「支那の夜」と「ラスト コーション」の類似性。宝石店にて
以前「テンピンルーを最初に演じた女優、それは」という記事を書かせてもらった。2008年8月2日、愛知大学での研究発表を聴講してきたときのことである。その時に、関西学院大学の西村准教授が鄭蘋如(テンピンルー)の研究発表を行い、その発表の中で「支那の夜」の一部を上映した。私はその映像を見て、瞬間的に既視感に襲われた。これは映画「ラスト コーション」のシーンそのものではないかと。
1940年封切りの映画「支那の夜」(現在のタイトルは「蘇州夜曲」)。そして2007年ベネチア映画祭で金獅子賞を取った「ラスト コーション」。その両映画の宝石店でのシーンが私の中でぴったりと重なったのだ。
それをもう一度確かめたかったのだが「支那の夜」はビデオが絶版になっている。確認のしようが無かった。ところが、今こうして自分の部屋のテレビで「支那の夜」が見れようとは。チャンネルNecoに感謝したい。
上の写真の通り、やはり私の既視感は間違いではなかった。
「ラスト コーション」はご存じの通り、テンピンルーのかかわった丁黙邨暗殺未遂事件をモチーフに、張愛玲が書いた短編小説「色 戒」を原作とする。冒頭三連の写真は、そのストーリーの中でもクライマックスにあたる部分である。しかし日中のハーフであったテンピンルーが持っていたであろうアイデンティティの相克はこの小説「色 戒」、そして「ラスト コーション」には描かれてはいない。小説は張愛玲の個人的な背景がベースになっている。
一方「支那の夜」に原作があるわけではないが、丁黙邨暗殺未遂事件は1939年12月21日。まさに「支那の夜」のシナリオ作成が行われていた頃である。またテンピンルーを題材とした松崎啓次の「上海人文記」が出版されたのも1940年のことである。松崎啓次がシナリオ作成に協力したことは十分に考えられる。
2007年秋、「ラスト コーション」が世に出たことで、テンピンルーの存在が一躍クローズアップされた。しかし、抗日と親日の間を揺れ動く、どちらに取ってよいのか最後までわからない桂欄を見るにつけ、むしろ「支那の夜」の方が、テンピンルーを象徴的に描いたと言ってよいのではないだろうか。そしてそれはとりもなおさず、テンピンルーを最初に演じた女優は李香蘭、こと山口淑子だった、ということである。 日中の狭間で揺さぶられたピンルー。李香蘭は自分がピンルーを演じたと認識していないかもしれない。しかし、ピンルーを演じるに最もふさわしかった女優、それは李香蘭を置いて他になかった、ということは確かであろう。
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コメント
duchampさん
過分なお言葉を頂き恐縮してます。
「上海人文記」を小説として見た場合には、影佐機関的なピンルーの見方はほぼ無いと見ていいですね。この本だけは晴氣本よりも前に出てますので、独自の視点で書かれています。松崎啓次は映画プロデューサーだけあって、おそらく「検閲のようなもの」とのバランスを絶妙にとってああ書かれたのだと思います。そして何より、松崎は「ピンルーファン」だったと思いますね(苦笑)。
日本側の「隠された事実」と書いてしまいましたが、事実を確信しているのではなく、わたしの直感に近いものです。まだ私の頭が整理されてないので、発表できないのですが、許洪新氏の著書も出ましたので、これも参考にしながらじっくりとですね。許氏の本は新説が出たわけではないのですが、一覧性ある史料としては価値が非常に高いです。中国語なのがネックですが。
投稿: bikoran | 2009年11月24日 (火) 23時50分
まだむ・い~なんさん
貴ブログは本当に自由闊達に書かれていて、幸せで元気なブログで、楽しませていただきました。小心で極端に神経質な伊を演じたトニーレオンは本当に素晴らしかった!トニーレオンとタンウェイでなければ、あの過激なラブシーンが説得力を持たず、陳腐化したかもれませんね。貴ブログ、今後とも拝見したく思います!
bikoranさんのブログは、いわゆる在野の好事家の域をはるかに超えていて、資料収集、調査、裏付けともにアカデミックなレベルです。胸を借りながら、小生も関心のままに追いかけているといったところです。
bikoranさん
久しぶりに犬養健「揚子江は今も流れている」を読み返しました。初見の時の印象より、しっかり書かれていて驚きました。日本側の一次資料という点では「上海人文記」「謀略の上海」、林秀澄談話速記録、そして「揚子江」というくらいでしょうか?許洪新の著書は、次回の上海で買ってこようと思っていますが。
bikoranさんのおっしゃっている日本側に「隠された事実」とは、どういったことでしょう?見当をつけていらっしゃるのでしょうか?
投稿: duchamp | 2009年11月24日 (火) 23時17分
duchampさん
これまで日本で出版された鄭蘋如関連小説は全て晴氣の「謀略の上海」を中心に、一部で犬養健の「揚子江は今も流れている」を参考に書かれています。唯一「夢顔さんによろしく」では林秀澄の談話速記録など深く史料調査されたようです。影佐機関側からの情報しかありませんでしたから、どうしてもそちら側からの見方で書かれてしまいますね。
映画「ラスト コーション」が世に出て、遺族が主張を始め、また中国側史料が発掘されたおかげで、鄭蘋如はかなり正当に評価されつつありますが、実は日本側の方に隠された事実が多いと思います。
投稿: bikoran | 2009年11月23日 (月) 17時51分
ありがとうございます。改めて緯達飯店の写真を拝見しました。ここもまた彼女たちの生が交錯した舞台の一つなのですね。鄭蘋如、李香蘭、そして川島芳子もまた、中国と日本という二重のアイデンティティをそれぞれの立場で生きたということで、共通の興味を感じさせます。しかし、鄭蘋如による丁黙邨暗殺未遂事件は、他の二人の例に比べ、より複雑で哲学的な問題を感じさせます。映画「ラスト・コーション」では、王佳芝が日中混血を免れていること、言い換えれば宿命的で政治的な帰属を外れていることで、悲劇の本質がかえって増幅されたように思います。
私個人の関心の中心は、どうも上海という街、そのものにあるようです。そして鄭蘋如の生と死は、きわめて象徴的に上海という都市が、いつの時代にも背負い続けなければならない矛盾のようなものを感じさせます。
しかし、それにしても日本人ほど上海を自らの歴史に組み込んで、多くを語ってきた国民はいないのではないでしょうか。彼女たちが生きた上海より時代は新しくなりますが、虹口生まれの作家生島治郎の「黄土の奔流」をはじめとする一連の上海ものや、ジャーナリストの視点で捉えられた伴野朗の上海ものは、いずれも興味深いものです。両者の作品はともに国民党や日本の立場、CC団、藍衣社や杜月笙等、史実の下敷きは、娯楽小説としてはむしろ不必要なくらい押さえており、ノスタルジーや望郷の念を超えて、上海という都市に幻惑された作家たちが、独自のアプローチでその理由を模索しているようにも感じられます。
日本語の文献で鄭蘋如を扱ったものとしては、フィクションとして(言うに及ばずですが)、古くは胡桃沢耕二「上海リリー」、西木正明、伴野朗、近年では辻原登「ジャスミン」。エッセイでは、平野純等が挙げられるでしょうか。ほとんどの淵源は、やはり「晴気本」なのでしょうか?いずれもしたたかな獏連女的イメージが中心ですが、bikoranさんのご指摘のように映画「ラスト・コーション」、及び2本のTVドキュメンタリー以来、鄭蘋如の人物像は大きく変わったように思います。私自身うまく分析はできないのですが、鄭蘋如の存在には、どこかフィクショナルなイメージを刺激するものがあるように思います。
またまた、bikoranさんのコメントを借りて、勝手なことを述べてしまいました。ご寛恕ください。
投稿: duchamp | 2009年11月22日 (日) 23時16分
duchamp さん、私のブログを見ていただいて、ありがとうございます。私の場合、『支那の夜』も残念ながら、見ておりませんし、bikoranさんやyanagiさんの記事を読ませていただいて、ふとした思い付きを記事にしただけでした。
李安(アン・リー)という監督は、とても用意周到な人物であるように思えて、張愛玲については、調べつくしているはずと思ったものですから、あのような記事を書きました。
bikoranさんの「日中戦のはざまで テンピンルーの悲劇」を読ませていただいて、日本人でありながら、日中の歴史等、とても理解が難しく、自分の勉強不足が嘆かれました。(^-^;
ただ、思ったことは、この<テンピンルー>という女性は、直接的・間接的に、いろいろな人物に影響を与えたのですね。
張愛玲や彼女の小説を通して、「支那の夜」や「ラスト・コーション」を通して、私たちにも影響を与えている。とても不思議な気がします。
投稿: まだむ・い~なん | 2009年11月22日 (日) 14時09分
duchampさん
張愛玲とテンピンルーは同時代に生きていましたからピンルーの事件は張愛玲に無視しきれない影響を与えていたのでしょうね。ちなみに彼女とテンピンルーは偉達飯店というホテルでもしかしたらすれ違っています。1937年前後の一時期、親戚の一家とともに張愛玲が住んでいたこのホテルで、ピンルーは日中特務同士の秘密会合に通訳として出席しています。「日中戦のはざまで テンピンルーの悲劇 前編」に写真を載せました。トップページ右下に記事のリンクがあります。
投稿: bikoran | 2009年11月19日 (木) 01時18分
bikoranさん、yanagiさんのブログを楽しんで読ませていただいています。まだむ・いーなんさんのブログも拝見いたしました。
「支那の夜」は残念ながら拝見していませんが「ラストコーション」については、映画の完成度からも、テーマからも、深く感銘を受けました。その後、なんどか上海に行く機会にも恵まれ、越界路にあたるジェスフィールド76号(現・万航渡路)の現地、そのすぐ近く(愚園路)の張愛玲のアールデコ風のマンションにも行きました。「色・戒」の執筆は後年ですが、彼女自身が王兆銘政権の高官と結婚していたこと、また事件当時、おそらく上海に居住していたと推測される点、静安寺路(現・南京東路)が主要な舞台として登場していることもそうですが、張愛玲は、当時このテンピンルー事件をかなり身近に感じたことは間違いなかったと思われます。
個人的には、「ラスト・コーション」の過激なラブシーンについては、その必然性を痛いほど感じました。中国人でありながら日本軍の特務機関のボスとして存在しているという、伊の抱える激烈な孤独と、刺客として近づきながらも、イー(伊)の孤独に触ったことで自らの孤独にも気づいてしまうジアジイ(王)。結果的に、伊によってもたらされた鳩の卵大のダイヤを指にした王の女としての幸福の実感が、イーの孤独を共有している現実をジアジイ自身に認めさせた瞬間、と言えるのではないでしょうか。つまり、「早く行って」と言わしめたのだと。
もとより、これは張愛玲の短編「色・戒」独特のもので、テンピンルー自身、テイ・モクソン自身とは、あまり関わりが無いと言わざるをえません。また、アン・リー監督は、原作以上に原作に忠実だとも言えます。その結果、日中の、というより、上海という街が宿命的に背負わざるを得ない矛盾や構造を、ものの見事に映像化したといえるのではないでしょうか。
投稿: duchamp | 2009年11月18日 (水) 23時37分
まだむ・い~なんさんの記事を興味深く読ませていただきました。
私は中国側の検閲に関しての事情は詳しくないのではっきりとした事は言えませんが、
確かにラブシーンが濃厚すぎる所には違和感がありました。
そこに何らかの意味があったとすれば面白いですね。
投稿: yanagi | 2009年11月18日 (水) 00時24分
読んでいただき、本当にありがとうございました。bikoranさんのおっしゃるとおりだと思います。書物や映画、音楽、過去に残されたものを通して、様々なつながりや影響、そこに残された人々の思いを探っていくのは、とても興味深い。
これからもbikoranの記事楽しみにしています。
投稿: まだむ・い~なん | 2009年11月17日 (火) 10時13分
まだむ・い〜なんさん
記事を読ませていただきました。ラスト・コーションは張愛玲の私小説「色・戒」を原作としいて、張愛玲の心象風景が濃厚に出ている映画です。丁黙邨暗殺未遂事件、そしてピンルーはモチーフとはなっているものの別物としてみたほうがいいでしょう。
それからアン リー監督が「支那の夜」を見て参考にしたかどうかですが、私は見てないのでは?と思っています。張愛玲は封切り当時の上海で見たと思います。それが小説「色・戒」に大きな影響を与え、間接的にアン リー監督の脚本に影響した、そこであの類似性が出てきたのかなと思います。もし見ていて、敢えて類似性を持たせたのだとしたら、それは日本の李香蘭ファンに対するこの上ないサービスですね。
歴史の偶然な連続性はとても面白いものですね。歴史を学ぶ醍醐味ですね。
投稿: bikoran | 2009年11月16日 (月) 23時19分
こんばんは!
bikoranさんの記事のリンクをたどって、yanagiさんの記事にお邪魔し、『支那の夜』に非常に興味を覚えました。
『ラスト・コーション』について、再考した記事を書きました。もし、よろしかったら、ご一読ください。素人考えで、的はずれになっていなければ、よいのですが・・・(^^;)
投稿: まだむ・い~なん | 2009年11月16日 (月) 22時50分
まだむ・い〜なんさん
コメントとリンクありがとうございます。私のこのブログは「ラスト コーション」の存在によってがらりと守備範囲が広がりました。トニーレオンとワンチアチーの素晴らしい演技、そしてなにより李監督に感謝です。
投稿: bikoran | 2009年11月13日 (金) 22時40分
はじめまして。<まだむ・い~なん>と申します。中国の<五大歌后>の情報を調べていたのですが、とても興味深い記事を読ませていただき、勉強になりました。ありがとうございます。
私のブログにリンクを貼らせて頂きました。
トラック・バックがよくわからなかったもので、コメントで失礼します。
投稿: まだむ・い~なん | 2009年11月13日 (金) 22時21分
Cosmopolitanさん
本日、しっかりと最初から見てみました。桂蘭が少年を叩くところは残念ながらカットされていました。伏線が一つ少なくなっていました。これは短縮版「蘇州夜曲」において、中国人を馬鹿にする場面をカットするという方針に則ったものと思われます。
そのかわりわたしが見逃していた伏線を見つけました。三浦とし子が街中での長谷とのデート?で桂蘭へのおみやげを買ってあげたのに、それを渡そうとしたときに、投げ捨ててしまう部分です。
伏線としては十分すぎるほどですね。
投稿: bikoran | 2009年2月12日 (木) 09時15分
Cosmopolitanさん
放送されたのは92分版ですからビデオ版でしょう。すこし残念ですね。ノーカットの「支那の夜」だと前編75分、後編53分の合計128分のようですね。
実は録画に失敗して前半25分ばかり見れておりません。次回しっかり見ておきます。
Cosmopolitanさんのご指摘の3シーンですが、②以外はおそらく見れたと思います。①の寝言を言うあたりからしか録画できませんでしたので、日本人の少年を桂蘭が叩くのは見れませんでしたが、寝言で、長谷はなぜ私を叱ってくれないのか、といういようなことを言っていました。
③の入水シーンもありました。「あの世」から長谷が桂蘭を呼び、桂蘭が引き込まれるようにクリークに足を入れていくシーンですね。でも実は長谷は生きていて、突然現れ、強引にハッピーエンドに持って行っていました。取りようによって、確かにあれは桂蘭が最後に見たであろう幻想、幻覚であるとも言えますね。
服部良一の妹が演じていたのは三浦俊子かと思いますが、彼女が桂蘭の破壊された実家近くで墓参りをしていたシーンが非常に唐突でした。そこでの彼女の歌は全てカットされ、桂蘭との会話は、桂蘭が一方的に日本軍を恨むものとなっていました。どうやら三浦俊子は兄を中国軍に殺されていたようですね。
中華民国あるいは中華人民共和国に気を遣ってか、現存するビデオ版が36分もカットされてしまったのは残念です。おおよその流れは阻害されてはいない?ことを願います。
投稿: bikoran | 2009年2月 7日 (土) 22時14分
Bikoran さんのおっしゃるとおり、「支那の夜」の桂蘭の描き方には、テンピンルー事件が影響している。これは確かですね。既視感を映像によって客観的に証明して下さったことも有り難い。そういえば、桂蘭と工作員が立ち話をしている場面を目撃して、藤原釜足だったか、長谷の弟分が「あの桂蘭ていう女、どうもアヤシイ」というようなセリフを吐く場面がありましたね。
実は「蘇州夜曲」として「支那の夜」から抜粋再編集されたビデオではカットされた部分があるのです。僕は、NECOの放送は見られなかったのですが、放映されたのは、ビデオ版でしょうか。
カットされた箇所は、この映画を語る上で無視できない場面が含まれますので、その一部をあげましょう。
① 桂蘭のまえで「支那人」を馬鹿にする言葉を吐いた少年を、桂蘭が打擲するシーン。これによって、桂蘭が日本語が出来ることがばれてしまう。しかし、年端もいかない少年に暴力を振るった桂蘭を長谷は叱らずに、赦してしまう。これは、あとで、桂蘭が、寝言(日本語)で、少年を殴ったことを反省して、「長谷さん、なぜあなたは私を叱らないの?」というシーン、また、長谷のほうが後で桂蘭を打擲するシーンの伏線になっています。
② 長谷が、銃撃戦で「死亡」したことが伝えられた後で、桂蘭の母親が登場し、桂蘭を引き取りたいと申し出るシーン。母親が長谷と桂蘭の結婚を認めたことが分かります。
③ 桂蘭が、長谷から教えられた詩を口ずさんだ後で、入水自殺しようとするシーン。これは実際に川の中に彼女が浸かっていくシーンが写されます。
ほかにも、服部良一の妹が演じる脇役が、自分の亡くなった兄を偲んで歌うシーンや、肉親の死を乗り越えて、日中平和のために尽くそうと桂蘭に語る場面があります。
「支那の夜」もまた「表」のシナリオの他に「裏」のシナリオがあって、重層的な構成を持っているようです。「裏の」というのは「抑圧された」シナリオという意味です。
長谷との奇跡的な再会シーンでは、馬車に乗って「死んだはずの」長谷が登場する。これは、死の直前に桂蘭の見た儚い幻影であったともとれるのです。「表」のシナリオは、日本男児と中国娘が、架け橋の上で結ばれるという奇跡的なハッピーエンドなのですが。
投稿: Cosmopolitan | 2009年2月 7日 (土) 11時43分