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2008年12月の4件の記事

2008年12月31日 (水)

上戸彩「李香蘭」(再)を見て

上戸彩の「李香蘭」再放送を見た。2年も待ったので、なにか特別なものでも見るような感じがして、一人でちょっと緊張してしまった(苦笑)。

通しでこのドラマを見るのは、たぶん3回目だと思う。本放送、DVD購入時、そして今回。毎回感じ方は変わってくる。

ラストの野際陽子さんの李香蘭、北京の城壁の上で、

「平和を」

Photo_4 とひとこと言って終わる。私は今まで、この言葉を李香蘭こと山口淑子さんの言葉に感じていた。彼女の切なる思いだと。

今回は違った。鄭蘋如(テンピンルー)をはじめとする日中の狭間に否応なく放り込まれた人たち、近衛文隆や花野吉平ら命をかけて戦争回避に動いた若き反戦日本人たち、戦場にしなかったという意味ではつかの間の和平をもたらし、のちに漢奸と呼ばれ処刑された親日中国人たち、そして多くの戦争の犠牲者たち。これらの人々の心の叫びを、野際陽子の李香蘭が代表して言ったのだなと感じた。

平和をどうやって得るのか、保つのか。イスラエルとパレスチナ、アフガンと米軍、イラクと米軍を見ていると武力以外ではなんとかならないのか!?と思う。人間という野生動物にに課せられた永遠の課題である。

さて、話は変わるが、ドラマも映画も一定の時間内に収めねばならない。このドラマもかなりカットされているシーンがあると思う。最もそう思ったのが、李香蘭が東京で児玉さんに恋心を告白する前あたりである。というのも、李香蘭が児玉に対して「幸せにしてください!」と言う台詞が、少し唐突過ぎるからだ。おそらく本来前振りがあるはずである。

そこで、自分なりに付け足してみる。

Photo_3 児玉が、松岡に嫉妬しているのはドラマを見ての通り。かたや護衛役、かたや東大卒、外務大臣の息子である。児玉は李香蘭が好きで好きでしょうがないのだが、李香蘭が松岡に気があるのを知っている彼はおくびにも出さない。彼はメンツを重んじる日本男児。得意なことはやせがまん。李香蘭の護衛役として、「李香蘭の幸せ」を見届けてから安心して戦地に赴きたい。彼の考える李香蘭の幸せ、それは本心とは裏腹に松岡と李香蘭の結婚である。

(以下、類推シナリオ)

児玉は陸軍から召集令状「赤紙」が来たことを車の中で告げる。

そして李香蘭に、

「あなたが幸せになったのを見届けたら・・・・、

私も安心して戦地に行けます」

と言う(棒読み)。

「李香蘭には児玉が一番合っている・・・」

そう確信している付き人の厚見雅子は

「何が安心よ、はっきり言っちゃいなさいよ」

とけしかける。

車内にはしばし沈黙が流れる。

Photo_2 松岡とデートを重ねる李香蘭。いつかはっきりとプロポーズしてくれるに違いないと期待している。しかし、華族の令嬢との縁談など引く手あまたの松岡は煮え切らない。エリート家系の彼の両親や親族は、中国生まれの李香蘭との結婚には反対だったのだ。それが松岡の心を優柔不断にさせていた。

「僕は、今度お見合いをすることになってねえ」

松岡は少し酔っているようだった。

数週間前の熱い抱擁はなんだったのだろう。自分から返事をしろというのか。混乱する李香蘭。彼女は、なんでも気軽に話せる児玉に悩みを打ち明け、松岡からの手紙を見せて相談に乗ってもらうのだった。

「内地で生まれ育った日本女性だったら、どう返事するのかしら・・・」

「さあ、それは。日本人も中国人も関係ないでしょう。あなたの本心を伝えればいいだけです」

赤坂の料亭。松岡は自分が将校としてサイゴンの経理本部に赴任することを告げるため李香蘭を呼び出した。

「サイゴンに赴任することになりました」

李香蘭はうなずいて下を向く。

そして、少し微笑みながら言う。

「お見合いはどうだったのかしら」

2 松岡は真顔になって、

「ごめんなさい。大女優のあなたを、侮辱するつもりは全くなかった。遊びでお呼びしてるわけじゃない」

と弁解する。

李香蘭はきっぱりと言う。

「わたし、自分の気持ちがやっとわかりました」

「どういう?」

「私には大事な人がいたんです」

「・・・・」

「その人に赤紙が来ました」

「そうですか」

「フィリピンの最前線に出るそうです」

「それは大切な時にお呼びしてすまなかった」

李香蘭は付き人の厚見雅子を先に帰し、児玉が運転席で待っている車に息せき切って駆け寄る。いつもは後部座席に乗る李香蘭が、助手席に乗り込む。

児玉は李香蘭が一人なのに気づく。

「厚見さんは?」

「先に帰ったわ」

ややあって、エンジンをかける児玉。

李香蘭はさきほどまでとはうってかわって、

晴れ晴れした表情である。

「うれしくないの?」

「・・・・・・」

予想外の展開に驚く児玉。

「そうだわたし、日本語の本がほしいの。児玉さん、くださらない?」

「ほ 本ならいっぱいあります」

いっぱいいっぱいの児玉。

Photo 児玉は車のギアをローに入れ、赤坂の料亭街の道を駆け登り乃木坂を左折する。歩兵第一連隊と第三連隊の広大な敷地の間を都電沿いに抜け、六本木交差点を渡ると自分のアパートのある麻布狸穴町が近づいてくる。いつもは李香蘭のアパートまで送るのに、今日は逆である。心臓が破裂しそうな児玉。

児玉はアパート前に車を止め助手席のドアを開ける。

「どうぞ。こちらです」

降り立った李香蘭を案内する。部屋のドアの前までついていく李香蘭。二人はドアの前で立ち止まる。いまだかつて女性を部屋に入れたことがない児玉の部屋は、至る所に本が積んであり、空の酒瓶が所在なげに並ぶ。

李香蘭を中に入れようか、本だけ渡そうか一瞬迷う児玉。

「寒いわ。早く開けて」

あわてて鍵をまわし、ドアを開ける児玉。

李香蘭は少しだけ身震いした。

それをさとられまいと手に息を吹きかけながら部屋に入る李香蘭。

(以降ドラマに続く)

山口淑子著の「李香蘭を生きて」によると、実際には赤坂から乃木坂、そして麻布狸穴町まで二人並んで歩いたようだ。そして、李香蘭が児玉の本心を知ったのは戦後のこと。児玉がフィリピン戦線で戦っていた当時のマニラにいた作家、今日出海(こんひでみ)氏から、児玉の最後を聞いた時。アメリカ軍の攻撃に対し、在留邦人を避難させた後、李香蘭の写真の入ったロケットを胸に突撃をして戦死した、という話を聞いた時のことだ。李香蘭は号泣したらしい。

こういうこともあって、ドラマの中で「・・・・人の気持ちが全然見えない、大根女優なんだわ・・・・」という台詞が使われたのだろう。

この作品は角川映画が制作に入っていたことから、映画としての発表も考えられていたのではないか。しかし映画を意図するとさらに半分の時間に収めないといけない。上戸彩の歌う李香蘭の歌もいくつかも削られ、エピソードもほとんど描ききれないあらすじ、となっていたかもしれない。やはり二日に渡る時間は必要だったのだろう。

2009年1月12日追記

Cosmopolitanさんからコメント頂き、上記のシーンにぴったりの李香蘭の歌を紹介頂きました。こちらのリンクからその歌の歌詞と解説を見ることができます。Cosmopolitanさんご紹介の歌のページ 国策とは無関係なこういう歌を聴くと、中国人の純粋な李香蘭ファンが大勢いたというのも納得がいきます。

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2008年12月19日 (金)

鳳陽歌の歌詞 ドラマ「李香蘭」より

ドラマ「李香蘭」の中で上戸彩が歌った中国語曲で、日本人にとってもっとも無名の曲、「鳳陽歌(ほうようか ホワンヤングァ)」。ドラマの中では李香蘭が満映に行く途中の列車の中で、同席した老人の二胡に合わせて歌われている。

Photo_4

この歌は別に「鳳陽花鼓」とも呼ばれており、こちらの方が一般的には使われているようだ。英語だと Feng Yang Flower Drum というようである。youtubeのコメントを通じアメリカに移住した73才の中国人のおじいちゃんに教えてもらった。そのコメントを引用する。

C.Y. Lee's name in Chinese is 黎錦扬. The song,鳳陽花鼓, as you mentioned, should be familiar to all Chinese of my age. I learned it when I was a little boy in China. The song tells of the horrible conditions in which the poor had to sell their children. The melody and the lyrics are hard to forget. It brings tears to my eyes when I hear the song.

この方が小さい頃、まだ中国に住んでいたとき、よく耳にしたらしい。その頃の中国人なら誰でも知っているだろうということだ。子供を売らなければならないほどのひどい状況が歌われている。この曲のメロディと歌詞を耳にするたびに涙するそうである。

この方が言うには、李香蘭のために夜来香を作った黎錦光(れいきんこう)の弟、黎錦揚(れいきんよう アメリカ名:C.Y.Lee)と言う人が、「鳳楊花鼓」のブロードウエイ版の原作を書いたとのことだ。李香蘭とも浅からぬ縁がある曲だと言える。

もともと1300年代の中国安微省の鳳陽県に伝わる民謡である。明の初代皇帝朱元璋の世の中になったら、飢饉が起こったり、無理な首都建設で農民の生活が苦しくなった。洪水で追い出された避難民は売る物も無く、花鼓を叩き、歌い、大道芸をして生活をせざるを得なかった。という歌である。

そしてドラマ「李香蘭」でもまさにそういう台詞があったのだが、朱皇帝とは日本軍のこととして当時の民衆の間で流行ったのである。日本軍が来て以来、中国は荒れ放題なんだと。

中国には故事を使って現在を表す隠喩(いんゆ)の手法がよく使われる。李香蘭の出演した映画「萬世流芳」も、アヘンを持ち込んだイギリスに対抗する中国人という故事にまつわる話だが、イギリスを日本軍と見立てて民衆はこの映画を見たのだ。プロデューサーの川喜多長政は、予算は日本側から出させ、内容は中国人に受ける映画とする見事な手法で制作を進めたわけだ。

さて、この曲は歌詞をずっと探していてなかなか入手することができなかったのだが、こちらのサイト(加藤徹様のホームページ)に載っていた。600年以上の歴史の中ですこしずつ違う歌詞や旋律が出ているようである。このサイトによれば、「中国音楽詞典1985」の「鳳陽花鼓」に歌詞が掲載されているようである。また、「中国民間歌曲集成 安徽巻」p.639-640に載せる「新鳳陽歌」(1935年の抗日映画「大路」の挿入曲)の旋律とほぼ同じ。「新鳳陽歌」の歌詞は三番まである。

ということだ。どうやら抗日映画で「大路」というのがあり、公開が1935年ということなので年代的に判断して、上戸彩の「李香蘭」ではこれを採用したのだろう。

旧民謡  「鳳陽花鼓」(鳳陽歌)の歌詞

(赤い字がドラマで上戸彩さんの歌ったところ)

1.
説鳳陽、道鳳陽、
shuo feng yang   dao feng yang

鳳陽本是好地方。
feng yang ben si hao di fang

自従出了朱皇帝、
zi cong chu liao zhu huang di

十年倒有九年荒。
shi nian dao you jiu nian huang

2.
大戸人家    売騾馬
da hu ren jia   mai luo ma

小戸人家    売児郎
xiao hu ren jia  mai er lang

我家       没有児郎売
wo jia       mei you er lang mai


身背着花鼓       走四方
shen bei zhe hua gu   zou si fan

歌詞の意味

鳳陽は、鳳陽はね、
鳳陽は元々いいところ
明の朱皇帝出てからは、
十中九年は荒れ放題

大きなうちはロバを売り、
小さなうちは子供売る
うちには売れる子もいない
背負った鼓叩いて踊る

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2008年12月13日 (土)

さりげなく、上戸彩「李香蘭」再放送発表

上戸彩の「李香蘭」が再放送される。テレビ東京のホームページに発表があった。実にさりげない発表なので、こちらもさりげなくリンクを置いておく。2008年12月29日(月)30日(火)、午後1時〜3時25分、2日連続である。放送地域は東京、名古屋、大阪地区等のテレビ東京系列。

ドラマ「李香蘭」再放送

Photo


2007年の2月の本放送から約2年。

再放送の日までこのブログを続けようと思っていた。

上戸彩さんの李香蘭の歌を、やはり全部しっかりと聴きたい、その思いから。

Photo_2

再放送までは思ったより長かった。

そしてこのブログが、こういうブログになるとは思ってもみなかった。

勉強にもなったし、見識が広大に広がった。

Photo_3

全く知らなかったいろいろな歴史を知った。

このドラマがきっかけである。

感謝したい気持ちでいっぱいである。

2

今はこのブログをどうしようか考え中である。すこしやりかけの感じもする。鄭蘋如については特に。


撮影の合間
Photo

Photo_2

Photo_3

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2008年12月 8日 (月)

「男装の麗人 川島芳子の生涯」を見て

番組を見ての感想だが、フィクションをフィクションとして表しながらも、少しでも事実に近づかねば、と言う姿勢は感じた。原作の小説「男装の麗人」に依拠しながら、おそらく直前まで脚本が変わったはずだ。放送にタイミングを合わせるかの如くわき起こった中国での川Photo 島芳子生存説。にわかに関心が高まったこのあたりの情報も、ドラマの中に自然に挿入していた。番組として、逃げを打った、とも取れるが。しかし読売テレビの「鄭蘋如の真実」が、タイトルに真実とうたっている割には憶測と思いこみだらけだったのと比べると、フィクションと宣言するところには誠実さを感じた。歴史ドラマは、放っておけばそれを見て真実だと思う人が多いと思う。

川島芳子については、私は思い入れが無いし、感情移入もゼロである。そしておおまかなストーリーはもう知ってしまっている。従って感動するまでに至らなかった。しかし、彼女の王家の出であるプライド、清の国に再び日を昇らせるという熱い思い、これはこの番組で初めて伝わってきた。

彼女にとって日本という国は、巨大な帝国であった清の国の隣に寄り添う島国、ということだったのかもしれない。彼女からは中華思想のDNAを感じた。彼女の深層心理には日本人を従と見るところがあったはずだ。それは幼少のときからの男言葉に現れている。しかし現実には日本とその軍人は武力的に圧倒的に強かった。それに対抗する彼女のプライドは彼女に手始めに男装を強いたのではないだろうか。そして居ても立ってもいられず満州へ渡り、彼女の小さな軍閥、安国軍を編成し、満軍兵士の安らぎの場として東興楼を建てた。このあたりは番組を見て素直にそう受け取った。

政治的な人物としてはじめて川島芳子を見ることができた。そんな彼女も日本軍側からすれば全てお見通しであったろう。謀略のプロの手に掛かれば、この若き女性は手のひらの上に乗って踊っていただけだった。

主演の黒木メイサ、がんばったと思う。しかし、あえて言うと「そつなくこなした」。破綻が無かったけど、私の心に深く入ってきてはくれなかった。そもそも女による男言葉は借り物である。心の言葉には成らない。演技している言葉である。それを黒木メイサは女優として演技でしゃべるのだから二重に演技である。だから台詞がぐさりと入り込んでこない。難しい役どころである。本当の川島芳子の男言葉を聞いてみたいものだ。どんなだったのだろうか。

Photo_3

現実の川島芳子の写真を見ると、眉尻や目尻の下がった優しそうな方だ。その優しそうな顔ではちゃめちゃをする。そのギャップに深い暗黒世界があったはずである。彼女は破綻している。モルヒネ中毒あるいは麻薬中毒でもあったようである。黒木メイサは目が強い。強そうな顔で強いことをする。そこには破綻が無かった。破綻があればいいってものではないのだが、ドラマ「李香蘭」で菊川怜演じる川島芳子の「魂の叫び、かくや」というインンパクトが強かっただけに、淡々と進行していった感じを受けた。

以下2008年12月21日追記

さて「男装の麗人 川島芳子伝」の著者である上坂冬子氏が以下のような文章を寄せている。

以下、サンケイニュース(web版)2008年12月20日 4:00    より引用

川島芳子がテレビ番組になった(6日)。川島芳子とは中国・清王朝が終わりをとげたとき、最後の親王がそれまで親交のあった長野県出身の大陸浪人といわれた川島浪速に、「玩具として」与えたといわれている娘である。

 時として男装をして男言葉を使い、時として振り袖姿となって宴会の華となり、関東軍の将軍の間を縫って華やかな行動で話題を呼んだ風変わりな彼女は、昭和初期に日本のマスコミの格好の話題となったが、戦後に日本軍に協力した漢奸(かんかん)(中国に対する裏切り者)として北京で銃殺された。

 二十数年ほど前、私もそれなりに関心をもち彼女の歴史的役割を調べるべく『男装の麗人・川島芳子伝』(文春文庫)をまとめたが、言動に一貫性がなく単なる目立ちたがり屋にすぎなかったというのが私なりの結論である。世に言う日中間のスパイだとか、清王朝の再興を目指したとか、関東軍の中枢に入り込んでいたことなども伝聞が多く、確かな裏付けはない。清王朝を再興するには資金が必要である。だが当時、資産のすべてを後に日本船舶振興会会長となった笹川良一氏が一族に分配し、芳子にも5000円があてがわれた。おそらく清王朝の再興などこの時点で打ち切られていたのではないか。

 私が前述の書を出版するや、中国の師範大学の教授から翻訳許可の依頼があった。もちろん断ったが、まもなく『男装女諜・川島芳子伝』とタイトルをつけた訳本の一冊が送られてきて辟易(へきえき)した。彼女はスパイなどできる力量のある人物とは思えないと述べた私の本が、女スパイと題して中国で出版されたのである。ただし当時の中国は国際翻訳協定に加盟していなかったので打つ手はない。さらにこの訳本をもとに中国で映画化され、中国人でありながら日本軍の手先となった女として彼女のイメージが喧伝(けんでん)されている。

 日本のテレビ番組も、芳子が日本の傀儡(かいらい)満州国の建国に協力し、清王朝の再興のために献身しつつも日本の敗戦によって漢奸として処刑されたことになっていた。番組として、何を主張したかったのか私としては理解に苦しむ。番組では川島浪速が清王朝の再興のために子供をつくりたいと芳子を暴力的に犯す場面があり、彼女はそれを機に断髪したように描かれていたが、そんな事実はない。何よりも義父の浪速と芳子の年齢差は42歳である。

 実は芳子の実兄は戦後に日本に亡命して東京の郊外に住んでいた。私は元毎日新聞社社長・田中香苗氏の紹介で彼に会い、編集者とともに丸3日間話を聞いたが、芳子は婦人科の手術をして子供の産めない体になっていたという。

 山口淑子(李香蘭)さんは日本国籍だったために漢奸の疑いが晴れて生還できたが、川島芳子も義父の浪速に日本籍を取得した姪(めい)の戸籍の名前を芳子に変えて送ってほしいと懇請している。彼女の自筆のその手紙はいまも残っているが、この事実を記したのは私の著書だけだから番組では無断引用したのだろう。

 最近は映像の分野で古い事件や人物を再現する傾向があるが、制作者が若いせいか意図や事実確認が実に曖昧(あいまい)である。たとえ娯楽番組であろうと、これが許されていいはずがない。(かみさか ふゆこ)

以上引用終わり

(赤字は当ブログ管理人による)

上坂氏は、川島浪速による強姦をきっかけに男装に走った、という説を、「そんな事実はない」と切って捨てている。ソースが明らかにされていないのが残念だが、川島芳子の実兄からもヒアリングしたことのある上坂氏の説には強さがある。

川島芳子は獄中から、自分が日本国籍を持つことを証明できるように偽装した戸籍謄本を送るよう養父川島浪速に何度も手紙を出していた。だが、処刑当日のその場になって、「長年お世話になった養父の川島浪速に手紙を出したい」と、その場で立ったまま手紙を書いた。これはやはり重い。強姦による男装説はやはり俗説だったのだろう。今回の番組が、ストーリーにこの俗説を入れてきたのは、この部分に関しては小説を踏襲したかったということだろう。

また、清朝の復興を目指したという部分も上坂氏は疑問を呈している。なによりも、スパイになるだけの力量が無かったとしている。川島芳子からスパイという修飾語を取り去ったら、一般的な彼女にまつわるパーソナリティのほとんどがそげ落ちるようにも思うのだが、上坂氏はそう見立てている。

それにしても、今回の番組を見た一般の視聴者にとっては、この番組の川島芳子が真実の川島芳子となって脳裏に固定されるのだろう。エンディングロールでフィクションだと宣言してもやはり、これがあたかも事実としてまかり通るのだろう。テレビや新聞などのマス媒体とは怖いものだ。ただ、ここをきっかけとして、詳しく調べていく人が少しでも居れば、素晴らしいことなのかも知れない。

(この日の書き込みは、2008年12月22日加筆修正いたしました。ブログ管理人)

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