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2010年9月 6日 (月)

上海より 

きのう、上海に来た。

Photo (アスターハウスホテルから見たブロードウェイマンション)

上海を語る多くの過去の作家、確か火野葦平も「麦と兵隊」だか「土と兵隊」でも書いていたが、海の色が変わることで上海が近づいてきたことを感じると言う。それは海の旅だからこその感慨であったろうが、空からの旅でも感じ取れたら、と眼下の海面を見渡す。

運よく、雲が切れ、島が点在する杭州湾上空に飛行機がさしかかると、瀬戸内海から続く紺碧の海が、次第に薄い緑色となった。それは急激に黄緑となり、そして黄土色、というより泥水そのものとなった。そこが海とも川とも見分けのつかない揚子江であった。

揚子江上空を左に旋回、飛行場を過ぎると右に旋回し、南側から浦東空港の滑走路へ進入する。新興住宅地の三角のとんがり屋根が軒を連ねる。成田上空で見た鼠いろの瓦屋根とは違い、明るいオレンジ色の瓦屋根が目にまぶしい。とても中国の住宅とは思えない。ベルギーやオランダの住宅にも見まごうデザインだ。こうやって、都市部では伝統的な家屋デザインが失われて行くのだろうが、現地の人の購買欲をそそるデザインなのだから仕方ない。

空港からドイツ製リニアモーターカーで上海郊外まで8分ほどで着く。時間帯によっては時速500キロを出すようだが、騒音対策だろうか、私の乗った時は最高速度300キロだった。終点の駅で降り、アスターハウスホテルを目指す。タクシーの運転手に「Astor House Hotel Please」と言うと全く通じない。地図を指で指す。運転手はずっと中国語で私に質問するが、その中国語が私にはまったく理解できない。

運転手が小さな声で地図を見ながら、

「プージャン・・・・」

と言った。

聞きおぼえがある。そうだ。アスターハウスホテルは中国語だと浦江飯店と書く。プージャンハンテンだ。日本にいた時に一回だけ確認していた。

私が大きな声で、

「プージャンハンテン!」

と言うと、運転手も元気に

「プージャンファンディエン!」

と繰り返す。ようやく行き先が通じた。

タクシーが走り出す。いきなりバイクと自動車の軽い衝突事故を見る。道の真ん中で言い合っている。こちらのバイクはノーヘルメットで、二人乗りに三人乗っているのも多い。二輪のタクシーのようなものだろうか。市内の高速道路に乗ると、そこでも追突事故の現場だ。この街で自動車を運転するのは少し難しそうだ。

ホテルに着く。もとイギリスのホテルだからなのか、ベルボーイがスコットランドのタータンチェックのスカートをはいている。なぜこのホテルを選んだかと言うと、1930年代に上海に渡った軍関係者、特務部員などがまずこのホテルに投宿したからだ。「上海人文記」の松崎啓次もそうである。それをなぞってみようかと。

冒頭の写真は部屋から見えたブロードウェイマンションである。よくガーデンブリッジ側からの写真を見るが、これは言ってみれば裏側である。李香蘭や川島芳子も泊ったことがあるといい、また日本軍特務の部屋もあったようだ。

Photo_2

この写真は泊った部屋。予約時はエグゼクティブシングルとなっていたが、実際はワンランク上の部屋だった。内部はリニューアルされていたが、当時のデザインをそのまま活かしているようだった。床も木のままである。この日たまたまダンスホールでは日本人女性と中国人男性の結婚式が行われており、ロビーも奇麗に花で飾られていた。

001 (アスターハウスホテル階段室)

上海にはじめてできた西洋型のこのホテルは1938年ごろから終戦まで、軍による接収もあったのだろう、日本のホテルとなっていた。そして、このホテルの2階のどこかに、テンピンルーがアナウンサーをしていた日本のラジオ局、大上海放送局があったという。彼女が働いていたかもしれないホテルである。

アスターハウスホテルにて

続く

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コメント

一度も中国へ行った事のない私にとって、上海は
想像するしかない場所です。

イメージを壊さない為にも、行かない方が良いのかな?と思っておりましたが、
bikouranさんの記事で今でもあの時代の名残りが残っている、という事を知り、俄然行きたくなりました。
いつになるかはわかりませんが。

それでは残りの記事を楽しみにしています。

投稿: yanagi | 2010年9月 8日 (水) 23時53分

yanagi様

アスターハウスはおすすめです。ここから上海をスタートさせるのは日本人にとっては意味のあることだと思います。

宿泊客はほぼすべて西洋人でした。すばらしいホテルでしたが、やはり虹口。日本人からみたらガーデンブリッジのこちら側です。そういう歴史を知らない西洋人も、フランス租界などを散策するにつけ、なんとなく違いを感じ取る人もいるのでは?と思いました。西洋人にとって、上海はまずはバンド、そしてフランス租界ですね。

虹口を北上し、どっぷりと旧日本人地区につかればつかるほど、土地の持つDNAの違いを感じざるを得ませんでした。日本家屋が残っているわけではありませんが、歩道のせまさ、ごちゃごちゃ感、飾り気のない二階建て長屋づくり、など、どこか昔の日本を感じさせる地区でした。


投稿: bikoran | 2010年9月 8日 (水) 09時13分

マニアならではの、
聖地巡礼といったところでしょうか?

アスターホテルは戦時中、西條八十や画家の藤田嗣治も止まった場所ですね。

私は中国へは一度も行った事はありませんが、
もし行く事があったら、是非泊まりたいホテルです。
いつの日になるかはわかりませんが、「支那の夜」「蘇州夜曲」ゆかりの地を歩いてみたいものです。

投稿: yanagi | 2010年9月 7日 (火) 23時47分

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