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2009年2月14日 (土)

「支那の夜」 と桃の花にまつわる話

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最初の写真は、上海市北部、閘北(こうほく ジャベイ)と呼ばれる上海事変で徹底的に破壊された中国人街で撮影された桂蘭の実家のシーンである。庭にあった梅の木が一本だけ無傷で残っており、そこを訪れた桂蘭が香りをかいでいる。平和で幸せだった昔を思い出し、回想シーンへと続く。 細かいことを言うと、桜や桃と違い梅は、花が枝から一つ一つ出てくるらしいので、映像を見る限りはこれは梅であろう。

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次の写真は回想シーンの中で、桂蘭が実家の桃の花を愛でるシーンである。りっぱな造りの住宅と庭が映し出され、まだ生きていた母親も登場する。桂蘭が中国語で母親に「桃花」(タオホワ)と言っていたのでこれは桃だろう。桃の花は梅と違い枝から二つペアで出てくる。当記事後半に、「支那の夜」では造花が使われたという証言を記載したが、このシーンも撮影スタッフ手作りの造花を枝につけて撮影された可能性がある。

前回記事にコメント頂いたyanagiさんから教えて頂いた「人面桃花」(じんめんとうか レンミェンタオホワ)という漢詩の意味を調べてみた。こちらのブログを参照した。

去年今日此門中
人面桃花相映紅
人面不知何処去
桃花依旧笑春風
      

(訳詞)

去年の今日 この門のなかで見た
美しい娘の顔は満開の桃花に映じて紅に染まっていた
いま あの娘は何処に行ってしまったのだろう
桃花は旧に変わらず美しく咲いて春風にそよいでいる

人面桃花とは、美しい女性の例えで、悲恋の後、自ら命を絶った女性が、相手の男性の願いにより復活する話である。中国では有名な8世紀からの漢詩のようだ。

この桂蘭の実家における桃の花のシーンはストーリーの流れからは少し唐突な感じがした。なぜに必要なのかと。これは観ている人に「人面桃花」の漢詩を連想させることを狙っているのかもしれない。匪賊の襲撃により一度死んだ長谷がラストで復活、また長谷が死んだと思いこみ入水自殺しようと川に入った桂蘭が岸に戻る、というストーリーを暗示させているのではないか。この漢詩は日本ではほとんど知られていないので、中国の観客を意識したものと思われる。

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さて、主題とは別のエピソードだが、この蘇州での新婚旅行シーンにおける桃の花には、四方田犬彦氏著「李香蘭と東アジア」にややショッキングな後日談が載っている。

以下引用

 山口淑子はわたしを前に語った。

「その人はわたしに会うと、『李香蘭さん、あなたが『支那の夜』で持っていた梅の花は、あれは造花でしたですよね』と、わたしにいきなり言ったのです。わたしが何のことだかわからなくて、何も言えないでいると、その人は、実は自分は蘇州で撮影が行われているとき、それをずっと観ていたのです、と言ったのです」

 山口淑子はそこまで言うと、少し休んで、それから一気に自分が最近会ったという老女のことを話し出した。彼女は韓国人で、どうしても東京に行ったら李香蘭に会いたいという強い希望を抱いており、ある組織を通じて面会を求めてきたのだった。

 その人はなんでも教会の牧師さんの娘だったそうです。住んでいたのは京城から南にいった海の近くの町でした。その日は友達と一緒に新しい洋服を買ってもらったというので、うれしそうに街角を歩いていたのですが、いきなり巡査に連行され、大勢の女たちがいるところに収容されたというのです。16か17の頃ですね。そのまま家に帰らせてもらえず、大連まで汽車に乗せられ、そこから船で上海に行かされると、しばらくは陸軍病院で日本兵の血に汚れた包帯を洗う作業ばかりさせられた。その後、蘇州の慰安所に送られ、将校専属の慰安婦にさせられた。抵抗すると、日本刀で斬りつけられて血だらけになりました。

 

Photo_3(「蘇州夜曲」の3番、”君が手折りし 桃の花”とを歌うところでちょうど長谷が造花?の桃の枝を折る)

 それでも監視の兵隊とはいつしか親しく口を聞くようになるのですね。あるとき親しくなった慰安所付きの兵隊が、おい、今日は休みだ、近くで映画の撮影をしているから連れて行ってやろうというので、出かけてみた。すると、李香蘭さん、あなたが桃の花を持って、長谷川一夫と話をしている場面をちょうど撮影しているところだったのです。わたしは撮影を、大勢の群衆の後ろのほうからじっと見ていました。それはあなたが長谷川一夫のために梅の枝を折って手渡すという場面でした(注:実際の映画では上の写真のように、造花?の花のついた枝を長谷川一夫が折って李香蘭に渡すシーンだと思われる。花は「蘇州夜曲」の歌詞を意識して梅でなく桃を想定したと思われる)。

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 けれども時期が時期で、梅の花はすでに散ってしまい、どこにも咲いていない。しかたがないので誰かがその場で梅の花を造花でこしらえて、準備をしているのです。黒山の人だかりのなかで、たまたまわたしがいるすぐ近くで、その人がせっせと造花を作っているのを、わたしはずっと眺めていました。それは本当に偶然に与えられた休みの日の出来事だったのです。

山口淑子はここまで語ると少し間をおいて、いくぶん強い調子で言った。「年だってほとんど違わないのに、同じ場所に居合わせている一人がスターで、もう一人が慰安婦だなんて、どうしてこんなことがありえたのでしょう。わたしはその人のことをついこないだまで、何も知らなかった。けれどもその人はわたしのことを、ずっと考えていたのです。あの時の梅の花が造花だったということを。わたしが戦争を憎むのは、このためです」

以上引用終わり



山口淑子氏はこの出来事がきっかけだったのだろうか、その後「アジア女性基金」の設立発起人の一人となり、従軍慰安婦問題に取り組んだ時期があった。しかし、この基金からの募金を韓国の元慰安婦達は韓国側支援団体の指示により、一部を除きほとんどの女性が受け取らなかった。残念ながら山口淑子達の心は通じることもなく、基金は解散した。


この韓国人老女の話が仮に事実だとすると、当初は従軍看護婦として中国へ連れていかれたようである。その後、将校付きの慰安婦に変わったようだ。「抵抗すると日本刀で斬りつけられて」とは、せっかく来た女性に対する行為として信じがたいが、看護婦として募集がかけられ、後に慰安婦となるよう要求された、あるいは給料の多寡によって自らそうなった、という可能性があろう。


また、この話が示す通り、休日には気心の知れた日本兵と小旅行くらいはできたようである。この辺の話は、米軍が終戦直後に元慰安婦から聴取し記録したミャンマーでの慰安婦の記録とも合致する部分だ。



2013年1月19日追記

戦後29年経ってルバング島から無事帰還した日本兵士、小野田寛夫さんの書いた証言を引用されているブログを見つけたのでリンクさせておく→今こそ知るべし「小野田寛夫 私が見た従軍慰安婦の正体」

安倍首相など自民党は、従軍慰安婦についての軍の強制性は無かった、と主張している。その件に関して調べる時に参考となる証言だった。小野田さんは、強制性は無かったと主張されている。中国韓国の一方的な主張は眉に唾をせねばならない。

また、本日の産経新聞ネット版の報道によると、李香蘭(山口淑子さん)らの「アジア女性基金」の対象となった元従軍慰安婦は236人いて、これまで非公表だったがそのうちの61名は償い金を受け取っていたことがわかった。3割程度の方が賛同していたことになる。この人道支援を受け取った方は、韓国内の支援団体から村八分にされて排除されたらしい。当の本人が和解してしまっては、支援団体(実質的な反日団体)の存続に意味がなくなるということだろう。

 


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コメント

ほんま様

コメントありがとうございます。一度目は作家として、二度目は兵士として田村泰次郎は大陸で李香蘭に会っています。彼の大陸での経験は戦後「春婦伝」という朝鮮人従軍慰安婦をヒロインとした小説となり、その後「暁の脱走」という映画の原作となりました。この映画の主人公が李香蘭こと山口淑子でした。彼女はこの映画の成功を皮切りに再びスターとしての栄光を手にすることになりました。

一方、朝鮮人従軍慰安婦の存在は日韓双方から長い間タブーとされ、彼女たちは李香蘭とは対照的に自己の表現の場は与えられず、時に自国民から民族の恥とされ、時に支援者達によって歴史の前面に唐突に押し出されてきます。

山口淑子氏が、四方田氏のインタビューで予定外の朝鮮人従軍慰安婦のことを語り出したのは、自分の華麗なる生涯と対照的な位置に放置された、ほぼ同い年くらいの彼女達の言葉にならない声を、ほんの少しだけ代弁してあげたのだ、そう私は感じました。

投稿: bikoran | 2009年12月23日 (水) 21時25分

>将校専属の慰安婦にさせられた。抵抗すると、日本刀で斬りつけられて血だらけになりました。

こんなの作り話ですよ。
朝鮮人は呼吸するように嘘を吐きますからね。

それとも、それを百も承知で載せているのですか?

今の中国と日本、比べてみれば
どちらの主張が真実に近いか
わかりそうなものですけどね。

あなたが載せている文章は
中共の受け売りでしかなく、物事の真実を
見極めようという姿勢がまったく見えません。
嘆かわしい。

投稿: ほんま | 2009年12月23日 (水) 16時18分

yanagiさん

ありがとうございます。お陰様でこの映画の見方が格段に深まりました。桃の花を効果的に一環した流れを出すべく使っているということですね。最初の廃墟の中の桃の花は確かにその後の桃の花が表す全ての伏線ですね。

Cosmopolitanさんのブログも改めて拝見し、長谷が道で桃の花を手折り、桂蘭に渡す、その大切な意味がよくわかりました。「支那の夜」が様々な伏線と隠喩を縦横に配した映画だと改めて感じました。

投稿: bikoran | 2009年2月16日 (月) 23時40分

桃の花についてもうひとつ。
ビデオでは未収録のシーンなのですが、長谷の死の知らせを聞いた桂蘭の背後では桃の花が散っているのです。

Cosmopolitanさんのブログでは桃の花を「失われた幸福のシンボル」と表現していましたが、実に的を得た意見だと思います。

再び手に入れた桂蘭の幸せも、長谷の死によって
散ってしまう。
しかしラストシーンで返り咲くわけですね。

色々伏線が存在しますし、
私は桂蘭の実家のシーンは唐突だとは思いませんでした。

投稿: yanagi | 2009年2月16日 (月) 22時06分

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