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2010年8月29日 (日)

「上海歎異抄」 1 

前に書いた記事「テンピンルーと阪義男」←クリックにて、東亜同文書院の大旅行誌に少しふれたが、その史料発掘の際に、印象に残った紀行文をここに引用し、最後にコメントを付したいと思う。

他の大旅行誌が、上海を出発し、中国各地を数カ月かけて旅をしてレポートするものだったのに対し、今回紹介するレポートだけは、上海から一歩も出ずに上海のことに集中して書かれたレポートである。

第34期生 上海班 山内正朋氏(1938年卒業)によって書かれたものだ。なにかの「ために」書かれたものではない。当時の上海をけれんみ無く、素直にそのまま書いている。

以下、何度かに分けて引用する。

「上海歎異抄」

人は銃剣をもって由々しきことの数々をなすことを出来申すべく候

されど人は永久に銃剣の上に座っていることは出来申すまじく候

上海班 山内正朋

Photo_3

(フリックス・オーヴレイ(Felix Auvray)「ダモクレスの剣」19世紀)

 過ぎ去った四年間に私は、今は焼けて廃墟になった書院の窓から上海の空を仰ぎ、上海の街頭がもつうごめきに首を傾けて来た。けれどもこの上海に腰をおろした生活の中からは、すべてが余り身近すぎては、いつも頭にダモクレスの剣を載せている様な不安と困惑のほかに、上海の複雑を極めて、掴みどころのないような風丯(ふうぼう)の中から、まとまった印象でも書きつけてみる気はしなかった。

 

 だが、今は支那を追われて長崎の仮校舎の窓に、上海の空をも真っ赤にして沈むであろう晩秋の夕陽を浴びれば上海の戦火をきく度に、胸の中に黒々と凝って行った上海への郷愁が溶けてうるんで、黄塵を見送るような果てしない心の底を、上海の思い出が波打って蘇る。

 さて、上海は、

・・・・・・・半封建の舊殻(注:きゅうこく)をはねかえそうと苦悶しながら、他方半植民地的重圧に堪えかねて悲しき咆哮を続けるアジア的不遇の国・・・・・・・支那、

がもつ最大の眼である。亡国的幻影にをののき続ける支那の眼はここに見開いている。だが所詮眠れる獅子の眼は内側から開かれたものではなくて、外側から血塗られた銃剣をもって、こぢあけられたものにすぎなかった。言うまでもなく海をもつ程の国々は、その領海には幾つかの重要な眼をもっている。日本も横浜と神戸と少なからぬ眼を国際的環境へと見開いている。それも明治の初めは、アメリカとかイギリスとかフランス、和蘭とかの諸国の銃剣とカヌーン砲によって外から開かれたものであったのだが・・・・・・・。

 けれども日本は外国が靴穿く間に、下駄をつっかけた様な俊敏さをもって、素早く立ち直りかえって列強を見返したものだ。

 だが、眠れる獅子は列強カヌーン砲の前に、立ち直る間もなく骨抜きにされ無銃の豚にまでなりさがった。とにかく支那は立ち直るべく余りにも自家撞着の井底に大海を知らなさすぎた。そのうちにこの広々とした井の底に軍靴がとび込み、無銃の豚は両生類のごとき悲鳴を張り上げて、惨無人道矣(注:い)を怒ったけれども、事ついに及ばず、もがけばもがくほど、列強制圧の蜘蛛の巣に巻き込まれてしまった。

 そして軍靴が後足をもって蹴開いた眼の最も大きなものが上海であったのである。悲しいことか愚かなことか支那が外から開かれた眼に我々は痛ましい「そこひ」(注:目のくもり)をみる。世界の海に眼を持つほどの国々にして、我々はこんな「そこひ」をもった眼をみたことはない。支那だけがもつ「そこひ」、それは租界であった。

 支那を眠れる獅子から、目覚めたる豚にまで頓落させたことを、世界の貿易ブルジョアジー達や帝国主義に罪をきせてしまうことは之は濡れ衣というものだ。支那自体の封建的驕慢(注:きょうまん)の舊衣(注:きゅうい)の中に世界のルネッサンス以来の新しい風潮を馬耳東風に後ろ向きになりわずかに古い呼吸を保っているところへ、周囲の勢力が一嵐し二嵐しカヌーン砲は轟き臼砲は鳴り、重なる嵐の中からついにその骨までも抜き去られてしまったのである。

 そして横暴な軍靴と淫靡な貿易ブルジョアジー達の足跡であり社交場でもあり大陸への資本網の葉柄である上海は、ついに今日のごとき「そこひ」が出来てしまっている。

 時代の夜風が吼えるとき、上海はその「そこひ」の故に、座り込んだ列強文化と、座り込まれた支那文化の暗澹たる摩擦をくりかえす。上海、「そこひ」をもった上海の中に、我々は、現代支那がもつ半植民地的性格の最も集中的な表現をみるとき、余りのみじめさに深々とした溜息を禁じえないのである。

 一寸話をかえよう。唐突ながらピカソというスペインが生んだ最大の画家の作で、「六弦琴」という絵画をご存じだろう。画面にそっけなく楕円形が居座っていて、このくまどられた楕円形の中に六弦琴の秘むるメロデーとリズムとそしてハーモニーとが、それぞれの衝突をもって、今にも捲き起こしてゆくであろうギタールの旋風を彷彿させられる。そこでは、この一見興ざめな抽象的な格好は、線状の衝突による一つの統一ある諧和(注:かいわ)をもって感受され、動的なものが支配している。

 かぎりなき衝突と衝突から、なりたっているピカソの六弦琴。上海のもつ「そこひ」を見つめるとき、私ははしなくもこの六弦琴を想いだして一応爽爽しい気にもなる。

 ピカソの六弦琴。ゆくりなくも、そのピカソを生んだ血と砂のスペインの空を真っ赤にしてゆく革命と反革命の衝突を想えば、はろけくも六弦琴は高鳴り情炎するか。

 そして足もとを見つめるとき、人々は謂う第二のスペイン支那、そして第二のマドリッド上海が、激しい力と力の敵対をもって時代の旋風に向かって訴えている。

 上海は世界の文明圏から野辺国まで、どこの隅にもあろう素材をもって、どす黒い衝突、まことに複雑極まる濃艶な色彩と條線からなりたっている。

 「そこひ」は退廃と淫蕩と無気力の因業の落とした、所詮助からぬ不名誉な残痕にほかならない。この不名誉な残痕に、まことに多彩な、毛色の変わった衝突と衝突の織りなす雰囲気、それこそ世の中に、こんなところがと思われるような特異な性格をもって上海は世界のもの知り達に懐かしい体臭を送っている。

 東洋がもつ最大の体臭の持主たる上海に過ごした四年の生活を想いかえせば、何と多彩なる風習と民情の織りなす環境であったであろう。あるいは、生活と脅威のみじめななれの果ては、貧苦のどん底を街かげから街かげを彷徨する大陸農村の流民達の群れ群れ。流民の見上げる近代高層建築に淫奔と狂歓の裳をひるがえして、好色の波を縫う売女達。そこ知らぬ猟奇と変態と興奮とが悪どい黒紫の花を咲かせる。貧民の群れが街角のごみために食にありついた時、咽喉を鳴らすほか、もうすべての表情を忘れて檻褸(注:かんろう)の精みたいに幾人も幾人も歩いてゆく。

 その街々を今はこの「そこひ」の中に自国よりも、もっと住みよいものと気楽さを感じ、上海に来た外国人といった気持と風体で歩いてゆく支那人達の洪水。その中を異人種達の闊歩。トルコ帽からインドのターバンまでもが通る。

 それから民族と民族、国民と国民、南方人と北方人、それらの動かしてゆく貿易戦、金融戦、そして経済戦、そして時に人が人を凌辱し殺害する流血事件、そしてああ無残な武器をもってたたかう戦い、これらをめぐって報道陣が競い、宣伝戦が上海をかけめぐり、世界の眉に八の字を迫って行く。あたかもD線の怪奇からE線の軽操まで、六弦琴の反響のごとく、ここには呪われたというほかない激しい衝突が繰り返されてきた。だが、一歩立ち止まろう。一歩立ち止まれと言ったのはアリストテレスであった。

 斯く衝突!衝突と捲きあがってゆく力と力の敵対が、つくりなすこの竜巻だけを、見送るがごとく追いまわしてゆくときは、かの遊星の観測の際、誤って溝に落ち「卿の浅学もさることながら、足もともおぼつかなくては・・・・・」と老婆に助けられたターレスのごとく、愛嬌のほか、何も残らぬだろう。ここらで元へ戻って私が四年間上海の風の中を通ってきた具体的な話の最大の関心であったところを以下申し上げたい。それもまず支那の半植民地的性格が集中的に露呈されている上海の、青年や少年や幼い者たちの脳裡にまで足を踏み入れながら・・・・・。

続く

 

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