漢奸裁判史 川島芳子 2
引き続き、川島芳子の漢奸裁判についてである。益井康一は当時の漢奸裁判に関する現地新聞記事や外電を収集保存した毎日新聞の記者であり、その記録を「漢奸裁判史」として本にまとめている。その著書より、引用、抜粋要約し、以下太字で示す。
彼女は獄中で数奇を極めた一生の手記を日本文で書きつつあった。その手記を東京にいる83才の養父、川島浪速に送るつもりでいると言ったが、しかし、
「紙を買うお金も無いので、書けるかどうか分かりません」
と悲しそうに言った。金がないので食べ物も差し入れてもらえず、獄中の粗末な食事で飢えをしのいでいると言った。彼女はAP記者に、「なぜみんな私を殺したいのかしら・・・」となじったが、哀れみを請うような態度は少しも見られなかった。
1948年3月25日午前5時、夜明け前の暗闇の中、彼女は二人の刑吏に連れられて最高法院北平(北京)分院の刑場にやって来た。壁際向かって立つと執行官は、
「なにか言い残すことはないか」
と尋ねた。彼女は、
「長年お世話になった養父の川島浪速に手紙を出したい」
と言って、立ったまま日本文で養父あての手紙を認めた(書いた)。
さて、「川島芳子が17才で自殺未遂を起こし、断髪し、男装を始めたのは、養父川島浪速による性的虐待、あるいは強姦があったから」、とする説がある。しかし、この益井による記録からは、芳子が川島浪速に対して恨みを持っていたとは思えない。生涯の最後の瞬間にお世話になった養父に手紙を送りたい、という考えが浮かぶというのは、この記録が本当だとすればやはり純粋に感謝の気持ちがあったとしか思えない。(注:山口淑子著「李香蘭を生きて」を読み直したところ、「獄中からの手紙」という章で、「十歳若い生年月日を書きこんだ戸籍謄本を送って欲しい」という手紙を何度も出している、という記載がある。もともと養父には多くの手紙を出していたようである)
彼女は3才から20才の日本在住時代に、中国語はもちろん、英語、フランス語と文学を学び、乗馬や水泳などのスポーツ、車や飛行機の操縦、また養父の人脈関係から武士道や政治、軍事に関して幅広く学んだ。これらは川島浪速の教育的理解があってこそだろう。
益井の著書に戻る。
執行官はひざまづくように命じ、やがて一発の銃弾が彼女の後頭部を貫いた。波乱に富んだ34年間の生涯を閉じた。係官の話によると、「彼女は貴婦人のように、眉一つ動かさず、誇り高く死んだ」と伝えられた。
北京の市民は、「3才の時、日本人の養女となり、日本人として育った以上、真の日本人なら誰でもするであろうことをしたまでだ」と言って、彼女に心から同情した。
彼女を惜しむ心理が後日、ちまたに、「刑死したのは替え玉で、本当の川島芳子は密かに脱走して生きている」という噂をふりまいた。
彼女の兄、愛新覚羅憲立(あいしんかくらけんりゅう)の手記によると、漢奸裁判でいくら調べても彼女に不利な証拠は出なかった。逆に彼女に助けられた蒋介石国民党の地下工作員から、有利な証言がたくさん出た。にもかかわらず死刑を宣告したのは、国民政府立法院長、孫科の命令であったという。孫科は昔、上海で川島芳子を秘書としていたときに機密情報を取られたことがあり、それが暴露されると自分が危ないと思ったからだという。
また係の判事は、兄の憲立に対して、
「彼女の命を助けたいなら、金の延べ棒50本を出せ」
と強要したので、それに近い額の賄賂を出した。にもかかわらず死刑の宣告が下った。判決理由書を見ると、唯一の証拠らしいものは、村松梢風の「男装の麗人」という一冊の本だけである。死刑の判決があってからも、「処刑した形にして生かしておいてあげるから、金の延べ棒100本出せ」と言ってきたという。
夜明け前の処刑に立ち会ったのは、米人記者たった一人である。兄は金の延べ棒を出したが故に、
「処刑された芳子は替え玉かも知れない。芳子は脱出して、蒙古かロシアに生きのびたかも知れない。私には判断がつきかねる。とにかく骨肉の兄として、その生存を信じるよりほかにない」
とその手記を結んでいる。
引用終わり
私が不思議に思うのは、なぜ午前5時という夜明け前の暗闇のなかで処刑したのかということ。他の漢奸の処刑は、昼間の公開処刑である。
漢奸裁判後に益井が情報収集していたこの「川島芳子の処刑替え玉説」。60年後の今になって中国で新たな生存説が出てきて、再び話題となっている。2008年11月18日、時事通信社の配信した川島芳子生存説について語る李香蘭の記事を次に記載する。
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