テンピンルーを最初に演じた女優、それは
鄭蘋如(テンピンルー)を最初に演じた女優、それはなんと李香蘭だったのかもしれない。彼女はピンルーと同時代に生きたものの、当時上海で大きなニュースになったテンピンルーについて全く言及していない。その著書でもインタビューでも。しかし意外な事実が判明した。
2008年8月2日、名古屋市の愛知大学にて国際共同シンポジウム『帝国主義と文学 植民地台湾・中国占領区・「満州国」』が開かれた。3日間に渡って行われる日本、台湾、中国、アメリカの研究者たちによる発表の一つが、関西学院大学の西村正男氏による「日本語・中国語双方の文脈における戦争の語りとスパイ像」-鄭蘋如を例として-というタイトルだった。わたしはネット検索中、たまたまこの情報を入手し即決、新幹線に飛び乗り聴講してきた。
後で知ったことであるが、この愛知大学、近衛文隆が1939年、学生主任として赴任し、またピンルーと初めて出会った場である上海の「東亜同文書院」出身の教授や卒業生らによって創立した学校らしい。テンピンルーに関しておそらく初の学会発表となる場が、こういった縁のある場所で行われるというものまさに奇遇である。
発表がいくつか続いた後、西村氏が登壇した。西村氏は当時の大衆向けメディアでスパイがどのように扱われてきたかを語る中で、テンピンルーを取り上げ、時間を割いて具体的に発表してくれた。「上海の月」という1941年の日本映画がテンピンルーを題材にしていたのはスザンネシェアマンの著書で知っていたが、それが松崎啓次氏の「上海人文記」(1940年)を原作としていたのは初めて知った。
そして西村氏はやおら、ある映画の一部分を会場のスクリーンに上映し始めた。上戸彩のドラマ「李香蘭」でも劇中劇として演じられ、また、先日の日本テレビの「女たちの中国」でも 李香蘭(山口淑子氏)自身の口から後悔の念が語られた映画「支那の夜」の中のワンシーンだ。李香蘭演じる抗日中国人のヒロイン桂蘭がかたくなに日本人の好意に反発し続けると、長谷川一夫演じる日本人、長谷が頬を叩く。桂蘭は自分を叱ってくれた長谷のひたむきな思いに気づき、やがて逆に好意を持つようになっていく。この長谷によるあからさまな指導者振りと、桂蘭の唐突な変化に、当時の中国人は反感をつのらせた。
しかし西村氏にとってそのシーンは、注目点ではなかった。少しだけビデオを早回しした。すると桂蘭と長谷が仲良く人力車に乗って、上海の南京路、あるいは静安寺路を思わせる大通りを行くシーンへと続く。二人が行き着いた先は宝石店である。
桂蘭と長谷は仲良く店に入り、うれしそうに耳飾りを選んでいる。ふと桂蘭は、店の外にいる怪しい男の姿が目に入る。動揺する桂蘭。このあたりの映像を見て、わたしは映画「ラスト コーション」 とあまりにそっくりなことに自分の目を疑ってしまった。なおも映像は続く。店の外の男は桂蘭に対して目配せをして、おまえだけ外に出ろ、というようなサインを送る。この怪しい男が抗日工作員で、桂蘭を外に出し店に取り残された長谷を銃撃するのでは?と想像が働き始める。
桂蘭は決心がつかなかったのか、あるいはあえて長谷を救おうとしたのか男の与えるサインを無視して長谷と一緒に並んで店を出る。抗日工作員は二人を追いかけ、歩道を歩く桂蘭を追い越しざま、わざと肩をぶつけて再びサインを送る。ここで桂蘭はやっと、「近くの知人を訪ねるので」という用事を告げて長谷と別れる。アパートに戻った長谷は桂蘭が呼んでいるという口実で誘い出され、抗日側アジトに連れ込まれる。彼は生命の危機に陥るのだがぎりぎりのところで桂蘭が助ける、という流れ。
この部分に限れば、丁黙邨(ていもくそん ティンモートン)暗殺未遂事件をモチーフにしていることは明らかだ。田村志津枝氏の著書「李香蘭の恋人」によれば、この映画「支那の夜」の監督伏水氏と脚本の小国氏のシナリオハンティング、ロケハンは1939年の12月から2ヶ月間、つまり、ピンルーによる丁黙邨暗殺未遂事件のあったちょうどその頃から、ピンルーが捕まって銃殺されるあたりまでの間行われたらしい。 また西村氏によれば、この映画制作に携わったであろう松崎啓次氏が「上海人文記」で描いたテンピンルー像と同じ、つまり日中のはざまで揺れ動く人物像を投影して、桂蘭が描かれているようなのだ。
ただし、西村氏は当日の報告書の中で、桂蘭が最後には日本側に立つことは、松崎氏の思い入れが反映したのではないかと言っている。松崎啓次の「上海人文記」ではテンピンルーを狙撃事件の加害者としては断定しておらず、彼はピンルーが抗日分子であってほしくないと思っていたようなのだ。
松崎啓次によれば、丁黙邨がテンピンルーにプレゼントするために毛皮店ではなく時計店にいたことになっている。時計の鎖の修理のためピンルーだけが店の中に残っていたところ、外に出た丁黙存が抗日工作員から狙撃された。ピンルーは参考人として連行されそうになり、逃げているうちに犯人と決めつけられた、とある。この説は、李香蘭の友人で台湾出身の映画人でもあり、松崎とともに中華電影を設立した劉吶鴎(りゅうとつおう)から、松崎が聞いたことらしい。劉吶鴎によれば「これは彼女自身の自供であり、全部信用できないが、全部嘘だとも思わない」、ということだ。
丁黙存暗殺未遂事件とテンピンルーの関わりについて、わたしも実はいまだに腑に落ちないところがある。これはまた別の記事としたい。
わたし自身、この「支那の夜」を見たことが無いので多くを語ることはできない。またこの映画そのものの主題はもちろん国策映画そのもので、抗日から親日へ、という誘導のための映画だ。しかし、たとえ一部のシーンとはいえ、最初にテンピンルーを演じたのが李香蘭だということは確かなようである。
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コメント
貴重なご意見ありがとうございます。コメントを読ませて頂き、「支那の夜」のベースが鄭蘋如事件、そして張愛玲の「色 戒」、アンリー監督の「ラスト コーション」のベースが「支那の夜」だったのではないかという思いがさらに強まりました。桂蘭は中国人なのでしょうけど、とっさに出る言葉が日本語だったりするようなので、日常的に日本語を使う環境があったはず。桂蘭は日中ハーフの可能性がありますね。
そして自分の好意に応えてくれない桂蘭を長谷が平手打ちし、その後のシーンでそのことを「僕の負けだ」と言って悩んでいると・・・・。ここは「ラスト コーション」の易先生が最初の加虐的情事から、ワンチアチにおぼれていくあたりを彷彿とさせます。あそこまでは不必要だったのではと言われた激しい情事のシーンですが、アンリー監督にとってみたらあれは長谷による平手打ちの一連の流れの別表現だったのかもしれませんね。
ただし、丁黙存(易先生)の持っていた緊迫感を長谷が全くもっておらず、お坊ちゃまに見えてしまうのは、支配者側にいる当時の日本人の甘さがかいま見えてしまいなんとも恥ずかしい限りです。そこがCosmopolitanさんの言われる単なるラブロマンス、しかも中国人への侮蔑あり、というこの映画への一般的な評になってしまうのかもしれません。
私は、張愛玲が李香蘭との座談会で言った言葉、「未来の東洋の映画には希望がある」という言葉がとても予言的に聞こえて来ます。張愛玲にしてみたら、鄭蘋如事件、「支那の夜」、「色 戒」、そして「ラスト コーション」の金獅子賞への流れが見えていたかのようです。
投稿: bikoran | 2008年8月 4日 (月) 07時20分
たしかに言われてみれば、「支那の夜」の宝石店のシーンとラストコーションのシーンは似ていますね。
これは面白い指摘です。
ピンルーの逮捕の来かけとなった狙撃事件は毛皮店で、それが張愛玲の「色・戒」では宝石店になりました。毛皮店→宝石店 の変更のきっかけを与えたのが映画「支那の夜」であったことは十分考えられますね。張愛玲は「支那の夜」を見ていたし、毛皮店よりも宝石店の方が彼女の小説の表題にはピッタリする。
最後にヒロインがスパイすべき男に惚れてしまうというのも「支那の夜」と似ている。
こう考えると、「支那の夜」のシナリオに、テンピンルー事件が影響していたというのはほぼ間違いないでしょう。
また映画「支那の夜」の見方も少し変わってきます。おもてのシナリオの裏にもう一つのシナリオがあった。桂蘭はスパイの役割を求められていたが、長谷に惚れて裏切ってしまった、という「裏の」シナリオです。桂蘭は日本語と中国語を自由に話すので、ただの戦災孤児ではないのです。長谷がアジトに抗日派のアジトにおびき出されて銃殺されそうになる直前に、桂蘭が明かりを消して助けてしまうシーンも、宝石店のシーンの続きと見て良いでしょう。
ただし、「長谷」は丁や易先生とくらべるとあまりにも優しすぎるキャラクター。例の有名な打擲シーンも、そこだけを取り上げないで前後の文脈に置くと、あまり暴力性を感じさせない。その直後で、桂蘭に暴力を振るった「僕の負けだ」といっているシーンがあるのです。だから結局は、スパイの活劇というよりも、美男美女のラブロマンスになってしまった。
投稿: Cosmopolitan | 2008年8月 3日 (日) 23時47分