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2010年1月 4日 (月)

徐小姐のロケット 4

Photo  (写真は映画を見て涙を流すワンチアチ。ピンルーをモチーフとした映画「Lust Caution」のヒロインである)

松崎啓次の「上海人文記」の「徐小姐(シュシャオチェ)のロケット」の章から、引用を続ける。

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「映画 マリーアントワネットを見た日」

雑誌「改造」に載った、火野葦平の「麦と兵隊」が素晴らしく人気を呼んでいた1938年秋から冬にかけての頃であった。

ある午後、松崎は南京路の新雅で点心を食べながら、劉吶鴎(りゅうとつおう リュウノウオウ)と会った。彼は声を潜めて松崎に聞いた。

「支那人の間で、日本軍が近いうちに租界を攻略するという噂があるんだけど。実際、またフランス租界ではそれに備えてトーチカを急造していると言うんだけど、・・・本当かしら」

「さあ、知らない。噂だけだろ」

「うん、僕もそう思う。けれど支那人達は、日本の軍隊がとてもたくさん郊外に駐屯して機会を待っていると言うんだ。たくさんの兵隊で現状維持には必要以上だと言うんだ」

「うーん、そうかね。本当か嘘かは一二ヶ月たってみないと分からないな」

実際、支那人達の耳は早い。口も早い。そしてこの世界の地底である上海は、どんな秘密も秘密でない街だと言われている。どんな秘密も一日前には分かるところだと言う。こんな事さえある。生きている人の死亡広告が発表された。そしてその人がその新聞を買って読んで真っ青になった時、テロ団に撃たれて死んだのだ。が、皇軍の場合だけはもちろん例外である。また例外であらねばならない。

しかし、後で知ったことであるが、皇軍は確かに郊外に終結していた。そして彼らは租界をではなく、南の天を睨んで広州湾上陸作戦の日を待っていたのだ。そうだ、火野軍曹もその作戦に参加すべき運命を感じて、「公務が忙しくなる」と言ったのだろう。

上海の冬空には、目に見えない黒雲が流れていた。上海の人たちは焦燥を感じていた頃であった。

Photo_2 話を新雅に戻そう。松崎と劉吶鴎は、ただ人を待つ間にそんな雑談をしたにすぎない。劉吶鴎は、「紹介したい人があるんだ」と松崎を引っ張ってきた。松崎は誰に会うのか知らない。お茶を飲んで待っていた。

(写真は現在の南京東路にある新雅)

「来た!」

とつぶやくと、劉吶鴎は手を挙げた。松崎は振り返った。来たのは女であった。少々赤みを帯びた面長の顔、眉がつりあがって印象的な顔だが、特に美しいというほどではなかった。

彼女は茶褐色の毛皮のオーバーを脱ぎながら、特徴のある少々遅い上海語で、

「すみません。わたし少し遅れましたね。バスがとても混んで・・・」

と弁解する。

劉吶鴎と彼女はしばらく上海語で何か話を続けた。松崎はぼんやり窓外の群衆を眺めていた。

と、話している彼女の視線が突然、松崎に向かった。

「アノ、・・・・・アナタ、ペキンゴ、ホシイ? シャンハイゴ、ホシイ?」

松崎は面食らって劉吶鴎を見る。彼はあわてて説明する。

「徐小姐は、なにか仕事があったら紹介してくれって言うんだ。彼女は今、一生懸命日本語を勉強しているのだけど、こういう人は将来、我々の会社が出来たら必要になると思うから。しばらくたくさんいい日本人を紹介するから、支那語を教えなさいと話したところだよ」

「で、僕が最初の被害者?」

「いや、同盟通信のM氏。三井のK氏らも教えているそうだ」

「でも・・・・・・・」

と言いかけて松崎は口をつぐんだ。松崎は自問自答した。

「自分は上海にあと幾日滞在するのだろうか・・・。また将来も支那で仕事をしていくだろうか・・・。もちろん、今日の日本人にとって、体当たりで支那を勉強すること、そして今日の支那の動きをハッキリ掴むことは、どれだけ自分の生活を豊かにするかは分かっている。けれど、私は日本でのやり始めた仕事を中途で投げ出して上海へ来た。

若い日本の映画も、やっと私たちの多年の希望の一端を受け入れてくれるだけに成長してきた。その今日、簡単に日本の仕事と離れられるだろうか。亀井や秋元や三木や、そして大村のいる日本の映画界を。

私は、映画会社設立の見通しがついたら、要領よく逃げ出さねばならない。私の仕事は映画を作ることであって、会社を作ることではない。人間の仕事には限度がある。私は心の中で自分の行動を批判し続けていた。が、これは最後まで劉吶鴎には言えなかった。あれほど親しかったけど、彼を見捨てて帰るということはついに口には出せなかった。

支那語を学ぶ。それはいいことだ。学びたい。が、私は劉吶鴎や黄君が次第に親しくなり、彼らの昔の友達と仇敵の関係となり、漢奸と呼ばれ、彼らを葬れ!という文字が、新聞にさえ現れている事を知っている。

もし、私が日本の仕事を断念して上海に残るとすれば、ただ彼らの友情に答えるためだけでしかない。彼らに対する友情は、ここにとどまることなのだろうか、まだ私は決心できない。

そこへ女の子である。しかも、将来、我々の会社で使うことを前提にして考えなければならない女の子である」

劉吶鴎は、徐小姐に松崎が同意であるものとして話を進めている。「いやだ!」と言った場合の彼のメンツも考えなければならないだろう。劉吶鴎はその間に彼女と話をどんどん進めていった。

「いい? では、毎日、朝八時から九時。僕の家へ彼女が来る。で、君も僕の家へ来る。教科書は彼女が見つけるそうだ」

いいだろう・・・

松崎は考え直した。仕事の都合で、当時、虹口のアスターハウスに松崎は住んでいた。松崎は朝の散歩のつもりでバスで彼の家へ通う。そして九時に劉吶鴎と仕事に出かける。

「いい?  では、明日から」

「うん、明日から」

彼女にも劉吶鴎は伝えた。劉吶鴎がすっきりして言う。

「ねぇ、映画を見ようよ。マリーアントワネットを。とてもいいらしいよ。徐小姐、你、 好不好?(シュシャオチェ、二、ハオ プハオ?)」

彼女は、

「好(ハオ)」

と答えた。

松崎も答える。

「見よう!」

Avenue_joffre (上の絵はがきはアヴェニュージョッフルで、左角に、この日の3人が映画「マリーアントワネット」を見たキャセイシアターが見える)

フランス革命を扱った映画で、日本では到底上映されない映画であった。そして女優ノーマシアラーがカムバックしたと伝えられる名画と噂が高かった。三人はフランス租界のアヴェニュー ジョッフルにあるキャセイシアターに自動車を走らせた。

「マリーアントワネットは、マリアテレサの娘にして・・・」

Photo_2

から始まった。皇女に生まれた娘の、夢多き日からフランス皇帝の皇后となり、宮廷の裏の闘争の中で、妻としての悩み、母としての愛、苦悩、そして革命の犠牲になって、しかもギロチンに登るアントワネット。松崎も劉吶鴎も息を潜めてその映画を見ていた。

ふと気がつくと、横に座っていた徐小姐の頬に涙がとめどなく流れている。彼女はぬぐおうともしない。松崎はそれを不思議に思った。泣いている支那の女の顔を初めて見たのだ。そして、それは永い間、松崎の眼底に残って消えなかった。

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引用終わり

この徐小姐は誰なのか・・・・・?本当に日本のラジオ局アナウンサーとして、テンピンルーの同僚としてこのような中国人女性がいたのか?「徐小姐のロケット 1」で書いたように、私は当初、徐が、抗日スパイと疑われている日本ラジオ局のアナウンサーということで、ピンルーを指すものだと思った。同じとも思えるし、違うとも思える。今回の節では、松崎が徐の顔の特徴を言っているが、「戴志華(タイ シホワ)の銃殺」で出てくる戴、つまりピンルーとは違う見た目で書いている。後の節では、徐は広東出身で母親は徐が小さなころに亡くなっていると書いていたり、中年で大柄な姉がいるという。話の具体性から、やはり別人ということで、松崎の書いたことを信じるべきなのだろう。

これはとりもなおさず、抗日スパイと疑われた中国人女性アナウンサーが同時期に二人、日本のラジオ局、大上海放送局にアナウンサーとして働いていたということだ。そのことが映画「上海の月」で見せた、江木に対する三角関係の脚本につながっていったわけだ。「徐小姐のロケット」を読むことで、フィルムが断片的に半分しか残っておらず、訳の分からない国策映画という評しかつかない「上海の月」も、ストーリーがずいぶんと見えてくるはずだ。

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