤りと思われるが、原文通りにしておく)、また「満州建国の黎明」(注:このタイトルは「満蒙建国の黎明」と思われる)、その他請求人方の家宅捜索で押収した日記、手紙等によっても立証される。

Photo_2 さて、山口淑子氏の自伝「李香蘭を生きて」の注釈によると、「黎明の暁」なる映画への出演は山口氏は記憶になく、似たタイトルの映画「黎明曙光」(1940年9月公開)にも出演しておらず真相は不明とある。ただ、ひょんなことから、李香蘭が歌舞伎座の「黎明曙光」という公演に出演していることが判明した。これは李香蘭情報としては新たな発掘かもしれない。(上の公演チラシの写真参照)。

李香蘭が特別出演している。日にちが書いておらず、毎夕5時開演とだけ書いてあるので、歌舞伎座周辺での手配りチラシのようなものだろうか。推薦者として拓務省とあるが拓務省は1941年11月1日に大東亜省に発展解消しているので、この舞台が演じられたのは1940年9月から1941年の10月までの間である。1941年の2月には李香蘭は日満親善歌う大使として来日しており、有名な「日劇7回り半事件」がおきている。彼女はその合間を縫ってこの舞台に出たのだろう。

Photo_2 また、1932年に当時人気絶頂であった女優、入江たか子主演で溝口健二が監督、川島芳子をモデルとした「満蒙建国の黎明」という映画が満州をロケ地として制作されている。このことから、漢奸裁判判決文にある「黎明の暁」というタイトルは、李香蘭特別出演の舞台「黎明曙光」と、入江たか子主演映画「満蒙建国の黎明」(上の写真)を混同したものと思われる。

さて、益井康一の「漢奸裁判史」に戻る。

川島芳子はこの死刑を宣告する判決書を受け取ってからも北京の地方法院に再審請求を提出した。却下されると河北高等法院に抗議書を提出した。その抗議書の中で、「私は日本の高級将校と親密な関係にあった田島芳子という女性と間違えられている」と述べ、再審の懇願を続けた。

そのころAP通信の記者が獄中の彼女を訪ねた。その会見記によると、二年間の長い獄中生活で彼女は健康を損ない、上の歯は抜け落ちて、まるで人が変わったようになっていた。大きな黒い瞳がわずかに在りし日の美しさの名残りであった。相変わらず髪は男刈りで短くし、ねずみ色のジャケットにズボンをはいていた。

続く

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