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2010年1月10日 (日)

徐小姐(シュ・シャオチェ)のロケット 8

Locket 松崎啓次の「上海人文記」より、「徐小姐(シュ・シャオチェ)のロケット」の引用を続ける。時は1939年5月、中華電影の設立目前のことである。松崎が徐小姐に対し、驚きの行動に出る。

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「徐小姐のロケット」

明朝、飛行機で広東に出発するようにと電話が掛かってきたので、松崎はとりあえずその打ち合わせに走っていった。

もちろん、広東に行くのも映画会社設立に関する用件であったが、任務は複雑で、松崎は自分のような者に果たしてやり遂げられるかどうか、自信がなかった。気が進まなかった。新しい仕事に立ち向かうとわき上がってくるいつもの勇気が、この場合少しもわき上がらなかった。松崎は広い広い海の真ん中へ、きりきり舞いながら落ちて行く、飛行機が眼前に現れては消えるのを見た。


・・・この旅行にはきっと私に何か不幸な事が起こるかも知れない。

松崎は心で思った。が、彼は行かなければならない。



「はい、分かりました。行きます」



松崎は、ホテルに帰り、トランクを整理した。飛行機は夜明けに飛ぶはずである。



電話だ。劉吶鴎(りゅうとつおう)から。




「明日出発だって?今、川喜多さんから聞いた。今夜、君のために送別会をやる。四馬路(スマロ)、王賓和(ワンビンフェ)。いいね」



四馬路・・・あの雑踏の巷。そしてそこの有名な老酒の飲み屋。松崎はお酒は弱いのであったけれど、そこのつき出しや家庭的な食べ物を、おでん屋のそれのように特別に好いていた。


広東に行くことも急に決まった以上、誰にも知らさずに行くのが本当なので、送別会と言っても劉君、黄君、川喜多氏、そして劉君の電話で徐小姐が駆けつけた。五人で飯を食うだけのことであった。


が、松崎は、その日、珍しく飲んだ。意識的に飲んだ。ご馳走の皿が運ばれるごとに、「乾杯」「乾杯」と杯を挙げた。乾杯しては、杯の底に一滴も残っていないことを相手に見せる、支那式のやり方で、松崎達は飲んだ。松崎は徐小姐をマークして、折を見ては、


「徐小姐(シュ・シャオチェ)、乾杯!」


と強いたものだ。彼女ははじめ多少躊躇していたが、明らかな松崎の挑戦に、


「好、来来」(ハオ、ライライ)


とばかり、二杯、三杯と、あおった。

あっちの部屋でも、こっちの部屋でも、広東姑娘(クーニャン)の甲高い歌声が、洋琴にまじって聞こえ、支那拳のだみ声が爆発し始めた。松崎は酔ってグラ、グラっとくずれそうになった。しかし、「いけない、今夜はくずれるもんか」と、心を緊張させて飲んだ。


酔って松崎の目に見えるもの、それは徐小姐が、この四・五日、首につけ始めた、ロケットであった。支那語を学び、松崎が読みつかえて困り果てていると、のぞき込むようにして、「こんな易しいことが」と、からかうように見る彼女の首にロケットを初めて見たとき、「おや?」っと思った。翌日も、その翌日もロケットを首に見て、松崎はなぜか彼女の秘密の鍵を感じた。




彼女のロケットの中に、何がひそんでいるのだろう。



「彼女が生まれるとすぐに死んだという母親の写真であろうか」

「抗日を叫んで奥地へ逃れて行ったであろう、彼女の愛人の写真であろうか」

「または、あるいは彼女が属しているかも知れない、秘密結社のタブーの言葉であろうか」



「彼女を酔わせて、酔いつぶして、無理にでも、あのロケットを奪ってやろう。
彼女がスパイであっても、
彼女がスパイでなくとも、
私たちには、きっとよい教訓をもたらすであろう。
そして私は、明日広東へ行くのだ。
今夜、私は、必ず彼女の秘密をあばいてみせる」


松崎は心に誓っていた。


松崎も酔ったが、彼女はさらに酔った。

「もう一口も、一滴も」

という様子が、ありありと見えた。が、松崎は、ここぞとばかりにさらに強いた。彼女は最後の杯を口にすると、倒れそうになって立ち上がった。苦しいのであろう。外気に触れたいのであろう。松崎も続いて立った。彼女を追って、抱くようにして街路の見える窓際に来た。彼女は欄干に寄ると苦しそうにあえいで、目を閉じた。



「今だ」




松崎はとっさに思った。
そして、ちぎるようにしてロケットを奪った。
彼女はもちろん、さっと立ち上がった。
酔いが一気に覚めたのであろうか。



「イケナイ、イケナイ、ソレイケナイ」



が、松崎はもちろん無言であった。松崎は残忍なまでに冷たく強かった。右手で彼女を防いで、左手で松崎はロケットを開こうとする。彼女は必死である。だけど、彼女はなぜか大きな声は立てなかった。



「さあ、もういくらあなたが芝居してもだめ。これで、あなたの事は、みんな分かるのだ。このスパイ野郎」



・・・松崎は、すごい勢いで彼女を突き飛ばしてロケットを開いた。



そこに、何を松崎は見たか。一枚の小さく切った紙に、走り書きの詩が一つ。





敵国的愛人呀!
他是冷淡但含着熱情的眼晴
我是愛他了

敵国的愛人呀!
我的母親和妹妹被
他門的爆弾和機鎗
把他両送走了

敵国的愛人呀!
我是己経愛上他了
母親!妹妹!怒了我罷!

 

 敵国のあの人を 私は愛してしまった!
 あの情熱的な瞳は
 なぜ私にいつも冷たいの

 敵国のあの人を 私は愛してしまった!
 母も妹もあの国の
 爆弾と機関銃に
 追われていった

 ああ、敵国のあの人を 私はなぜ愛してしまったのだろう!
 お母さんよ、妹よ、
 ゆるして 許しておくれ





今度は突き飛ばされたのは松崎の方だ。
完全に背負い投げを食らった形で、松崎は顔をそむけた。


立ち直る余裕もなく、投げつけるようにロケットを彼女に返して、松崎は街へ飛び出した。乱暴だった自分を恥じる心、きれいな心の彼女を疑い続けたいやしい自分の心。松崎は後悔と恥ずかしさに耐えかねて、街をどんどん歩いた。


誰も知ってる人のいない四馬路(スマロ)の雑踏は、でも混乱した松崎を批判するのに役立ってくれた。


「・・・支那と日本とは味方であろうか。敵であろうか。


蒋介石と我々は戦っている。そして若いインテリ達は、蒋介石の味方だ。が、現実を認めて味方になってくる人たちは日一日と増加している。

前線では、我々の同胞が大切な青春を枯らして、また生命を投げ出して「敵国支那」と戦っている。が、我々がここでやっている事は平和工作だ。支那は我々にとって敵であり、味方である。味方と、敵を、支那人達の中から見分ける事は容易ではない。しかも言葉も、人情も、性格も、多種多様である彼らから。

そして、上海の、この街では人種の数と国語の数は、その複雑さを幾何級数的に増加させるではないか。この街で、胸に秘密を持って人を疑いつつ、笑って生きていく・・・そんな苦しい事が私にやれる事であろうか。

もし上海に住まなければならないとして、私はやはり、日本のあの撮影所で、単純に「いいこと」「悪いこと」を色分けして生きてきた、そのままの生き方を、ここでも続けて行けるだろうか。が、そうしなければ、私はただ判断する事だけで疲れて狂ってしまうだろう。


徐小姐!


あなたは、敵国の誰を愛したのです。

あなたを、スパイとして疑ったのは誰?」



松崎は、いつの間にか、大世界(注:ダスカ。エドワード通りにある遊技場)の裏の暗い路地に紛れ込んでいた。

そして、翌払暁、ひとり松崎は大場鎮の飛行場を出発した。広東へ!

そして松崎は、半年あまり徐小姐に逢う事はなかったのだ。

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引用終わり

今回の節は、全体の章と同じ「徐小姐のロケット」というタイトルだけあって、劇的である。松崎の抑えていた感情が酒の力もあってか、暴発したようである。その感情は、決して美しいものではない。すでにかなり親しくなった中国語の先生、徐小姐。その彼女がこれみよがしに首から下げはじめたロケット。ただでさえ、スパイなのかスパイじゃないのか、気になっているのに。はっきりさせたい!という日頃の欲求が爆発してしまったのだろう。そしてさらには、徐小姐への、抱いてはいけない微妙な恋愛感情もあったのではないだろうか。

肝心のロケットの中身であるが、詩が入っていた。実際のところはどうなんだろう。小さなロケットに詩を書いた紙片を入れるだろうか。それをすぐ読み取って記憶できるだろうか。可能といえば可能だ。しかし、誰かの顔写真が入っていて、一瞬にして松崎が事情を読み取った・・・・・・という気もしなくはない。

ちなみに、映画「上海の月」の主題歌、「牡丹の曲」(作曲:服部良一、作詞:西条八十、歌:山田五十鈴)があって、そちらの歌詞に、

「星の光に ロケット開けりゃ 君の横顔  懐かし愛おし」

とあり、こちらではロケットの中身は写真である。歌詞の流れからは、上海から日本に帰った日本人男性の写真を見て、懐かしく愛おしい、という内容だ。映画はどうだったのだろうか。主題歌の歌詞ということからすると、映画のロケットの中身も写真だったようにも思うが。

また、映画「上海の月」では、ダブルヒロインの一人、許小姐(シュ・シャオチェ)が登場する。彼女の映画の中での名前は許梨娜(シュ・リナ)である。そう、「徐小姐のロケット」の徐梨娜(シュ・リナ)同じである。もう一人のヒロイン、鄭蘋如役は袁露糸(エン・ロシ)と、全くの別名になっている。この辺りにも、松崎の徐小姐に対する思い入れの強さが出ているのかもしれない。



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(以下は、当時の松崎異動を取り巻く環境について備忘とする) 

1939年の3月、中支派遣軍参謀本部の高橋大佐は、川喜多長政に、数ヶ月後に設立を控えた中華電影の副社長、事実上のトップへの就任を要請した。 一方、1938年1月から、この中華電影設立に向け松崎と苦楽を共にしてきた特務部長、金子少佐は報道部を解任され弘前の連隊付きに異動となってしまって いた。

金子少佐の解任の原因であるが、辻久一著の「中華電影史話」に二つの話がある。ひとつは、「茶花女」事件である。中国映画「茶花女」(原作は椿姫)は、劉吶鴎が金子少佐からの「軍資金」を使って製作された中国映画だ。

こ れが中国国内だけで上映されたならよかった。好評でもあった。ところが、日本へ輸出され、1938年12月、東宝系で公開されたのだ。出演者や製作にかか わった中国人は、日本に協力したと見なされかねない。上海の文化界は、自国の作品が敵国に渡ったのは日本側の工作として大いに憤激した、という。つまり、 金子少佐の工作は裏目に出た、ということだろう。


もうひとつの話はこうだ。辻は「中国電影史話 第二集」から引用してる。「金子少佐は中国の事情に疎く、かつ戦勝者づらをした傲慢な態度は、人を決して近づきがたからしめた。

(中略)日本軍部は、金子少佐の工作が一向に成績があがらず、上海の映画界は依然としてなんらの組織も作ることが出来ないのを見て、ついに川喜多氏を派遣して金子氏の工作を引き継がしめることになった」

今回の節では、松崎が広東へ半年の出張に行くことが書いてある。中国南支地区に日中合弁の映画会社を設立する準備であったろう。満州には甘粕(あま かす)ひきいる満映(1937年8月)、北京周辺の北支には華北電影(1939年12月)、上海周辺の中支には今回の中華電影(1939年6月)ができ る。最後に広東周辺をカバーする南支の電影会社を作る密命を帯びていたのだろう。この出張は、同時に、金子派と目されていた松崎を半年ばかり中華電影から 遠ざける意味もあったのではないかと私は推測している。「川喜多の中華電影」、という環境を整えるという意味だ。

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