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2010年8月29日 (日)

「上海歎異抄」 2

 引き続き、東亜同文書院 大旅行誌 34期生 山内正朋氏のレポートを引用する。

上海は世界の民族文化のごみためである。大陸を蚕食するパイオニヤ達の巨船をつける葉柄・・・・・・・。上海には大ブリテンからアビシニヤまで、世界三十有余の人種達の祖国の文化が、とりわけ異国語と異習と民情と風俗そして悲しきノスタルヂーの歌声が、ごみごみと、交流し発酵して、融然たるニヒリストの落ち着きをみせている。

 新しいものは戦争と貿易の道具だけ、あとは大陸を吸い上げたひるみたいに油だるんだ上海。若いいかなる連想をも伴わない横たわる獣欲の街、上海。

 上海の中に、成熟と飽満の底に沈潜する勢は見えても、いつ上海が若々しいそれこそ人類文化の黎明をほのめかし得たであろう。ああ罪悪と淫奔と無理想の上海。

 だが、私は上海をかく呼ぶ時、この言葉を遮るもの紺青の支那服の群れを余りにも如実に想い浮かべてためらわずにはいられない。

 

 紺青の支那服の群れ。紺青の支那服の群れだけが上海で新しい支那文化を支える勢力の名に値したのではなかったであろうか。

 私はこの紺青の支那服の群れ達が、大挙して租界を横切って通過するとき、支那から国境の外に削り取られた上海が、大陸と明瞭に結びついて支那自体の動脈の中に溶け込まれて行く将来が遠くないのではないかとさえ思ってみた。

 

 排日は革命記念日とか、国恥記念日とか多くの、支那民族の銘記すべき日を並みの高まりとして、嚇怒したり低調になったりした。

 青年と民衆が近き過去の恐怖と忍辱の日を想い浮かべるとき、適々我々が通れば、興奮が群衆の眉をひきつらせ、ふりかえっては唾棄した。残恨をむき出しにした感情の表現はどこの国でも同じだ。

 

 いたいけない石ころ遊びの幼児が小石を我々の足もとに放ることもあった。台湾黎(注:台湾らい)のしゃぶり殻を投げつけられたこと、気まづく体当たりを食らわされたこと、などなどを思えば、排日の中をよく歩いたものだ。

 けれどもそれら浅劣な排日に対しては自らの威信にかけて適当な制圧の手には出てきた。辮子(注:弁子、弁髪。結んだ髪)を赤い紐で結んだ幼児達の反感にあっては、さすがに東洋鬼が豆をぶつけられたような気のひけを覚えて、思わず眼がしらを熱くしたこともあった。だがその他のお先の見えぬ、陰性な排日感情に対しては、さすが国民的嚇怒を禁じえなかった。そこでは青服の支那人共は功利と退廃と冷酷に汚れて、大麻臭い嫌悪の奴隷にしか映らなかった。

 だが私は知っている。ただ感情の犬みたいに吠えたてて、民族愛を一人で背負っているように思いこんでいる無知な民衆というものは、どこの国にも同じ数だけいるものだということを。

 近頃最も感じさせられたことは、この街のニュース映画に、今は一敗地に塗れた蒋介石の演説の姿が久々にみられたときのことである。蒋介石はガウンみたいな黒い長衣を着て、質素なハットを頭に現れると、右手に提げた洋傘をさびしくも左手に持ちかえ、

「中国は今や最後の関頭に立ちました」

と述べ始めた。敗軍の将は古来兵を語らず、敗軍してなお、兵を語らねばならぬ蒋介石の胸中に、人間らしい感情の持主であったら、胸に熱いものを感じたであろう。

 だが私の感慨も、瞬時に痛くも破られた。

「馬鹿たれ・・・・・・・」

と怒鳴る声を私は観衆の中から、世界でも最も下卑た声のように聞いた。この下卑た声に追従するように、世界でその次に下卑た笑い声を、私は凄然と聞いた。この声だ。日本がもつ、日本国民のもつ教養の中に島国のみのもつ腐れ鰯のはらわたみたいに腐臭をはなって、我々の文化に黄色い歯ぐきをみせながら、たえず迷蒙と汚穢を振りおとしているものは。

 民族的興奮の中にくだらなさをひろえば、我々の周囲にこそ輸出超過もしかねまじき、数限りなき反省の種が充満してはいないだろうか。

 東洋の盟主と、やがては自他ともに許すであろう日本!だが日本民族は自らの国民的教養にまず真っ白な歯ブラシをあて、腐臭を洗い落とし、文化におとした中世的暗影は払拭されねばならぬだろう。

 

 とんだ飛沫を飛ばしたことになったが、大国民として東方の国日本が輝かしくも二十世紀の王者として立ち上がる時だ。教養だけが立ち遅れになってはエチオピアの兄弟国××××国民みたいなことになってしまうだろう。

 正しいことを想う人は、無知な人々の口を覆って数多く発言しなければならない。ハイネではないが、打て鳴らせ轟け!最後の馬鹿共が逃げ去るまで!だ。

 話は余談にそれたが、それたと見て引き返しようもない馬鹿馬式叙述は、××××と共に避けられなければならない。そこで話はもとに帰って私が支那の将来を想うにつけ、眼窩に涙と一杯になる・・・・・・・・支那の若い紺青服の青少年達のことに戻ろう。

続く

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