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2009年9月30日 (水)

「一人の女スパイ」より  テンピンルーの素顔 

許洪新氏の「一个女間諜」(一人の女スパイ)を読了した。簡体字で書かれた中国語図書である。初めて中日辞典というものを使った。漢字の部首やつくりから引いていく根気のいる作業だった。その分、鄭蘋如(テンピンルー)の意外な素顔を知ることができた。以下、その一部をかいつまんで紹介していきたい。訳に誤りがあるかもしれず、引用する場合は原文を参照いただきたい。日本では販売されていないが、ネット通販で中国から簡単に取り寄せることができる。

「活発で好奇心旺盛、笑顔の似合う女性、テンピンルー」

中略

ある日、実の妹、鄭天如さんと、ピンルーの父方のいとこ鄭昭が筆者(注:許洪新氏)にいくつかの史料を見せながら語った。彼女は行動的で、スポーツ、文芸、写真撮影、社会活動など全てに興味を持っていた。このような性格は鄭家では彼女だけだった。

ピンルーは水泳をしたり、自転車で遠乗りするのが好きで、また、上の弟海澄からは柔道を習った。鉄琴を演奏し、京劇を歌い、話劇を演じた。1931年3月12日の「図画時報」の一面に、田漢の創作話劇「父帰る」(注:原作は菊池寛)のヒロインを演じたときの写真が掲載されている。このころは大同大学附属中学(6年制)の話劇団のメンバーだった。

ピンルーは写真撮影も大好きで、現在、数百枚にのぼる彼女の写真が残っている。よく友達と外で写真を撮った。1934年5月、「申報図画特刊」誌上には女友達の取った幾枚かの写真が掲載されている。「旧聞珍影」には1930年代の雑誌に掲載されたと思われる池のほとりに座る彼女の写真を見ることが出来る。(下の写真)

0015

彼女の性格には少しおっちょこちょいのところもある。筆者(許洪新氏)は、ピンルーが書き込んだ1936年2月の学生名簿を見ることができた。ちょうど彼女が民光中学(6年制)商科を高三春期生として卒業し、推薦によって上海法政学院法律科2年に編入したときに記入したものだ。

そこには誤字脱字がとても多い。本来は「慧灵(ケイレイ)女中」(注:慧灵女子中学校の意味か?)と書くところを、「慧灵女」と書いたり、「兄」、「姉」の人数を書く欄に「弟二人」「妹一人」と書いて、それを訂正して「弟」「妹」と書いたりしている。これは彼女のある種おおらかな性格を表している。

この美しくも活発な女学生には、自然といくつかのあだ名がついた。ある人は彼女を「校花(学校の花)」と称し、またある人は「学生領袖(学生のボス)」と呼んだ。

中略

ピンルーの写真を見ると、彼女は高級な婦人服を着ていることが多い。妹は言う。「普段は素朴な服装でした。姉は派手な赤や緑の服は嫌いで、オレンジ色が好きでした。学校に行くときはいつも白いブラウスに黒いスカートでした。プライベートでは旗袍(チーパオ)を着ていました。高級婦人服は大抵母親が若い頃着ていたものです。写真撮影用に着ていたのだと思います」

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「伝統的、そして開明的な家庭教育」

中略

万宜坊内の自宅の近くに、李という姓の兄弟が住んでいた。ユダヤ系の富商と付き合いがあり宝石店を営んでいたが、偽物の宝石も扱っているようであった。

ある日、李家の娘からピンルーに「電気ギターを弾くから聴きに来ない?」と誘いがあった。ピンルーは彼女の家にギターを習いに行きたくてしかたなかった。父親に許しを請うと、父親は「だめだ」の一言。もう一度頼んだ。再び「だめだ」と。彼女は上階の自室に駆け上がりひとしきり泣くしかなかった。父親には職業的直感で、子供達がどういう友人つき合うべきかがわかっていた。父親はそれを教えたのだった。


後略

兄弟の子を抱くピンルー(下の写真)

0016

以上、ピンルーの趣味や、性格について書かれた章から抜粋してみた。彼女がとても明るく活発で多趣味な女性、そして父親からは厳格な家庭教育を受けていたことがわかる。1930年当時に、写真撮影、サイクリング、水泳、鉄琴の演奏、歌や演劇が趣味ということは、上海高等法院主席検察官だった父親鄭鉞(ていえつ、チェンユエ)の高収入と教育熱心さが背景にあったのは容易に想像できる。

また、意外な一面として性格がおっちょこちょいということである。行動が先に立つ、という性格なのだろうか。

彼女の甥の鄭国基氏のインタビューなどで、日本人の母親には差別があり、日本人の血が交じる子供達は学校でいじめもあった、ということであるが、一方でピンルーには「校花」や「学生領袖」という、いい意味でのあだ名がついていた。とにかく目立った存在であったことは確かだろう。学校でのいじめも、日本人の血がまじる、という理由以外に、「できる存在」、「突出した存在」に対する妬みの感情もあったのではないだろうか。いつの世にも、どこにでもある感情である。

個人的に特筆すべきは、これまで見てきた彼女の写真は全て笑顔、ということである。すべて白い歯を見せてにこやかな笑顔を作っている。笑顔でない写真は本当に皆無である。まわりを明るくしたい、幸せを分かちたい、といった彼女の性格がこういうところにも反映しているのだと思う。

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