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2010年10月31日 (日)

中国は大日本帝国を繰り返すのか

田母神氏がすでに中国と日本は戦争状態だと言っている。これはある意味正しいだろう。ソフトパワーによる冷戦、つまり実際には軍備を使用しない外交パワーをソフトパワーとすると、近現代ではソフトパワーによる戦争は「常に行われている」と言えるからだ。


1930年代上海において、テンピンルーがアナウンサーを務めた「大上海放送局」は、大日本帝国が利用したソフトパワーの一つである。

1937年に中支派遣軍は上海に特務部を作りソフトパワーによる戦争をしかけた。彼らの基本理念は、

「日中戦争は中国民衆を敵とするものではなく、蒋介石国民党の軍事的挑発、不法行為を正すためのやむを得ないもの。真の目的は欧米支配から東亜を解放することだ」

であった。

以前の記事にも書いたが、この目的遂行のために、宣伝班の中に、絵画班、映画班、写真班、少し遅れて1937年10月にはラジオ放送を担当する放送班が置かれた。作家の石川 達三、詩人の三好達治、草野心平、音楽家の堀内敬三、評論家の大宅宗一、といった各界のベテランが軍の嘱託として入ってきた。この武器を持たない専門家集団が、新聞雑誌、写真、ラジオなどのマスメディアを駆使して広報宣伝活動をするのである。「上海人文記」をベースとして映画「上海の月」の原作を 書いたプロデューサーの松崎啓次も、嘱託としてこの映画班の中にいたものと思われる。

当時の彼らが一生懸命広報を行っても、国際世論にはまったく通じなかった。日本の大陸、および南方進出の意図が見え透いていたのであろう。資源が無かった日本は大陸と南方の資源がほしかった。主語を日本としたが、正確には、日本人巨大資本家+日本軍閥である。

Photo

(上海周辺の中国空軍基地を攻撃するために出撃した日本海軍空母加賀)

翻って、現在の中国。彼らは海洋進出しようと躍起である。海洋資源とシーレーンの確保が目的だろう。こちらも主語を中国としたが、正確には、中国人巨大資本家+共産党幹部と言えよう。彼らが対日外交で使うソフトパワーの一つがレアアース禁輸、そしてともて異色なことに、官製反日デモである。ところが官製だけでない民間デモが発生するに及んでこちらはやめてしまった。しかもノーベル賞に関連して、国際社会からは、逆にソフトパワーによる反撃にあってしまった。

Photo_2

(中国海軍が上海郊外で建造中の空母の想像図)

海洋進出のちょうどいい位置に尖閣諸島があった。今は、漁船保護のための巡視船のような船が何隻か出てきているが、そのうち現在設計中の巨大空母が尖閣諸島、沖縄周辺を勇躍し、太平洋へと進出することだろう。自分らのソフトパワーの力の無さは彼らは自覚しているようだ。軍備に訴えつつある。ソフトパワー戦争から、軍備を背景とした冷戦となるのは時間の問題なのかもしれない。日本は実質的に、はじめて自国そのもののために日米同盟の意義を考えることになるのかもしれない。


中国は空母の一隻はすでにロシアから購入済み。大連で改修中である。二隻目と三隻目は上海郊外、揚子江にある造船所で建造中だ。



空母建造の狙いは、2007年12月の中国中央テレビの海軍軍事学術研究所李傑氏(大佐)へのインタビューによると、「戦わずして相手を屈服させられる」ところにあるという。

いわゆる砲艦外交だ。テンピンルーの父で上海の主席検察官だった鄭鉞(ていえつ)が担当した「新生事件」は、日本の砲艦外交によって、裁判結果がねじ曲がった事件である。これはまさに、今回の尖閣諸島での船長釈放を彷彿とさせる。粛々と日本の法律のに乗っ取って裁かれるべき船長は、中国側のなんらかの脅しで釈放されることになった。

以下の一文は以前の当ブログ記事からである。
「テンピンルーの父、鄭鉞(ていえつ)と新生事件」より ←クリック

引用開始

日本側は、この新生事件が罰金刑で済まされそうだと知って、上海市政府に圧力をかけた。上海の日本語新聞は中国当局の努力が足りないと書き、国民党に全責任があると主張した。日本の武官(注:1935年当時は影佐禎昭が武官として領事館に詰めていた)は、日本の記者に対し談話を発表、「新生」事件は、「外交以外の手段」でも解決できると言った。

引用終わり

「外交以外の手段」でも解決、というところがまさに砲艦外交以外のなにものでもない。

さらに引用を続ける。

1935年7月9日、第二回が開廷する。その日、完全武装の日本海軍陸戦隊が上海に上陸、示威活動を開始。日本の私服武装兵と暴漢もあちらこちらに展開した。

引用終わり


具体的には出雲を旗艦とした艦隊が上海の黄浦江に現れて威嚇し、日本海軍陸戦隊員を上陸させたのだ。私服武装兵と暴漢を展開させるところなどは、現代中国の反日官製デモを連想させる。


香港フェニックステレビ論説員の何亮亮は言う。


「世界の海域を航行する中国の船舶、各国で発展する中国の企業、海外に住む中国人ビジネスマンは中国海軍の保護を受ける必要がある」




これなどは、1930年代に中国各地の日本人居留民保護のために出兵させた日本軍と重なる。上海であれば海軍陸戦隊、満州であれば関東軍の出兵となる。かれらは自衛目的であった。自衛と攻撃の区別は結局つかなくなってしまったことは歴史が証明している。

国民はどうなのだろうか。中国国民の声はなかなか届かないが、反日一色に染まっていないことは、反日デモの力の無さからもかいま見える。共産党内も胡錦涛や温家宝らの対日本穏健派と、旧江沢民派を中心とした反日派が対峙していることが少なからず伝わってくる。反日ネット世論にかこつけて、右派が勢力を伸ばしていることも伝わってくる。

1930年代の日本も、近衛一派が偽装転向せざるを得なかった(「転向研究」鶴見俊介著による)。今の中国は、胡錦涛、温家宝らが偽装転向せざるを得なくなるかどうかの瀬戸際であろう。温家宝のやさしい表情が無表情になるたびに、彼の偽装の重苦しさを感じざるを得ない。


歴史は単純に繰り返すのだろうか。

それは防ぎようもないのだろうか。

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日中の歴史」カテゴリの記事

コメント

やなぎ様

確かに中国のことを悪く言う人が増えていますね。こういうときに一番つらいのは日本国内の中国人でしょう。

今回の件は、すこし中国にとってはばつが悪いですね。まさに小中国ってところです。自信があったらもっと鷹揚に構えていればいいのですから。


中国は共産党独裁の専制政治ですが、この政治体制じゃなかったら統治できない規模とも言えるし、あの規模にはあれがベストなのかもしれない、とも思うことしばしです。

民主主義になったら平和な国になるかというと、そんなことはなく、過激な軍国主義になる可能性もあります。そういう代議士を選挙で選んでしまったらおしまいです。民主主義のリーダーを自認するアメリカ人は「戦争大好き」なブッシュを選んでいましたね。

独裁政治と違うのは定期的に為政者の入替ができることが「比較的多い」、ということですね。ただ、日本の1900年代前半から1945年まで、大きな政策の入替はできませんでしたね。民主主義には他人を思いやることのできる民度、成熟度も伴わないと厳しいところもあるのかと思います。

私のブログ、いくつかの記事は中国語にして、アップしてみたいという夢はあります。鄭蘋如は中国でも有名になりましたし、彼女についての中国語の本も出版されていますが、いまだにほぼ全ての中国語サイトは、彼女は「中国生まれ」とされています。抗日烈士の英雄が日本生まれでは困るのでしょう。よく調べもせず、コピペしまくってピンルーに関してのブログの数だけは膨大です。

さて歴史に携わるものとしてやなぎ様も同じような責任感や恐ろしさを感じてらっしゃるのかと思います。しかし、こと私に関しては読む側に回りますと、常に批判的に読む癖がありますから、気にせずにペンの進むにまかせることも大切ではないでしょうか。歴史を書く者は、歴史を再構成して物語、理想を言えば再構成された「史料」、としますが、読み手は読み手で、自分なりにそれらを読み解き、歴史の見立てをしていくわけですから。やなぎ様のブログはもはや大変な史料だと思います。

投稿: bikoran | 2010年11月 6日 (土) 22時10分

会社で、中国の悪口を聞く事が多くなりました。

あの時代、日本人と中国人はお互いを誤解しあい、多くの悲劇を生みました。
今、両国民はまた同じように誤解をし、憎み合おうとしています。
今の両国の現状を見ると、既視感を感じずにはいられません。

あの戦争の犠牲者を無駄にしない為にも、
同じような歴史を繰り返しては、絶対にいけないと思います。

その為には相互理解。
お互いの立場を知る事ですよね。
しかし中国の政治は複雑に入り組んでいて難しい。
情報社会になった今だというのに、もどかしい気持ちでいっぱいです。

今日本も対中デモをやっています。それが中国の民主化を求めるデモなら参加したいのですが。

無責任な提案で申し訳ないのですが、将来、bikoranさんのブログを中国語訳にするというのはどうでしょうか。
今は難しいでしょうが、大事な所だけでも。
私もbikoranさんのブログは、中国の人に見て貰いたいと思っています。

>>それらに出来る限り多く触れ、読み解き、歴史を見たて、
>>物語として再構成する、
>>それが歴史ということになりますね。そこが歴史に携わる者の>>楽しみ、同時に責任かと思います。

私も些少ながらブログを作っていますが、資料を組み立てて歴史を構築する作業には、
楽しさと同時に怖さを感じています。
資料はどこまで真実を伝えているかわからないし、自分の思想次第で、幾らでも都合よく引用できる。
気をつけたい所です。

投稿: やなぎ | 2010年11月 6日 (土) 21時19分

匿名様

コメントありがとうございます。
歴史は作られるということですね。私の人生の師とあおぐ方の一人が、歴史はhistory、ハイストーリー、つまり高度な物語なんだよ、と言いました。このブログの一部を印刷して読んで頂いた後に言われたことです。自分史以外はすべて史料やインタビューを経由することとなり、真実か、正しいかは、もはや不明です。それらに出来る限り多く触れ、読み解き、歴史を見たて、物語として再構成する、それが歴史ということになりますね。そこが歴史に携わる者の楽しみ、同時に責任かと思います。

投稿: bikoran | 2010年11月 3日 (水) 10時06分

正しい歴史。
これは世の中に存在しないのでしょう。

都合のよい事実を取り出し、都合よく解釈し、自分の狙いに沿うように‘事実’を流す。

これは戦前の日本、現代の中国に限らない。

実は私も日常のコミュニケーションで行っています。
ブログを拝見しながら、自分自身を反省させられました。

(最近の中国は度が過ぎるような気もしますが…)

投稿: | 2010年11月 3日 (水) 03時24分

花椒さま

常連の方だとは思いましたが、花椒さんだったのですね。いつもありがとうございます。


最近の中国の動きは、いつかはこうなるかもしれないという私の予想の悪い方に動いており、私はそれが本当になりそうだという恐れを徐々に抱くようになっています。

今回の記事は右翼がかった勇ましい記事と捕らえられたかもしれませんが、最後の二行を読んでいただけばそうじゃないと分かっていただけると思います。

誤解を防ぐために言っておくと、中国と日本の友好関係を築く一助になりたいというがこのブログの壮大なゴールです。実は中国人にこそ読んでほしいと思っています。情報開示の度合いからいって、日本人のほうが歴史から学べる環境にあり、前の戦争では加害者側でした。その歴史を踏まえて中国人に知ってもらいたいことがあります。

と、このように書くだけだと、1930年代の日本人のように、中国人に教育的指導を行う日本人になってしまいそうですね。そうじゃない現代の日本人としての行動の仕方・・・ここはポイントですね。

投稿: bikoran | 2010年11月 1日 (月) 09時37分

お返事ありがとうございます。先ほどのコメント名前が欠けて送信してしまいました。花椒です。(お恥ずかしい・・)

管理人さんですよね?(私の間違いへのお気遣いなのかな?)

みんなが「テンピンルーになれる時代」いいですね。できることは多いと私も思います。
例えばこのコメント欄にて質問することも相手の真意を理解しようと歩み寄る気持ちからの行動です。

本当に小さなことだけど、平和な国ってそういう積み重ねの上に成り立つのだと思います。

今後ともよろしくお願いします。
いつも興味深いブログを更新して頂き、ありがたいです。では、また。

投稿: 花椒 | 2010年11月 1日 (月) 03時13分

花さま

コメントありがとうございます。
国民が望む戦争などは、実は歴史上無かったのかもしれません。ただ、情報から隔絶されプロパガンダに乗ってしまうと国民の総意で戦争が行われるような形が整ってしまう怖さがあります。1930年代の日本人は大陸で何が起こっているかの本当の姿は知りませんでした。やがて暴支膺懲(ぼうしようちょう。暴虐な支那を懲らしめる)のスローガンのもと、日本人は一致団結して支那を懲らしめ、支那国民に教育的指導を行うのが日本人の義務だと思うようになりました。

今、テレビで中国人のインタビューを聞くと、「暴虐な日本が、哀れな漁船船長を不法に逮捕してひどい目にあわせようとした。日本を懲らしめねばならない!」というような論調です。彼らは全く事実を知らされていない。

情報から隔絶されることがどんなに恐ろしいことかよくわかります。中国沿岸地域では今回、それほどの反日の動きは出ていません。上海などは回りに日本人が多いこともあるだろうし、日本に来たことがある人が内陸より多いことが関係していると思います。

どんどん中国人を日本に訪れるようにすべきでしょう。まずは観光からです。そして我々日本人も中国を訪れ彼らを知るべきです。互いをよく知ること、それがテンピンルーの意志を少しでも継いでいけることになるのではないかと思います。

1930年代、日本人と中国人の両方を知る人は彼女のようなハーフくらいしかいませんでした。今は違います。生粋の日本人、生粋の中国人もお互いを知ることができるのです。みながテンピンルーになれる時代だと思います。そこが1930年代と違うところです。我々にできることは多いはずです。

投稿: bikoran | 2010年10月31日 (日) 22時58分

戦争は二度と繰り返してはいけない。
そうはさせない、という気持ちを現代を生きる一人一人が持つことだと思います。

戦争は人の気持ちが作り出すもの。だからこそ過去の過ちから学び、先人達の苦悩を知ろうとしてbikoranさんは日中戦争に時代を絞って調べているのではないのでしょうか?

一人一人の意識が民意をつくり、時代を動かしていくのだと思います。
テンピンルーが切望していたものは日中の発展的な友好関係だと思います。理想論と言われるかもしれませんが、最初から諦めていては何も成し遂げられないと思います。私はテンピンルーはそういう人物だと思っています。

戦争がいいとか悪いからやめようとかそんなんじゃなく、私は平和で人々の心が豊かな社会に暮らしたいと望んでいます。だからこそ過去から学びたいと思いこのブログを拝見させて頂いております。何を望み、どうしていくのかはbikoranさんの自由ですが、私たちには何の力も無く、流される存在ではないと思います。

どうすることが自分の望みでどんな世の中を望み、そのためにはどんな努力が必要なのか。
どんな人にも同じ時代を生きる人達一人一人に対して責任があり、命の手綱を握り合っているのだと思います。

投稿: 花 | 2010年10月31日 (日) 18時17分

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