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2013年3月11日 (月)

ポイントオブノーリターン4

Clark_kerr_and_tita_shanghai

写真は上海の英国大使館に赴任したクラーク・カー大使(右から二人目)と妻のティタ(その隣)「Radical Diplomat」 より転載

ここまでの新聞記事を見た限りでは、日本側は、イギリスに日中の和平仲介の役目を期待していた一方、中国側は中国側からの和平仲介は望んでいない、という印象操作をしようとしていたことがわかる。

ところが、クラーク・カー大使の伝記「Radical Diplomat」の87ページに、どうやらそうでもないような記述があった。

以下引用

Since July the Chinese had appealed for British efforts to galvanize international disapproval and push for economic sanction against Japan. In addition, China hoped that Britain would lead an attempt to broker peace. Chamberlain was reluctant to be seen to do either with any alacrity: he also padded away Chinese requests for military and financial aid.


引用終わり


日本語訳

中国は、7月(注:1937年。盧溝橋事件のあった時期)以来、イギリスが、日本への国際的な批判と対日制裁強化を主導するよう、主張していた。
それに加えて、中国は、イギリスによる日本との和平仲介を望んでいた。チェンバレン(注:イギリス首相)は、そのどちらも簡単にできるなどと思われたくはなかった。それどころか、彼は中国からの軍事的、財政的支援要求を断った。


赤字で示した部分の証拠となる事実は、この本には見あたらなかったが、中国側にも日中戦争当初は、早期和平の希望もあったようである。しかし、そのことを中国は悟られたくはないために、新聞記事では強く否定することとなったようだ。

また、クラーク・カー大使の思いとは別に、イギリス本国のチェンバレン内閣は、この時点で中国への肩入れを避ける傾向があったようだ。これは、極東における日英軍事力のバランスが圧倒的に不利であること、来るべきヨーロッパ戦線に集中すべきと判断していたこと、アメリカの参戦を待っていたことが理由であろう。

さて、1938年2月17日、クラーク・カー大使は香港に到着した。その夜の歓迎ディナーで彼は、蒋介石夫人宋美麗の兄で、政治的にも経済的にも中国国民党の5本の指に入る実力者、宋子文と会っている。

宋子文は、1940年以降、たびたび日本陸軍の今井武夫が和平交渉をした相手、宋子良の兄でもある。ただし実際には、今井武夫は偽の宋子良と面会をしていたふしもある(「支那事変の回想」今井武夫著による)。

Shoukaisekisousibun

上の写真は左側が蒋介石、右側が宋子文。「Shanghai  A Century of Change in Photographs 1843-1949」より転載



クラーク・カー大使は、香港に長めに滞在して、多くの現地在住イギリス人から中国情報を仕入れようとしていたようだが、上海での緊迫した情勢は、それを許さなかった。上海の英国大使館からの電話にせかされて、その月のうちに彼は妻のティタと共に、上海に上陸することとなった。




1938年の2月といえば・・・・・

近衛文隆を政治的に葬り去った日本陸軍憲兵隊の林秀澄が、台湾から上海への赴任命令を受けたのも1938年2月であった。

 ↓参考ブログ記事 「上海防空戦 8」

台湾初空襲の緊張もようやくとけた2月末のことだった。林秀澄は辞令を受けた。

「1938年3月1日付けをもって、中支那派遣軍 憲兵隊付き少佐に任ず」

 

中支那派遣軍憲兵隊とは上海市域を担当する憲兵隊である。彼は3年の台湾勤務を経て、ようやく東京に帰れるものとばかり思っていた。それが上海だ。抗日の巣窟、事変の混乱もさめやらぬ魔都上海である。

 

林は頭がくらくらしてきた。しかし気を取り直して、上海での防諜と、抗日テロ対策に専念することを誓うのだった。

 

その日も上海では、鄭蘋如(テンピンルー)が日本のラジオ局、「大上海放送局」のアナウンサーとして、可憐な声を電波に乗せていた。同時に、ピンルーは抗日地下組織の運用メンバーにもなっていた。林秀澄が鄭蘋如の名を知るのに、それからさほど時間はかからなかった。

引用終わり

林秀澄とクラーク・カー。

この時点で、知らない者同士の二人は、やがて互いを強く意識せざるを得なくなる。

続く

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