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2009年2月 8日 (日)

驚くべき言葉の隠されていた「支那の夜」(「蘇州夜曲」)

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もともと「支那の夜」というタイトルの128分もの大作映画であったが、それが戦後、支那という言葉が出てくる部分や、中国側が不快に思いそうな部分を大幅にカットして、92分に短縮し「蘇州夜曲」というタイトルとした。その「蘇州夜曲」が、チャンネルNECOにて放送されたというわけだ。絶版になってしまったビデオ「蘇州夜曲」と同じものである。

短縮せざるを得なかった事実も一つ歴史であり、それには理由があったわけだ。今回見た映画は、「支那の夜」ではなく、「蘇州夜曲」である。しかし大筋のシナリオ、主題は変わっていないと捕らえ、また「歴史に目をつぶらず未来に活かす」という思いをこめて、以下原題のまま「支那の夜」と書かせていただく。

さて本題に入る。この映画に対する私の注目点は三つあり、まず最初に、テンピンルーの丁黙邨暗殺未遂事件との絡みの件の確認、二つ目が戦争宣伝国策映画の代表的作品として知られるこの映画がどれくらい国策的ストーリーなのか?三つ目が、山口淑子氏自身も再三にわたって悔悟の念を述べる有名シーンである長谷による桂蘭殴打の場面である。

テンピンルーとの絡みについては前回の記事「「支那の夜」と「ラスト コーション」の類似性 宝石店にて」を参照いただくとして、二つ目の注目点の戦争宣伝国策映画としての「支那の夜」である。「私の鶯」が、表向きは満州事変正当化映画だったが、この「支那の夜」は、表向き、上海における平和的現状維持正当化映画だった。

Photo_3 第二次上海事変が終わって2年たった繁栄する上海で、

「日本人、中国人、平和に、決して争わず仲良く暮らしましょう、その指導には日本が当たります。安心して、信頼して、日本についてきて下さい」

という映画であった。少なくとも表向きは。戦争の拡大、遂行ではなく、日本が主導権を握る平和の維持が当時の上海における日本の国策だったということが逆引きでわかる。これは、影佐機関が裏で画策する汪精衛の非戦主義政権樹立と連動した映画だったということも見えてくる。

さて、長谷による桂蘭殴打シーンである。このシーンは唐突にはやってこない。十分すぎるほどの伏線を敷いていた。

一つ目の伏線。それはまず桂蘭の前で支那人をあざける言葉を吐いた日本人少年を日本語で反撃し叩いてしまう桂蘭のシーンから始まる。幼い子供を殴る桂蘭に対し、それを見ていた長谷は桂蘭を叱らない。

二つ目の伏線。長谷にほのかな恋心を持つ三浦とし子は、長谷と街中に出てショッピングをしている。彼女は長谷が連れてきて、かたくなに心を開かない桂蘭に長谷が買ったおみやげを渡そうとする。すると、桂蘭はをそれを振り払って床に落としてしまう。Photo

それでも、日本軍により家を破壊され両親を失い、孤児となってしまった桂蘭が可哀相だと世話を焼く長谷。桂蘭が熱を出すと必死に看病する。すると桂蘭が中国語で寝言を言い始める。それはやがて、日本語となり、「長谷さんは私を殴らない。私が悪いことをしても殴らない。私はそれがつらい、苦しい」という言葉となる。(一つ目の伏線、子供を叩く部分はコメント頂いたCosmopolitanさんに教えてもらいました。「短縮版「蘇州夜曲」ではカットされてしまっています)

三つ目の伏線。桂蘭は両親と住んでいたを家を訪れ(上海市北部の実際の戦災跡地を撮影している)、無惨にも崩れ落ち瓦だけが残る実家の跡を見て、「こんなにしたのは誰なの?!私は恨みます!」と言い、日本軍の行為を非難する。桂蘭が日本人に対してかたくなな態度をとり続けるのが当然という流れを作っている。実家を見に行った後、なかなか長谷達のもとに戻らない桂蘭。方々探した長谷の仲間達も心配している。長谷は皆に迷惑をかけていることに責任を感じ、もう桂蘭の世話はあきらめようと言う。

兄を中国軍との戦闘で失っている三浦とし子は、自分の長谷への恋心を隠しながら、「桂蘭は愛情に飢えて、ひねくれてしまった可哀相な人なのだから、世話をし続けてあげましょう。桂蘭を幸せにできるのは長谷さんだけです」と言葉をかける。(この三浦とし子のせりふは上戸彩「李香蘭」での児玉英水の隠された恋心 を彷彿とさせる切なさがある)

そんな中、ふくれっ面をして帰ってきた桂蘭。「長谷さんに借りがあるから戻ってきただけです」捨て台詞を言う。ホテルに同宿している長谷の仲間の女性が滋養にいいということで葛湯(くずゆ)を持ってくるが、桂蘭は「もう騙されないわ」と言って葛湯を払いのけ、湯飲みが落ちて割れる。その瞬間、長谷の堪忍袋の緒が切れて、桂蘭を叱るべく平手打ちするわけだ。

ここまでの伏線があれば、父親代わりを自認する長谷が、仲間に迷惑をかけている我が子代わりの桂蘭を叱るのは不自然ではない。頬の殴り方が、すこしビンタにしては強すぎたかなとは思うが、叱るシチュエーションとしては違和感がなかった。そして、桂蘭は自分のわがままに気づくのと、父親のように真剣に叱ってくれたこと、またむしろ叩いたことを反省する長谷に誠実さと愛情を感じる、という流れも、変わり身が早すぎるとはいえ理解の範疇にある。しかしそれは、私が日本人であり、桂蘭を日本人の養父に養われる娘として見ているからだ。Photo_4

なぜこれが問題になったかというと、中国人側に受け止める方として受け止めきれないものがあるからだ。桂蘭が象徴する「中国」を殴って叱り、長谷が象徴する「日本」が指導する。殴られた方はその指導者を慕い、ずっと一緒に生きていくことを誓う。つまり武器で中国を懲らしめ、指導者の立場に君臨する日本軍を当然と思わせるシナリオだからだ。しかもそれを平気で「中国人」女優、李香蘭が演じていると。

さらに、男性の立場で言わせてもらうと、自国の女性が自国の男性に目もくれず、支配的立場の外国の男性を慕いなびき、心を奪われる様は、本能的に「見ちゃいられない!」ような情けなさを感じるものである。日本の敗戦後に進駐してきたアメリカ軍人に、日本の女性が群がっているのを、見ちゃいられなかったのではないか?ということである。

そんなこんなで問題シーンとなった。

ここで終わりならそれで終わりである。

ところが、この殴打シーンの続きを見ていて、私は予想外のせりふに遭遇した。

桂蘭を殴打したあと、長谷はうなだれていすに座り、こう言うのだ。

「桂蘭、僕はとうとう君を殴った。僕の負けだ。

自分の力を信じすぎた罰だ。

僕は滑稽(こっけい)なうぬぼれ屋だ。

許してくれ。

そしてどこへでも君の好きなところへ行ってくれ」

さて「支那の夜」では、表面的には桂蘭は中国を代表し、長谷は日本を代表している。

そこで、「桂蘭」を「中国」と、「僕」を「日本」と入れ替えてみる。

Photo_2

「中国よ、日本はとうとう中国を殴った。日本の負けだ。

自国の力を信じすぎた罰だ。

日本は滑稽なうぬぼれ屋だ。

許してくれ。

そしてどこへでも中国の好きなところへ行ってくれ」

「殴った」、を「攻撃した」と入れ替えるともっとしっくりくるだろう。この言葉を日本の敗戦後ではなく、上海を武力制圧した1938年から2年経ち、上海統治も軌道にのりつつあった1940年の段階で言っているのだから、驚異的な予言である。これほど簡潔に中国での日本軍の実情を表した言葉はない。すぐれた反戦メッセージである。

さらに付け加えると、上にも書いたが、長谷による殴打の前、桂蘭が破壊された実家を訪れるシーンで「こんなにしたのは誰ですか!」というせりふ。この時点までに桂蘭に感情移入してしまっている観客は、日本軍による攻撃に嫌悪感を持つのが自然だ。

「支那の夜」は、確かに国策映画である。上記の長谷による反省のせりふの後、すぐに桂蘭が「悪いのは私・・・」というように長谷にしなだれかかる。やはり長谷が正しいのだ、つまり日本が正しいということに中国が気づく、というストーリーに瞬時に戻ってしまう。しかし、裏のシナリオでは、反戦への思いを想起させ日本軍を否定するようなシーン、せりふを隠していたのだ。

国策映画の一言で切って捨てるなどとんでもない。

「支那の夜」恐るべし、制作者、さすがである。

(Windowsパソコンをお使いで、ブラウザーをIE8にバージョンアップ出来る方はIE8をお薦めします。写真が綺麗になり中のキャプションも読めるようになります。Macの方はそのままで綺麗に見ることができます)

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コメント

やなぎさん
お返事遅くなりすみません。改めてやなぎさんの「支那の夜」についての力作を読まさせていただきました。

国策映画、でなく民間商業映画ということですね。そう捉えることで、反戦の隠された意図は、容易に浮き彫りになりますね。映画人はそういう意図を埋め込む傾向があると思います。

亡くなられた山口淑子さんはついぞこの映画の真実について語ってくれませんでしたね。本当に静かに去られてしまいました。そこには「言わない」という強い信念すら感じます。それは彼女だけが持つ理由があるのでしょう。

でも真実に近づくことは将来に必ずプラスになると私は信じています。日本がふたたび検閲におびえるような国にならないためにも。

投稿: bikoran | 2016年2月10日 (水) 00時23分

biography of Yoshiko Yamaguchi:
www.yoshikoyamaguchi.blogspot.com

投稿: John M. | 2015年10月 7日 (水) 10時03分

ご無沙汰しております。
私のブログで、bikouranさんが書かれた記事を二つリンクしましたので、報告させて頂きます。ありがとうございました。
「支那の夜」に隠されたメッセージ 後編

テンピンルーをテーマにした記事も書きたいのですが、なかなか時間が取れません。
何年後かには書くと思いますので、
その時はリンクをよろしくお願いします。


投稿: やなぎ | 2015年9月 8日 (火) 11時51分

匿名希望様

コメントありがとうございました。貴殿のおっしゃるとおり、国策映画です。本文にそう書かせていただいております。しかしそれだけではかたづけられない、映画人として込められた思いがあるのでは、ということです。それから、文芸批評、映画批評等は一度も勉強したことはありません。それがこの個人的なブログに関係するのでしょうか。

投稿: bikoran | 2012年9月24日 (月) 23時13分

おっしゃっていることは分かります。一理はあるでしょう。
しかし解釈が勝手すぎます。文学批評・映画批評を勉強されたことはおありでしょうか。あれは間違いなく国策映画です。あなたは文化が違えばお互い理解し合えないみたいなことをおっしゃっているようですが、なに人でも、あの映画の言わんとすることが分かります。少しでも想像力があれば。だって当時の中国人があの映画が理解できなかったとおっしゃるなら、アメリカ人は、あなたがハリウッド映画を観ても分からないだろうと言っていいことになりますよ。

投稿: | 2012年9月24日 (月) 22時37分

リンクの件ありがとうございます。
掲載する際はお知らせします。

投稿: yanagi | 2009年9月14日 (月) 18時13分

yanagiさん

どうぞご自由にリンク、引用ください。かえって光栄です。

夜想12号、実はまだ読んでおりませんでした。日本語文献は全て網羅していたつもりでした。どんな内容でもかまいません。おそらくは晴氣慶胤の「謀略の上海」を参考本としているのかとは思いますが、さっそく読んでみます。

投稿: bikoran | 2009年9月12日 (土) 03時02分

bikouranさん
ありがとうございます。未熟な点も多い私ですが、精一杯頑張りたいと思います。

ところで、bikouranさんは「支那の夜とテンピンルーの相似性について」という記事をかいてらっしゃいますよね?

本当に素晴らしい記事だと思うのですが、私のブログで紹介させていただいてよろしいですか?
来月くらいから映画・支那の夜の特集をしたいと
思っております。リンクをして、文章をお借りしたいと思っているのですが、よろしいでしょうか?

あとテンピンルー関係ですが、「夜想」という雑誌の12巻、100pで彼女の記事がありましたがご存じでしょうか。どちらかというとゴシップのようなSMチックな記事なので、あまり参考にはならないと思いますが。

投稿: yanagi | 2009年9月12日 (土) 01時29分

yanagiさん、お久しぶりです。ブログ開設おめでとうございます。さっそく拝見いたしました。「支那の夜」の真実、李香蘭、そしてそこから派生する話題。定説に拘らない独自の見解を楽しみにしております。

投稿: bikoran | 2009年9月10日 (木) 01時48分

大変失礼しました。
ブログのタイトルとアドレスが抜けておりました。

李香蘭と支那の夜~名曲・蘇州夜曲の謎を解く~
http://blog.livedoor.jp/yanagi470/archives/cat_80780.html

投稿: yanagi | 2009年9月10日 (木) 00時58分

久しぶりの書き込みになります。
実は今回、李香蘭と支那の夜に関連したブログを開設したので報告させて頂きます。

以前からブログの準備をしていたのですが、
bikouranのように支那の夜を評価してくださる方はおらず、記事には大変励まされました。

ブログを開設する際は、是非ともbikouranさんに
見ていただきたい、と考えていました。
失礼なことを言うようですが、私とbikouranさんは志が似ているような気がするのです。

もしよろしければご覧いただきたいと思います。

投稿: yanagi | 2009年9月10日 (木) 00時55分

yanagiさん

「人面桃花」の詩を紹介頂きありがとうございます。一度亡くなった女性が生き返る話ですね。確かにこれによれば、桂蘭は生きていて、長谷が復活する、ということを想起させます。映画の中で梅か桃か、枝を折って花を取る場面が何度かありましたが、この漢詩の含意があったのかもしれません。

投稿: bikoran | 2009年2月12日 (木) 09時08分

bikoranさん

李香蘭も立場上、言えないことが多いでしょうね。支那の夜について、彼女は公式見解しか言えないでしょう。でもこの映画への制作者の想いを考えると、このままでは支那の夜が可哀そうです。それだけにbikoranさんの投稿は嬉しかったですし、新しい投稿楽しみにしています。


さてラストシーンですが、桂蘭は死んではいないと思います。
というのもこの映画、「人面桃花」という中国の漢詩を下書きにしている節があるのです。
時が過ぎ、大切なものを失っても同じように桃の花が咲いている、という構図や、女性が嘆き悲しんで命を絶つ、という筋書きも同じ。
この漢詩のストーリーを考えると「死ぬ」という結論は考えにくいかもしれません。

投稿: yanagi | 2009年2月11日 (水) 20時34分

Cosmopolitanさん

確かにハリウッドのギャング映画っぽいところは結構ありましたね。派手にドンパチやるところや、流れる街の夜景をバックにしたクルマでの長尺場面、ラジオから流れるジャズなど。中国映画とは違う西洋的な先進映画として見せたいのに、非常につたない表現になってしまっているところはご愛敬かもしれません。

ところで、桂蘭の廃墟となった実家のシーンで、桂蘭の過去の幸せだったときの回想が白日夢というか、幻覚的に出てきます。これはラストの入水時の長谷の復活が、やはり桂蘭の幻覚であった、という前振りかも?と感じました。

この映画、見る側によっていろいろと取れる、実に重層的なおもしろみのある映画でした。

投稿: bikoran | 2009年2月10日 (火) 01時02分

私も最初に支那の夜を見たときに、桂蘭に対して長谷が謝罪する言葉は印象に残りましたが、そこの「僕」を「日本」に、「君」を「中国」に置き換えるところまでは思い至らなかった。これは面白い指摘ですね。脱帽です。

ひょっとしたら、小国英雄の元々のシナリオでは、「心中もの」にするつもりだったのかも知れません。BGMで流れる蘇州夜曲の歌詞の二番や、桂蘭が入水自殺の前に口ずさむ佐藤春夫の詩の一節「身をうたかたとおもふとも うたかたならじわが思ひ」は、そういうシナリオにこそ相応しい。

それが検閲でハッピー・エンドに変わった。皮肉にも、日本映画の叙情と陰影が消えて、なんだかハリウッド映画みたいになってしまいました。

投稿: Cosmopolitan | 2009年2月 9日 (月) 21時59分

yanagiさん

コメントありがというございます。
検閲対策などぎりぎりの状況で、制作者が隠された意味をこめていたのかと思います。

「支那の夜」などの満映国策映画は目に触れることが少なく、映画評もあまりされていませんね。たまに見かける評価も判を押したようなのしかありませんでした。

李香蘭自身も、中国人の気分を害した部分を裁判で謝罪しているため、彼女が何かを言うのはむずかしいのでしょう。

隠された意味に気づいたらそれを言ってあげることが大切かと私は思いました。それは思い違いなのかもしれないけど、私は素直にそう感じた、それを書いていこうと思います。


投稿: bikoran | 2009年2月 9日 (月) 09時11分

この当時、日本と中国は戦争をしていましたが
そのことに心を痛める日本人が多くいました。

おそらくはこの映画の制作者もそうで、あの廃墟のシーンには平和へのメッセージを感じずにはいられません。
製作者達は国策映画うんぬんを抜きにして、日中親善を願ったのでしょう。
ただその視点は、実際の中国人からは少しずれていたところに問題があったように思えます。

投稿: yanagi | 2009年2月 8日 (日) 10時18分

支那の夜が裏のメッセージを持った理由の一つが
脚本の小国英雄の存在だと思います。
黒澤明は彼のことを「大変なヒューマニスト」
と言ったそうです。


今日のブログを拝見して大変感激しました。
これからもがんばってください。

投稿: yanagi | 2009年2月 8日 (日) 10時10分

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