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2010年1月11日 (月)

徐小姐のロケット 9 (最終回)

松崎啓次の「上海人文記」の「徐小姐のロケット」の章より、引用を続ける。徐小姐(シュ・シャオチェ)が意外な行動に出る。

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「再び徐小姐に逢う」

上海の租界に、住宅難が加わってきた。奥地から上海へ逃げ込んでくる人たち、蒋介石と行動を共にして、再び香港を回って、人知れず上海に帰ってくる者達、家賃の値上げ、権利金の暴騰が続いた。

そして、決定的に、二三年は上海で生活しなければならなくなったので、松崎は妻と住むために、毎日ノースチャイナ デイリーを片手に、上海の街々を右往左往して住居を求めた。わからぬ番地をやっと見つけてベルを押すと、

「ソーリー、ジャストナウ、フィニッシュ」

である。

また、部屋数も手頃、家具も悪くない、そして場所は住宅街・・・すべて理想的だ、松崎は先着のロシア女が、権利金2500ドルと言うので、しきりに考え、負けろ負けないと押し問答の間じっと待ちながら、どんなにじれて待ったろう。そしてロシア女があきらめて帰ったとき、松崎は飛びつくようにその家のミセスに、

「アイ ウォント ジス リビング」

と立ち上がった。

アメリカ人らしいその美しい女は、肩をすぼめて両手を広げ、

「ソーリー、ここは外国人、オンリー」と言うのだ。

「しかし、僕も外国人だ」

「どこ?」

「日本」

「日本?大家が日本人を外国人と認めるかいなか、私は分からない」

「では、電話で尋ねてくれ」

「OK」

そして、その婦人は大家に電話する。

「日本人には貸してくれるな」

「なぜ」

「貸したくない」

という返事。松崎はグラグラとたぎる憤りを感じる。この東洋の上海で、しかも、教養も、生活も、流れ者の毛唐(注:けとう 欧米人の蔑称)なんかより数等上である我々を、なんたる不愉快な扱いぞ。

が、そんな時の毛唐の態度たるや、これまた、木石以上に冷たくかたくなである。思わず、「畜生。今に見ろ!」と捨て台詞でも残さずには立ち去れない気持ちになる。

こんな思いを幾度となく繰り返した。それでも家はあった。と、為替の暴落である。法弊(注:国民政府の発行貨幣)の暴落は必然に物価を倍以上にしてしまった。上海はまことに住みにくい街になりつつあった。しかし東京に中途半端な未練を残してはならないと、一切を振り捨てるようにして松崎夫婦は上海に移り住んだ。



楡(にれ)の樹も 空なる雲も かささぎも われを見知らぬ街にきて住む(ふゆの)



西を見ても東を見ても、上海語が悪夢のように鳴り響いて、妻ふゆのも松崎も上海語は分かりませんぬという証拠のようにおぼつかない英語で買い物をし、ボーイやアマに用を命じた。


遠くきて ひとり住めれば日のくれに 香りいづる花もせつなきものを (ふゆの)



そして会社の様子も落ち着き、街の生活に慣れた頃、秋(注:1939年)が訪れた。

上海では、オフィスは九時から十二時まで。昼食二時間、午後二時から又五時までが厳重に守られている。したがって、仕事の性質上、会食の多い松崎達は、この昼の時間を一番多く利用した。

昼であった。劉吶鴎が言った。


「今日、約束ある?」

「ない」

「では、話がある。一緒に行こう」

そして二人は永安公司デパートの三階の食堂へ行った。そこの広東風の点心は日本人の口に合うので、上海通の人たちがよく行く所であった。松崎達が席に着くと、すぐに劉吶鴎は言った。


「徐小姐がね、日本へ行くと言うんだ」

「?」

松崎は驚いて彼を見上げた。あの日、そうだ、酔っぱらった日は春で、今は秋だ。その長い間、松崎は彼女を見なかった。そう、忘れさえもしていた。広東から日本に帰り、会社の設立総会のために南京へ行き、上海に家を求めて転宅した。そして、この言葉の分からぬ、習慣の違う街で、妻との生活。追われるように日が経ったのだ。



しかも、徐小姐の事はなんとなく、ついに妻に言い出せなくて、秘密のように心に残っているのが、松崎を絶えず苦しめた。


というのは、広東から日本へ帰った日、彼の妻はトランクを整理した。そして、松崎が徐小姐から学んでいた中日会話の本を発見して、彼女はページを開いた。どのページもカナをつけたりマークをつけたりして苦心の跡、歴然たるものがあった。


妻は単純に言うのであった。



「まあ、かわいそうに。こんな事にも苦労してたのね」


彼女の顔には、「すまなかったわ」という表情さえもある。



「おい、ちょっと上海行ってくるよ」

「あら、いつ」

「明日!」

「まあ、明日?飛行機で?」

「うん」

「何日くらい?」

「まあ、分からない。まあ、一ヶ月くらいかな」




こんな風にして、松崎はいつも上海へ飛んだ。そして用事は大抵延びて、二ヶ月も、もっとかかる事が多かった。こんな事が四五回続くと彼女は言った。



「私、もう一人でお留守をするのはどうしてもいや。淋しいとか何とか、そんなんじゃない。人がね、「あら、旦那様、まだ上海?お淋しいわね・・・、上海ってそれは面白いんですってね。ダンスホールや、お酒を飲むところが、夜明けまであって。あら、でも、あなたの旦那様はお酒もダンスもなさらないから安心ね」というような言い方で、意地悪を言うの。私もういや」


松崎は、どこにいても、何をしていても、妻からは信用されていたし、その信用に値する行動しかしなかった。それで、徐小姐の事も、もちろんお茶のみ話のように平気で話せるはずであったし、また話すべきであった。



が、なぜか、ロケットの一件がいつも頭にこびりついて松崎を後ろめたくした。その上、徐小姐から学んだ北京語の本を見て、買い物やバスに乗って言葉を知らない国でした労苦と、その独習書のひたぶるの勉強法を見て悲しがってくれる妻に・・・


松崎は、

「それは支那の女の人から教わったんだ。その人はね・・・、」

などと話すのはあまりに残酷だと考えた。「機会を見て話そう・・・」それは、松崎の悪い習慣だが、ちょっと延ばしに延ばしてしまった。そのうちに機会を失って日が経った。そして、松崎は今は、徐小姐の事はもう忘れてさえもいたのだった。




「徐小姐が、日本へ行く・・・」



何の意味だろう?と松崎は思って、劉吶鴎の次の言葉を待った。


「徐小姐が、日本へ行くと言うのだ。遊びに行くと言うのだ」

「?」

「行ったっていいさ。けれど僕は偶然、彼女の名が憲兵隊のリストにある事を知ったんだ。スパイの嫌疑なんだ」

「またか」

と松崎はいやな気さえした。が、彼は熱心に言った。



「スパイの嫌疑がある女が、ぼんやり日本へ遊びなどに行って間違いがあったらどうするんだ?しかも、彼女を色々と日本の人たちへ紹介したこの俺は」


劉君は、すっかりあわててさえもいる。かつて彼女のスパイ云々を、あれほど確信を持って否定した彼が、またなんというあわて方だろう。憲兵隊のリストに、彼女の名がマークされていると言うのは本当だろうか。植民地の人特有の畏れ方で、劉君は青ざめさえもして、憲兵隊の事を強調した。



「私は、彼女の日本行きを断然止めたいと思う。戦争している日本へ、スパイの嫌疑をかけられている女が行くのは、なんとしてもいけないと思う。私は、彼女を午後オフィスへ呼ぶ。彼女が来たら、日本がいかにスパイ網に対して、厳重であるかを説明して止めさせてはくれまいか」


と劉君は言うのだ。



彼女は午後、オフィスに来た。半年ぶりで見る彼女は、服の好みから、化粧の仕方まで変わっていた。全てが派手で、持ち物などもぐっと立派になっていた。

月並みの挨拶の後、松崎は彼女に聞いた。



「日本へ行くのですって?」

「ええ」

「遊びに?」

「そう、日本のお友達、みんな是非日本へいらっしゃい、きっと、もっと日本が好きになりますって言うの」


彼女の日本語は素晴らしい進歩を遂げていた。




「劉君の話、聞いた?」

「私がスパイだっていう?」

「そう」

「私、スパイじゃありません。私、日本へ行って文化的な方面しか興味ありません。誰が見ても、私、悪いことしません」

「・・・・・」

「私、私のからだ、蒋介石のものでも、支那のものでもない、私は、私のものです。分かりますか。スパイではありません」

「では、どうしても行くのですね」

「ええ、行かなければかえって怪しいわ、今更」

「・・・・・」


松崎は劉吶鴎を見た。

彼は黙って松崎を見る。どうすればいいのだ。





「では、劉君、憲兵隊へこの人と一緒に行って、日本へ行ってもいいか悪いか聞いてみたらどう?」

「うん」

「行きますか?」

と、松崎は徐小姐を見た。

「ええ・・・、いいわ」

彼女は、ちょっと考えて、はっきり言った。



「何時?」と松崎。

「何時?」劉吶鴎がオウム返しに彼女に問う。

「早い方いい・・・。今、いかが?」

「今・・・?いい、ちょっと待って」

と、劉吶鴎は立って、部屋を出て行った。

二人だけになった。

「私、もうパスポート持ってるの。ほら」

突然、彼女はハンドバッグから出して見せた。

「ほう」

と、松崎は、パスポートに貼られた写真を見ながら言う。



「その写真、えー・・・、」

と、幾枚かの写真を彼女は、ハンドバッグから更に取り出す。

半身の、更に大きい写真である。



「一枚ください。いい?」

松崎は、一枚抜いて言う。

「いい、あげます」

と、彼女は、松崎の手からその写真を取って裏に走り書きをする。




想念之際看此影
連解苦思一二分
願君永存不相棄
此影笑顔亦長存

       徐 梨娜

  昔を懐かしむ時は、この写真を見て下さい
  少しの間、思い出してください
  そしてどうか永遠に棄てないで下さい 
  この写真の笑顔とともに

           徐梨娜(シュ・リナ)






「謝々、謝々」

松崎は、支那風に両手を組んで、おどけて有り難うを言う。


その日から二週間を経ったであろうか。
劉君と、松崎とは、彼女が日本に到着し、日光に遊んだという走り書きの手紙を受け取った。なにはともあれ、こうして親日的な女性が生まれていくのであろうと、松崎はうれしく思った。

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最終回 終わり

なんと、徐小姐は日本に旅行したようである。スパイの嫌疑はあったものの、それ以上に親日側に立った人物と認められたのであろうか。また、日本側の確かな身元保証人でもいたのかもしれない。彼女は、同盟通信社や三井物産などの社員の中国語個人レッスンをしていたと少し前の節にあった。パスポート取得や日本での受け入れにも、そういう人脈が功を奏したのかもしれない。

前回のロケットの節といい、今回の日本行きの節といい、なかなかに劇的な展開であった。これらが本当に実話なのか?「上海人文記」の他の章を全て読んでみると、その具体性、またそれをそう書く松崎の動機を想像してみても、創作話ではなく、やはり実体験が、ベースになっているのだろうと思う。もちろん、検閲に通すための細かな変更点はあるだろう。

今回の節では、劉吶鴎がだいぶ徐小姐のスパイ嫌疑を怖れていたようだ。時は1939年秋。5月から7月にかけて、小野寺機関員や、近衛文隆、早水親重、花野吉平などの、蒋介石直接和平交渉派、反戦和平派が、左遷、強制帰国、また一斉に検挙、監禁された年である。仮に日本側に食い込んでいたスパイを日本人大勢に紹介した張本人、となると劉吶鴎にもあらぬ嫌疑が掛かりかねないと思ったのかもしれない。

徐小姐は、そんなスパイ疑惑を、「私は、蒋介石のものでも、支那のものでもない。私は、私のもの」と否定した。時代の荒波をものともせず、なにものにも属さず、自分に正直に生きているだけ、そう主張しているようである。

松崎は、最後に徐小姐のことを指して、「親日女性が生まれて良かった」と、この章を結んでいる。しかし私には、そう言う松崎に対して徐小姐が、

「もちろん、私は日本のものでもないわ」

と笑いながらくぎをさしている、そんな姿が目に浮かぶのだ。

以上で、上海人文記「徐小姐のロケット」を終わります。

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