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2009年3月 1日 (日)

続 植民地医療の光と影

前回の記事、「『蘇州の夜』を見て 植民地医療の光と影」 では、李香蘭の映画「蘇州の夜」の感想から進めて、日本による植民地医療の光と影、特に731部隊による「影」の部分にスポットを当ててみた。今回は、逆に、同仁会の活躍を通した「光」の部分を紹介する。

(下の写真は上海市郊外にある上海人民第五病院。1904年に上海市共同租界の工部局が西人隔離医院として設立、1939年に日本同仁会が接収し、戦後中国国有となって現在に至る)

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一次資料として、1938年秋に同仁会によって行われた、日本国内医療関係者向けの講演会の原稿資料を下記に掲載する。ここで取り上げたのは、1938年の上海旧市街地における中国人難民に対する医療、特にコレラの防疫に関しての講演原稿である。(クリックすると拡大します)最後のページでは日本人医師団の治療を受けた中国人難民が、気持ちばかりの謝意として、金魚、植木や小鳥などを持ってくる様が書かれている。

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同仁会は北京や天津、上海など中国各地12カ所で診療所を開いていたようである。上の記事によれば、従事者が約250名、経費が当時のお金で200万円、今のお金で10億円近くだと思われる。これだけの規模を難民相手に報酬無しで行ったということは、明らかに軍あるいは日本政府の補助を受けての占領政策の一環であったということだろう。

フランス租界や共同租界では1938年に発生したコレラ患者が2万人を数えたようだが、日本人地区である虹口(ホンキュウ)では数百名に収まったということが書いてある。日本人地区はフランス租界などに比べ、水洗便所が少なかったようだが、衛生面では進んでいたようだ。

また、この記事によると、九江や石家荘周辺の数十カ所の村では、中国軍が退却していった後に、隠蔽工作とともにコレラ菌散布の形跡を日本軍が発見した、とある。ちなみに支那派遣軍の調査によると、九江では中国民間人が500名ほどコレラに罹患しているようである。中国軍による細菌戦の実態が中国側から発表されることは皆無であり、中国側政府、民間とも将来にわたってその実体を追求することは無いのかもしれない。

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上の記事からは、同仁会医療団が、上海市の南市(ナンシー)、つまり昔の城内、現在だと観光地となっている豫園(よえん)のある旧市街地に診療所を構えかつ居住していたことがわかる。

この南市は、中国人だけが住むことの許された、まさに敵のまっただ中という場所であり、しかもほとんどが苦力(クーリー)などの雑役の仕事についていた貧民街でもある。上海事変では徹底的に日本軍に破壊されたところだ。

中国人12万人以上にコレラの予防注射をしたとある。5月に開設し、7月くらいになるとフランス租界や共同租界からわざわざ南市の同仁会診療所に来る中国人も出てきたようだ。

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20ページの上の段の真ん中あたりに、「我々が予防接種をすると、『日本人は毒を射す。之を射すと5,6年後、あるいは10年後には死んでしまう』、というデマを流す」云々ということが書いてある。このデマは中国中で共通のデマのようだ。

そのすぐ後には、面白いことが書いてある。このコレラ予防接種は強制にしたようで、一度予防接種をすると証明書を発行した。ところが、一人が何度も接種を受けて、余った証明書を注射が嫌いな中国人に売りさばく、という商売が発生した。今も昔も変わらない中国人のたくましい商魂である。

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22ページの下の段には、瓦斯壊疽(ガスえそ)の患者が多発していることが書いてある。私はこの症状の名前をテレビで聞いて覚えていた。2007年の中国四川省大地震の時である。倒壊した建物の重量のあるコンクリなどの下敷きになって外傷を負った脚や腕は、ガス壊疽を起こしやすく、救出後になって毒素が回って死に至る、という症状である。

南市も、四川省大地震の時と同じように、建物が戦争で破壊され、その下敷きになった人が多数出たのだろう。四川省大地震では阪神大震災の経験を生かし、ガス壊疽の症状の患者を日本人医師団が治療するニュースがあった。70年後の歴史の巡り合わせである。

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24ページの下の段には、毎朝患者が集まると、衛生や医療に関して、簡単な講義を開いていたことが書いてある。なかにはこれだけを聴きにきていた者もいた。そして治療の感謝として冒頭にも書いたように、お金のない難民達は、金魚や植木、小鳥などをお礼として持ってきたということだ。

医療は結果が全てであり、嘘が許されないがゆえ、最も感謝される宣撫分野であろう。しかし、南市にガス壊疽を起こす難民が発生するような建物の破壊は、そもそも日本軍が行ったことである。

そしてまた、寧波など数都市でペスト菌の散布を日本陸軍が実戦使用し、その防疫に同仁会の日本人医師が活躍するという壮大なマッチポンプにも、思い至らねばならないだろう。

 

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コメント

Cosmopolitanさん

コメントありがとうございました。

「蘇州の夜」の感想だけを書こうと思っていましたが、どうしても731に言及せざるを得ない心持ちになりました。そのためペンがいつものようには走りませんでしたが、書いて良かったと思っています。

反省なき者は過ちを繰り返すしかないです。第二次大戦中にアメリカが日本に対して行った「人道に対する罪」は免責になっているようです。つまりアメリカは反省していない。ベトナムやイラクでアメリカは「人道に対する罪」を繰り返している。パレスチナでのイスラエルの行動に免罪符も与えている。彼らがいつ我々アジア人に対する過去の無差別攻撃を反省するか、注視したいものです。

投稿: bikoran | 2009年3月 2日 (月) 01時13分

「植民地医療の光と影」、興味深く拝読しています。

我々のもっているのは、もろもろの事実の断片の主観的な証言だけです。そこから出発して、我々は多くの人々の証言を付き合わせて事実の客観的な認識を目指すしかない。敢えて言えば、神ならぬ我々には、「客観的な事実」などは与えられていない。しかし、諸々の主観に潜在する予断、価値観、イデオロギーなどを括弧に入れて、我々は「事実の客観的な認識」にむけて努力する必要があります。そう言う意味で、Bikoran さんが、日本軍の「人道に対する罪」を隠蔽することなく、それに直面しようとされたこと、またそれと同時に、「植民地医療」に献身した日本人達も居たという事実にも着目されたことにも賛成です。
極東裁判は、勝者の「人道に反する罪」ー東京大空襲や原爆投下などの無差別爆撃ーに目をつぶった点に於いては、一面的なものでしたが、だからといって、「人道に反する罪」が正当化されるわけではない。また、これらの罪を犯した人間は、別に悪人であったわけではなく、どんな「善人」であってもある社会的な状況の下では、それをおかさざるをえなかったということがあった。その意味で、他人事ではありません。自戒を込めて認識する次第です。

投稿: Cosmopolitan | 2009年3月 1日 (日) 11時16分

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