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2011年6月 2日 (木)

上海福寿園

上海市図書館に行った前日、鄭蘋如(テンピンルー)の碑がある上海西郊の福寿園に行ってみた。上海中心部から地下鉄に乗って30分弱、遊園地などがある郊外の駅に到着。タクシーに乗って向かう。沼地や古い工場などが点在する寂れた土地にあった。

墓園に入ると、中は西洋風墓地で緑が豊か。日本ではあまり見られないタイプ。

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西洋風の墓地、福寿園。いろいろな区画がある。

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かわいらしい女の子のお墓。このように墓石に生前の写真を見ることができるものが多い。

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小さなお子さんのお墓は、その写真が愛らしいだけに涙を誘う。

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墓園の中を大通りが通っていて、その逆側に渡ると、ピンルーの碑があった。
こちらの側の少し離れた区画ににはテレサテンの碑もあった。

しかし、少なくともピンルーの碑の回りには、墓石はほとんどなくぽつりと寂しそうに配置されていた。テレサテンの碑の回りにはいくつか墓石があったが、やはり閑散としていた。

ある程度有名人の墓や碑を配置して、その回りから分譲していく、という方針が見て取れる。

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このように、広大な芝生のスペースがいたるところにあり、墓石を分譲する区画となっている。奥に見えるのが博物館で、この墓園にお墓や碑がある方のゆかりの品が置いてあったり、ディスプレイで情報を見ることができる。ピンルーの未発表の写真も何点か見ることができた。戦後、蒋介石からピンルーの母、木村はながもらったという書も実物が飾ってあった。

最寄りの駅から乗ったタクシーの運転手が言うには、周恩来元首相の親族の所有の土地らしい。周囲は他に使い道のないような湿地帯なので二束三文の土地を開発したのだろう。

昨年、出来たばかりのピンルーの碑の前でマスコミを呼んで許洪新氏が自著の発行を宣伝した。そこにはピンルーの甥にあたり、たびたびマスコミに登場する鄭国基氏や、親族が来ていた。

しかし、ピンルーとは一番仲の良かったカリフォルニア在住の実の妹、鄭天如(鄭静知)さんは来ていなかった。

ピンルーの魂は果たしてここに安住しているのだろうか?多少の疑問が残らざるを得ないのも確かだった。







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コメント

やなぎさま

コメントありがとうございます。当初の情報では愛国烈士として教育に使うようなことが中国サイトには書かれていましたが、墓園としての宣伝に使っている感じがました。宣伝に使うには、愛国烈士でないといけませんので、そういう情報操作はするでしょうね。碑の発表当日、妹の鄭静知(鄭天如)さんが来ていないのが気になりましたが、現地に行ってやはりそうかと思いました。商業的たくましさは、1930年代上海と変わらない、という気もします。

投稿: bikoran | 2012年4月25日 (水) 07時03分

ピンルーの碑は金儲けの為に利用されているという事ですね。
「愛国烈士」という称号も、中国人の自尊心を満足させる為のレッテル貼りなのでしょうね。

スパイをしていた時から今に至るまで、彼女はずっと利用され通しな気がして気の毒です。

投稿: やなぎ | 2012年4月25日 (水) 06時26分

蓮様

コメントありがとうございました。許氏の本によってそれまで中国における定説だった、鄭蘋如が1918年生まれというのが否定され1914年生まれとなりました。また多くの彼女に関する記述をまとめた功績は大きいと思います。しかし、「鄭蘋如は愛国烈士」という枠を出るものではありませんでした。日本人の血と人脈を持つ特別な思いを抱いていたのでは?というアプローチは中国人によっては為されそうにありません。

お墓についてはやや商業ベースを感じました。彼女の魂がそこに眠っているかというと少し疑問は感じました。正確には墓園ではありますが、彼女の碑があるということです。

投稿: bikoran | 2012年4月14日 (土) 03時55分

許洪新の本はぼくも最近読みました。ただあまり感心しませんでした。作者の鄭蘋如に対するイメージがあいまいなのに、いろいろな人の彼女に関する文章も付録という形で本に収録しているものだから、なお彼女が見えなくなってしまったというのが読後の印象です。
彼女のお墓の所在地はぼくが今住んでいるところからあまり遠くないところですけれど、行ったことがありません。

投稿: | 2012年4月13日 (金) 22時15分

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