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2010年1月 8日 (金)

徐小姐のロケット 5

松崎啓次著「上海人文記」の「徐小姐(シュ・シャオチェ)のロケット」を続ける。今回の節は、松崎の上海での仕事の同僚、台湾出身の映画人、劉吶鴎(りゅうとつおう)が住む、憶定盤路(おくていばんろ、 エディンバロ)の家にまつわる話である。憶定盤路という通りは、ジェスフィールド公園にほど近い、租界西側の越界地区にある。越界地区とは、租界を少しずつ延長させて拡大していった新しい租界地区のことである。松崎は、劉吶鴎の家で、毎朝中国語のレッスンを徐小姐から受けることになったのだ。時は1939年1月頃の話しである。

ちなみに、この少し前頃、松崎は日本に一時帰国している。その前日、劉吶鴎が幹事となってささやかな送別会を開いてくれた。劉吶鴎が呼んだ女性の中にテンピンルーがいた。テンピンルーが、「日本の人がみんな日本に帰ったら戦争が終わるのに・・・・」と松崎に少しからんだエピソードがあった時だ。「上海人文記1」を参照←クリック

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「憶定盤路・劉君の家」

朝のコーヒーを済ますと、松崎は駆けるようにして、いかめしい建物の並ぶバンドを二階建てバスに飛び乗った。こんな日が一週間位は続いたろうか。松崎は支那語の生徒としては決していい生徒ではなかった。次第に突発的な用事が増大してきて、約束の時間は守れない。予習の時間も復習の時間も全く無くなってしまうのだ。

 

たとえばこんな日もあった。松崎は六時に起きて四声(注:中国語独特の4つの抑揚のこと)を音読した。コーヒーを飲んで、さて部屋に鍵をかけて出かけようとする、と、電話である。I中佐だ。漢口にいるはずの氏が、昨日、飛行機で来て、松崎を捜したけれど会えなかった。これからすぐ行くから待ってろと言うのだ。氏と会って三十分、ボーイが名刺を持ってくる。東京から知人の紹介でと言って、レコード会社の人が来たのだ。続いて劉吶鴎が飛び込んでくる。

そんなこんなしているうちに、時は午前十時を回っている。あわてて劉君の家へ電話する。今日は北京語の勉強は中止しますと。しかし、電話をかけられるときはまだいい方であった。行こう行こうと思って、仕事にけりがついて時計を見ると午後二時などと言うことさえあった。こんな日が続いてもう松崎は北京語を断念していた。午後五時、劉君と松崎は小暇を得た。彼は一度家に帰って子供の顔が見たいと言う。松崎も一緒に彼の家へ行った。

彼の奥さんがドアを開けるとすぐに、「松崎さん、悪い。徐さん、きのうも今日も、朝、午後、そして四時と三度も、あなたを訪ねてきた。先生をそんなふうに扱うのは失礼だ」と言うのだ。失礼に違いない。で、お詫びにその夜、暇な時間を利用して、劉君一家と徐さんを招待することにした。

Photo 支那食のご馳走となると、十四、五皿はあるだろうか。で、どうしても七八人がテーブルを囲む必要がある。徐小姐、劉夫妻、黄夫妻と、そして金子少佐に電話して、松崎と七人、場所は南京路の大新公司デパート(写真中央の建物。道路は南京路。右側は国際競馬場)の三階にある東亜飯店を選んだ。

夜は野鶏(ヤチ。売春婦)がこのデパートの前に立ち並び、四階から上はホテルであるが、麻雀牌の音が一晩中騒がしく、時としてアヘンの臭いさえ漏れてくるが、ここの広東料理は不思議とうまかった。それに部屋の数が多いのでフリーで出かけても断られる心配がない。

夜の七時、皆ここに集まった。夫人達はそれぞれピカピカ光る夜のドレスを着ていたが、徐小姐は白の支那緞子(どんす)で作った長い袖の着物を着ていた。彼らは金子少佐を待つことにした。女たちは特有の社交性を発揮して、しゃべっては笑っていた。支那の人たちの社交のうまさについては定評がある。初対面の人たちでも即刻、十年の知己のような話をする。これも食事の時、一つの卓を囲んで、嫌でも応でも話をしながら一つの皿から食べねばならぬ、この国の習慣のたまものであろうか。

金子少佐がやっと来た。松崎は立って紹介しようとした。と少佐は、

「久遠、久遠(チュウュォン、久しぶり)」

と、徐小姐の手を握るではないか。徐小姐ももちろん声を上げて満面に喜びの表情を浮かべ、少佐の手を握る。「なんだ、知り合いか」、と松崎は思った。

「ほう、徐小姐は俺の老朋友だ。君たちはまた、どうして知ってるんだね。この人を」

少佐は劉吶鴎に話しながら席に着く。

四つのオードブルの熱い皿が運ばれる。広東料理は熱い皿、四川料理は冷たい皿。彼らは杯を挙げて、

「乾杯!」

「乾杯!」

とお互いの健康を祝し合う。

料理が次から次に運ばれる。

話は弾んで杯も重なる。

少佐は徐小姐に、

「今、どこに住んでるの?」

「何をしてるの?」

などということを料理と料理の間に、冗談交じりにしゃべりながら訊ねている。

近況を知らない老朋友。顔の広い少佐のことだ。事変前からの知人かななどと思って松崎は見る。

九時半、やっと食事が終わった。さてどこへ遊びに行こうかということになる。ここでまた一評定である。ダンスホール、シネマ、そしてギャンブルハウス。女たちはしきりと賭博場を主張しているらしい。この街では想像を裏切って、賭博場は華やかに明るく、賭ける人達は負けても勝っても楽しそうである。

この兵乱と水害の多い国では、既に生きること自体が賭博なのだ。したがって人々はルーレットやさいころの目で百圓(百円)儲けようと千圓損しようと免疫になっているのだろうか。

衆議が賭博場行きと決定したらしいので、金子少佐と松崎は残念ながら用事があると巧みに座をはずした。日本人は、どこへ行っても日本人であることを忘れてはならない。賭博は許されない事である。

金子少佐と二人、久しぶりで虹口の街をぶらついた。北四川路も呉松路も活気づいて、ネオンサインがまばゆい。歩きながら少佐が言う。

「徐って女・・・、いつか話をしたことがあったっけ。呉という蘭衣社の女の友達なんだ。気をつけろよ」

松崎は背中に冷たいものが走るのを感じて立ち止まった。徐が、あの徐小姐が、金子少佐がかつて語った日本の機関の中で働いているスパイの一人であるかもしれないとは・・・。考えられることだろうか。

支那では四億人の人口に対して、姓が百あまりしかない。したがって黄、梁、張、徐、周のような姓は、十人集まれば二ないし三人は必ずいる。それほど多い名であるだけに、松崎は気にもとめなかったが、さて徐、徐・・・と考えてゆけば伴野氏の放送局にいたという女も確かに徐小姐であった。

「徐、徐、・・・徐小姐、彼女は何者だろうか。それも全上海にアンテナを張り巡らしている劉君が彼女のことを全く知らないのであろうか。あるいは知っていて私に話さないとすれば・・・。彼自身も怪しいことになるではないか」

「しかし、彼女と映画マリーアントワネットを見たとき、母としての悲しい皇女の最後に、涙を流していたではないか。他人の悲しい運命に涙を流す女!それはやさしい女ではないか。ああ!私にはわからない」

松崎は、夜更けのホテルに帰って暗い階段をぼんやりと昇りながら考え続けた。

「劉君に明日の朝、すぐに会おう。素直に私の聞いた、徐小姐の話をして、いづれにしても、今後我々の周囲から彼女を遠ざけよう」

ベッドに入った松崎は、いつの間にか眠りに落ちていた。その夜、松崎は悪夢にうなされた。黒く沈んだブロードウェイマンションの上に月が浮かんで、雲足の速いのが、いやに不気味に思われる夜だった。

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引用終わり

松崎は、中国語レッスンにあまり乗り気ではなかったようである。まずはかなり忙しかったこと。そして、根っこには、いつまで上海にいるのか、中国にどこまで漬かるのか先が読めないこと。そして、まだまだ日本で活躍したい、という思いがあったことが大きかったろう。

そこへ来て金子少佐の、徐小姐には気をつけろ、というアドバイス。あのやさしそうな徐はスパイなのか?一度疑い始めたら、とめどなく疑わしく思えてくる。

彼はせっかくお詫びの席で徐と仲直りができたのに、明日の朝、紹介者である劉吶鴎に、もう彼女とは会わないと宣言するようである。

徐小姐のロケット 6 へ続く ←クリック

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