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2010年5月23日 (日)

閑話給題 「軍艦マーチと中国国歌」

今回は、知られざる日中二カ国の国歌について、浅からぬ関係にあるという話を提供したい。

オリンピックで中国人選手が活躍することが増え、彼らが金メダルを取るたびに聴くのが、中国国歌「義勇軍行進曲」(义勇军进行曲)である。適度にエネルギッシュで適度に荘厳な、表彰の場にふさわしい曲だと思う。

さて、時あたかも上海万博。万博ソングが岡本真夜さんの曲のパクリであることが判明したのはつい最近のことだ。それに関連してか、次のような記事をSearchina(サーチナ)というサイトに見つけた。

以下引用

くすぶる疑念、万博ソングの盗作疑惑が国歌に飛び火も、識者は否定 
 
中国人識者の王錦思氏が発表した「中国で流行した曲の中に日本の曲はどれだけあるか?」とする文章が中国で話題となっている。中国にとって初の開催であり、国家の一大イベントであった上海万博のPRソングに盗作疑惑が浮上したことで、中国で知られているほかの楽曲も、実は盗作だった楽曲があるのではとの疑念がくすぶっているのだ。
 
 

王錦思氏によると、中国ネット上では中国の国歌である「義勇軍行進曲」も日本のパクリではないかとの疑惑が浮上しているという。これに対して王錦思氏は根も葉もないうわさにすぎないと切り捨て、「確かに『義勇軍』や『進行曲(注:行進曲の中国語)』という単語は日本の言葉であり、これを根拠に中国国歌が日本のパクリであると思ったのだろう」とした。
 

続けて、中国人が日々使用している『社会』、『主義』、『愛国』などといった単語も日本人が作り出したものであると紹介、「だからといって義勇軍行進曲が日本のコピーであること、日本人が編さんしたことにはならない」と指摘した。
 

「義勇軍行進曲」は、日本に留学していた中国人留学生の田漢氏が作詞したもので、1935年4月に田漢氏の詞に中国共産党員の聶耳(じょうじ ニエアール)氏が曲をつけたものが「義勇軍行進曲」である。その後、1949年に中華人民共和国が建国、「義勇軍行進曲」が正式に中国国歌と定められた。
 

作曲者の聶耳氏は作曲当時は東京に在住しており、作詞・作曲を担当した両者ともに日本とかかわりがあったことは確かであるが、王錦思氏は「日本の行進曲を参照し、日本の単語を借用し、日本で完成した歌ではある」と認めながらも、義勇軍行進曲は日本からの盗作ではないと否定した。

2010/05/07(金) 

サーチナへのリンク

引用終わり

ということで、中国国歌は、東京在住中の聶耳(じょうじ)という23才の男性が作曲したということだ。私が少し調べてみたところ、どうやら大日本帝国海軍の、あの、「軍艦マーチ」(軍艦行進曲 军舰进行曲)を参照したようだ。

で、さっそく比較のための簡単な検証をしてみた。検証と言っても、参照したと思われる小節を交互に並べて、続けて聞けるようにしただけだ。

下記ブログ記事に検証のための音源をアップしたので、お聞きください。

「軍艦行進曲と義勇軍行進曲の類似性」 ←クリック

検証して分かったことは、「現在は中国国歌となっている「義勇軍行進曲」は、元々、1935年制作の抗日映画のために作られたが、イントロ部分に限っては大日本帝国海軍の軍艦マーチを参照したことは明らか」ということだ。

中国の名誉のために付け加えると、イントロの2小節、つまり八拍以外は全く別物である。王錦思氏の言うとおり、決して盗作ではない。

1930年代、日中が互いに刺激しあって音楽を始めとした芸術を高めていたことを改めて思い知った。また「音楽に国境はない」という思いが強くなったのも事実である。

歴史は時に、思いもつかない連関を提供する。

余話

「閑話」の「余話」である。ネット上でこんなニュースも発見した。中国のある幼稚園が、朝の園内放送でまさに日本の「軍艦行進曲」を流していたというのだ。2005年6月のちょっと古い話である。

以下引用

海康城小区幼儿园每天早上播放日本海军军歌

(中略)

负责人并不知道此曲来历

春秋中文社区http://bbs.cqzg.cn  记者就此事找到了该幼儿园年轻的负责人陈女士。陈女士表示,她并不知道该曲就是日本海军军歌,她说:“抗日战争都是我出生以前的事情了。”该园负责校园广播的工作人员表示,幼儿园播放的歌曲的碟片都是从正规的音像店买入的正版光盘。不过,该工作人员拒绝了记者察看所播放歌曲光盘的要求。

  在幼儿园的门口,记者随机采访了该幼儿园的几位孩子,天真活泼的的孩子们纷纷表示“很喜欢这首歌曲”,因为它“很好听”。几位学生家长们在接受记者采访时也表示,并不知道该曲就是日本军歌。家长刘先生说,自己并不担心这对孩子会造成什么不良影响,因为孩子年纪还小,“要说有什么影响比较牵强”。

(日本語訳)

海康城団地幼稚園が、毎朝日本海軍の軍歌を放送

(中略)

責任者はこの由来を全く知りません
春秋中国語コミュニティhttp://bbs.cqzg.cn  

記者はこのことについてこの幼稚園の若い責任者の陳女史を探し当てました。陳女史は、この曲が日本海軍の軍歌であることを全く知らないようです。彼女は言います。「抗日戦争は私の生まれる前の事です。この幼稚園の園内放送は職員が責任を持って行っています。曲のディスクはすべて正規録音と正規録画の店で購入した正式版光ディスクです」 でも、この職員は記者の聞いた曲の光ディスクを見せることを拒絶しました。

幼稚園の入り口で、記者が無作為でこの幼稚園の何人かの子供を取材したところ、無邪気で元気な子供達は次から次へと、「この曲が大好き」、「とてもいい曲」と口にしました。何人かの園児の先生は、この曲が日本の軍歌であることを全く知りませんと言いました。劉先生は、「自分はこれが子供に対して何らかの悪影響をもたらすことは全く心配していない。子供の年齢は小さく、何らかの影響があると言うには少し無理がある」と言いました。

引用終わり

日本海軍の軍艦マーチは、中国の幼稚園児には好評だったようである。しかし、ネットでこのことが知れ渡ると抗議が殺到し、この幼稚園は軍艦マーチの園内放送を中止したとのことだ。まあ、日本の幼稚園でも同じ結果になろう。理由は全く別だが(苦笑)。

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コメント

yanagi様


本をご紹介頂きありがとうございます。読んでみます。作曲家の聶耳、数日前まで全く知らない人でした。

1930年代〜1940年代の日本と中国は、決して戦争だけではくくれない、文化芸術面における密接な関係があったようですね。

田漢の名前は、以前、鄭蘋如と話劇のつながりを調べていた時に知りました。ピンルーが何を演じたかはほとんど記録が残っていないようですが、少なくとも菊池寛の「父帰る」は演じていたようです。芸術に国境は無いとみていいようですね。

投稿: bikoran | 2010年5月25日 (火) 23時43分

面白いですね。本当に素晴らしい発見だと思います。
検証した音源を聴きました。
岡本真夜の様であれば話は別ですが、一部分を編曲する位ならば、パクリとは言わないでしょう。

聶耳や田漢の日本での活動については、「楽人の都 上海」が詳しいです。
聶耳は日本の左翼人と付き合い、日本の演劇や音楽なども見たそうですから、「抗日」よりも、左翼音楽家としての意識が強かったんじゃないかと思います。
この時点では戦争状態ではありませんでしたし。

この記事を読んで、
軍歌の「歩兵の本領」が労働歌のメロディとして使われたり、
「鬼畜米英」を叫んだ日本軍が、米英の軍楽隊から教えられたマーチ(軍歌)を歌わせようとした事を思い出しました。

現代人から見れば、中国人が日本の軍歌なんて!
と思うかもしれませんが、当の音楽家からすれば大した問題ではないかもしれませんね。
音楽知識の無い私が言うのもなんですが、音楽は理数系みたいなところがありますし。

歴史的に見ても、お互いに影響を与えていたのが日中の音楽です。
この事は「パクリ」とか「パクリじゃない」とかそういう事を問題にするんじゃなくて、日中音楽の文化交流あった証として考えるべきなんじゃないかと思います。

投稿: yanagi | 2010年5月25日 (火) 18時35分

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