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2009年6月22日 (月)

鄭蘋如(テンピンルー)像、中国で除幕式

Photo 上海市郊外の墓園、福寿園というところに、鄭蘋如(テンピンルー)の銅像が完成。2009年6月7日に除幕式が行われた。構想から2年ほどたっての完成である。除幕式にはピンルーの甥で、しばしばインタビューに答えている上海在住の鄭国基氏と、おそらくピンルーの兄弟の孫世代、そして古い友人、死の直前まで住んでいた万宜坊の人々、歴史研究家など100名ほどが集まったようだ。また、アメリカ在住のピンルーの妹、鄭天如(現在の名前は鄭静知)さんや、弟の妻、鄭陸肇氏も除幕式に感謝状を贈っている。

ちなみに、福寿園は53ヘクタールもの広大な公園墓地で明るいタッチの墓石やデザインに凝った墓石で世界の最先端を行っているらしい。

(下の写真は福寿園内のテレサテンのお墓)

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ピンルーの像は見ての通り、身体は斜めになり、両手が交差している。この銅像を作った著名な彫刻家唐世蓄氏によると、死の15秒前のテンピンルーということだ。手を縄で縛られ処刑場所に連れて行かれようとしているピンルーらしい。貞節と永遠の美しさを表した、ということだ。事前に私が予想したのと違って、少し悲しいデザインの像である。像のうしろを見ると、丁黙邨暗殺未遂事件の現場であるシベリア毛皮店と思われる写真をもってきている。これはちょっとどうかと思うが、ここ福寿園では日本人の感覚では考えられないような趣向をこらしたデザインのお墓ばかりなので、これもありなのだろう。

この除幕式は、このブログでも何度も情報を引用している歴史研究家、許洪新氏の新刊の発表も兼ねていた。本のタイトルは「一个女間諜」=「一人の女スパイ」。もしかしたら出版社が銅像の資金協力でもしてるのだろうか。

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ピンルーの母親木村はなは、戦後台湾に渡り、1966年に亡くなったが、死に際して蒋介石直筆の額に入った書をもらっている。これは日中混血でありながら、ピンルーの自己犠牲的な行動、上の弟が空軍に入隊して戦死していることなどから、母親として子供に対する愛国教育が模範的であった、という意味の感謝の書らしい。これを鄭国基さんと妹鄭天如さんが話し合った結果、福寿園内にある人文記念館に寄贈することになったようだ(上の写真)。

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銅像の足許には、ピンルーの生まれた年と亡くなった年月が刻み込まれた。これまで中国側の定説ではピンルーは1918年浙江省生まれとなっていた。この銅像の建立をもって、彼女は1914年生まれと公式に刻み込まれた。それはとりもなおさず彼女は、「日本生まれ」の女性ということである。彼女ら一家は1914年時点では今の東京都新宿区に住んでいた。それは父親鄭鉞(テンエツ、ツェンユエ)の法政大学留学時代の住所録によって明らかなことである。一家は1917年に中国に渡っている。父からしたら帰国であるが、はな、ピンルー、そして上の弟海澄からしたら生まれ故郷の日本から中国に渡る、ということである。

中国側のサイトに書かれない事実が二つある。

一つは、ピンルーが日本生まれということ。

二つ目はピンルーが日中の混血だったために中国人のクラスメイトからいじめにあってきたこと。

逆に、中国側サイトが常に強調することがある。

それはピンルーはあくまで抗日烈士だった、ということである。

抗日の英雄、ピンルーは中国生まれであるべきだろう。そして、中国人愛国者たちが抗日の英雄を差別したりいじめることなどありえないだろう・・・。そう思いたいのは分かる気がする。

共産党独裁の中国が、蒋介石国民党の地下組織で働いたテンピンルーを抗日の英雄としてたたえる。一昔前は考えられなかったことだ。中国の歴史教科書では、身を挺して日本と戦ったのは国民党軍でなく共産党軍なのである。

おそらく最近の中国共産党と、台湾の国民党政権の友好的な関係が影響しているのだろう。中国共産党は、対台湾政策に余裕を持ち始めている。

それでもやはりピンルーは蒋介石国民党の、今の状況で言い直すと台湾側の人間である。そこで、中国共産党、蒋介石国民党共通の敵、大日本帝国が必要になるのだ。今回の銅像のバックにある看板にもお決まりのように、「抗日英雄」という文字が見える。「抗日」を持ち出すことで、中国共産党と、台湾国民党は一つの場で安心してピンルーを語ることができるのである。

ピンルーが抗日活動をしていたことを私は否定しない。おそらく抗日の人だったろう。残酷なほどに中国を荒らし回る日本軍を追い返したかったろう。しかし、彼女に半分流れる日本人の血はないがしろにするべきではない。彼女は生粋の中国人のような単純な抗日ではありえない。ピンルーを半分は日本人として捉えることで、彼女がかかえていた闇に光が当たる。それは日本人研究者の役目だと考える。

いずれにせよ、家族の元に遺体を返してもらえず、お墓のなかったピンルーに、魂の安住の地ができた。うれしいニュースである。

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