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2010年1月29日 (金)

映画「上海の月」 映画旬報より

1937年12月に上海にできた日本のラジオ局、大上海放送局を舞台にした映画「上海の月」の広告記事を、昭和16年(1941年)前半の「映画旬報」より抽出してみたのでここに写真をアップしたい。この映画はフィルムが半分しか残っていないが、写真を通して少しでもかいま見れたらと思う。

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ジェスフィールド公園でロケ中の成瀬監督と袁露糸(エン・ロシ。テンピンルーがモデル)役の山田五十鈴。キャプションを読むと、中華映画(=中華電影)の大ステージにて、服部良一指揮のもと、工部局交響楽団、大上海クーニャン合唱団、上海雅楽社などの62名を集めて、主題歌「牡丹の曲」を収録したようである。現在残っているレコードではうかがい知ることの出来ないスケールでこの曲が映画の中で使われたようだ。服部良一はこの映画の音楽監督を務め、上海に渡りロケに同行していた。また、原案の松崎啓次、脚色の山形雄策も、監督の成瀬巳喜男のロケハンに立ち会ったとある。

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こちらは後ろに墓園が映っていることから、静安寺南側の静安寺公墓、現在の静安寺公園と思われる。

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左はラジオ局創設に活躍した江木(NHKが1937年夏に上海に派遣した島山鶴雄氏か友安義高氏がモデル)役の大日向伝。一番右が許梨娜(シュ・リナ。「上海人文記」の徐小姐(シュ・シャオチェ)がモデル)役の汪洋(ワンヤン)。中華電影が発掘した新人中国人女優だ。中華映画・上海撮影所とキャプションが入っているが、「中華電影」のことを日本語で表現するときは当時は「中華映画」と日本語に訳していたようだ。

また、関係者一同で、蒋介石国民党の国策映画「秘密電報符牒」を試写して見たようだ。参考にしようということだろうか。重慶政府側の中央電影撮影場によるもので、反軍閥、反共産党をコンセプトとした映画で、南京市の営業収入記録を立てた人気映画だったようだ。監督の成瀬によれば、「内容が宣伝の関係上、会合、演説、スローガンが多すぎる。演出、技術、演技に特に見るべきところは無い・・・」という感想だ。

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上の写真、南京路の山田五十鈴。右側遠方に永安公司デパート新楼の高い建物が見える。山田五十鈴の「上海から帰って」というタイトルのついたキャプションを読むと、1941年2月14日から4月30日まで上海に滞在。2月18日には南京の汪主席に挨拶に行ったとある。また、自分の役を、「袁露糸という中国人のアナウンサーで、始め抗日派の間諜となり後に新東亜建設の重大使命を自覚してついに昔の仲間の手に倒される役」と書いている。テンピンルーが、仲間から抗日か親日かの踏み絵を踏まされていたという原作者松崎啓次やその友人劉吶鴎(りゅうとつおう)の見方を反映した役柄だ。

下の写真、一番右はおそらくラジオ局の日本人女性社員役だろう。「上海人文記」では新井さんとなっていた元ピアニストがモデルと思われる。

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中華電影のスタジオオープンセットの山田五十鈴。カメラを覗いているのが成瀬監督。中華電影の上海スタジオは、上海事変で日中双方からの爆撃、砲撃によって廃墟となっていたザペイ地区に新しく作られた。

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